VS 黒永 シングルス3 水鳥文香 対 三ノ宮未希 4 "これは『天才対天才の試合』だ"
鋭い打球が水鳥さんの脇を抜けていく。
「ゲーム、三ノ宮未希。5-2」
ああ~、という落胆の声が白桜側から思わず漏れた。
(強い・・・)
あの水鳥文香が、ほぼ防戦一方の展開で反撃の芽すら見えない。
ここまで展開を一方的にさせているのは、三ノ宮選手のあのショットだ。
「相変わらず強力なライジングだね」
隣で試合を見つめる熊原先輩が、苦虫を噛み潰したような表情で言う。
「あれほど地面と近い位置で打っているのに、あの精確な打球コントロール・・・。どれだけ練習したらあのレベルの柔らかさを手に入れられますの」
敵ながら感心せざるを得ない。
これが全国レベルの"技"術・・・。それをまざまざと見せつけられている現状が歯がゆかった。
「うん・・・」
しかし、私の言葉に熊原先輩は首を捻る。
「勿論、黒永の猛練習で会得したものだとは思うけど」
「違うのですか?」
「なんていうかね、それほど練習しなくてもある程度のところまで行けちゃったんだと思うんだ。三ノ宮さんの場合・・・」
「えぇ?」
先輩の言葉に思わず失礼な返事をしてしまった。
こほん、と咳払いをしてただす。
「あのライジングショットを、ですか?」
「私もある意味、同じだったと思うから、分かるの」
すると先輩は、ベンチでタオルを受け取る三ノ宮選手をじっと見つめ。
「新チームが出来るまで・・・、割と長い期間、私は白桜でナンバー3のシングルスプレイヤーだった。それも自分では死に物狂いで努力したって感覚も無しに」
「確かにそうですわ・・・」
忘れかけていたけど、この人はそのポジションに居た人だった。
「なんでって思われるかもしれないけど、自分でも分からないんだ。"出来ちゃってるから"。私の場合は体格とか運動神経で他の子より明らかに上だったから、が理由かな。三ノ宮さんの場合は、たぶん、才覚―――」
その言葉を聞いて、ゾッとする。
「センスだけで、あのライジングを!?」
「ある程度のところまでは、そうなんじゃないかな。完成された下地があるから、あとはそこにプラスアルファ・・・コントロールや精確性、威力を足していって今のライジングが出来たんだよ」
「空恐ろしい話ですの・・・」
だけど、だから、合点がいった。
「綾野選手が才能を認めたって言う話。そういうコトでしたのね・・・」
あの綾野五十鈴がチームメイトで唯一才能を認めたのが、三ノ宮選手である理由。
きっとその"出来ちゃった"過程を間近で見たから。
常人がどれだけ努力に努力を重ねても超えられないそのほんの1cmを、簡単に超えていった彼女の姿を見たからこそ、三ノ宮選手を"天才"と称したのだろう。
「あんな柔らかくラケットを振れたら、どれだけ楽だろうね」
それを羨望の目で見る、隣のデカい先輩に、少しだけ苛立ちを覚えて。
「熊原先輩と同じなら、水鳥さんはきっとそれを超えられるはずですわ!」
大きな声で、言ってやった。
「杏ぉ・・・」
「水鳥さんファイトー! まだ試合は終わってませんのよ! ここから逆転! ですわ!」
たとえどれだけの実力差を見せつけられても、まだ結果は出ていない。
心の部分で、気持ちで負けたらこの試合、このままあっけなく負けてしまうだろう。
でも。
(貴女は、そうじゃないでしょう?)
水鳥さんを見て、思う。
彼女がやられたままの現実を受け入れられるような物わかりの良い子だったなら、1年生で白桜のレギュラーを射とめることなど出来なかっただろう、と。
(―――藍原さんじゃありませんけれど)
最後まで諦めず、みっともなく足掻いてきなさい。
先輩として今、彼女に言えることはそれだけだ。
体力にまだ余力を残す今だからこそ、出来る抵抗もあるだろう。負けるなら、それを全うしてからだ。その先にこそ、活路はきっとある―――
◆
『あのライジングに対抗するには、こちらも敵の土俵に乗る必要がある』
さっき、ベンチで監督に言われたことを頭の中で復唱する。
『目には目を、速さには速さを。敵と同じ速度の高速ラリーに持ち込めば、勝機は見えてくるはずだ』
ボールのバウンド際を叩いて、素早くショットを放つライジングショット。
それと同じくらいの速さで敵コートにボールを返す手段なんて、一つしかない。
―――三ノ宮さんのサーブが飛んでくる
コースも正確だし、威力も速さも決して楽なものではない。
でも、ライジングの完成度や恐ろしさに比べれば、返せないサーブではなかった。
特に。
(レシーブは、私の生命線!)
これだけは誰にも負けたくないという気持ちは、ある。それほど自信のある技術だ。
上手く返せた。
強いリターンが敵コートの隅に跳ねる。
私はレシーブを放ったと同時に。
「「前に出た!!」」
思い切り、前陣に向かってダッシュ。一気に位置を上げた。
―――本来なら、私の戦い方ではない前陣速攻型の攻め
だけど、今はそんなの関係ない。
勝つには、あのライジングに対抗するにはこの方法しかないのだ。
「ッ!」
だが、敵は全国レベルのシングルスプレイヤーだ。
私がネット際まで迫ろうかと前に出たのを瞬時に判断し、ラケットを上に向けて。
ぽーん、と。
「「ああっ」」
―――思わず白桜側から悲鳴にも似たどよめきが漏れる
山なりのロブショットを、遥か後ろに向けて打ってきた。
(くっ!)
上を見上げたが、ダメだ。間に合わない。
そのままコート後ろにボールが落ち、跳ねる。
「アウト!」
一瞬、血の気が引いた感覚がした。
「0-15」
「あちゃー。やっちった! めんごめんご」
三ノ宮選手がおでこに左手を当ててのけ反り、大袈裟なリアクションを見せる。
「でも、次は外さないからっ」
言って、にひひと笑った彼女のその言葉が、何故だか本気で言っているような、そんな気がした。
確たる根拠なんて無いし、いつものパフォーマンスかもしれないけれど。
(自分の直感・・・信じてみようかな)
その僅かなヒントとも言えないようなものに、懸けてみることにした。
次のサーブをレシーブし、来た次のボールをコートの中間辺りで返す。すると―――
(ライジングを、してこない!)
彼女の頭のどこかでロブとの二択がチラついたのだろう。
ライジングでは無く、普通のショットを返して来た。
私はそれを見逃さない。
強引にラケットでボールを思い切り引っ張る感覚。外れても良い、そんな事を思いながら隅を狙ってショットを決めにかかる。
それが―――
「0-30」
決まった!
「よしっ」
軽く、小さく、なるべく大袈裟にならないように、ガッツポーズ。
上手くいった―――直感に従ったら、驚くほど思うようにプレーが動いた。
(―――もしかして、)
そこで、ピタリと止まる。
(三ノ宮選手って、ずっとこんな感じでプレーしてるんじゃ・・・)
直感だけで、才覚だけで、センスだけで。
三ノ宮選手を知ればしるほど、その言葉がチラついた。だけど、そんな事はあり得ないとその可能性を捨てていたのだ。
だって、そうでしょう? いくら才能が凄くったって、テニスの知識や常識、作戦や戦術を頭にパンパンに入れなきゃ、全国大会という大舞台で勝ち続けられるわけが―――
でも。
(今のワンプレー、悪くなかった)
私の直感がそう告げていた。
これも、全く根拠なんてない。そうである理屈も何もない。
だけど―――
(これが、あの"何もない目"の中にあるものの正体だとしたら―――)
霧のように見えているのに実体がなく、掴んでも掴めず、見ようとしたら何も見えなくなるもの。それが、この"直感"だとしたら。
センスだけでやっている、感覚だけでテニスを掴んでいるというその言葉を、そのまま額面通りに受け取るとしたら?
(・・・やれるかも、しれない)
白い霧の中に、一つの突破口が浮かんできた。




