VS 黒永 シングルス3 水鳥文香 対 三ノ宮未希 1 "生意気な1年生(ルーキー)"
あと1つ勝てば、都大会優勝。
その機運は確かに高まりつつあった。
白桜応援団や観衆はそれを声の大小関わらず口に出しているし、逆に黒永の応援団は明らかにトーンが弱まりつつある。
「私との準備運動の成果を見せつけてやりなさい!」
「水鳥さんならいけるよ」
仁科先輩に、熊原先輩。
「敵は関係ない。アンタのテニスをやってきな」
野木先輩。
みなさん、一様に"それ"を口には出さないけど、励まして送り出してくれた。
ダブルスの2勝―――これを無駄にしないためにも。
「はい。私も私の役割を果たします」
気分が引き締まる。
先輩たちに送り出されると、余計に。
この人たちに信頼されて送り出されるんだ。私に、期待してくれているんだ―――無様な試合はできない。
今の水鳥文香はもう、この大会が始まる前までの水鳥文香では無い。
いろんな人の期待を、希望を背負っている。この場で直接、声をかけてくれた人の数十倍の人数の期待を、声援を受けられるようになった。
私は、白桜女子の水鳥文香になったんだ。
「水鳥ちゃーん」
踵を返そうとした瞬間に、遠くからの声に首根っこを掴まれ、そちらをぱっと見る。
「今日"も"私の出番は要らないからねー。勝手に終わらせちゃっていいんだからねー!」
遠くで大きく手を振って、そう大声を出しているのは久我部長だった。
私が視線を向けたことに気が付くと、ぐっとこちらに向かって親指を立てた拳を見せる。
「部長・・・」
その言葉に、少しだけ胸につかえていたものが取れた気がした。
「まりからしいね」
熊原先輩も野木先輩も、そう言って遠くに居る同級生を見ていた。
ダブルスの2勝が確定したから、部長も準備運動に行くんだ。きっとあそこまでランニングに行った後、私に何か言い残していこうと思い立ち振り返ってくれたんだろう。
「いってきます!」
尊敬できる先輩たち。
信頼できる仲間たち。
彼女たちが掴み取った2勝を、私の1勝で優勝に変えるんだ―――
(私は、その事実から逃げない)
私が勝てば、白桜女子は都大会優勝なんだっていう事実から!
コートに入ると、そこは今までに経験したことのないような異様な雰囲気だった。
一歩目を踏み出したところで思い知らされた。
『わああああああ』
これが、都大会優勝に手のかかった試合であると言う、圧倒的な状況に。
(すごい声援・・・)
準々決勝の時とはまるで違う。
準決勝を休んだから余計にそう思うのかもしれないけれど、気を抜いたら本当にこの応援に押し潰されて何もできないうちに負けてしまいそうだ。それくらいのプレッシャー。
「やあ1年生」
そのコートの中心で、彼女は不敵に笑っていた。
「こんなの初めてぇ・・・って顔してるねー。どうよ、優勝のかかった試合って。痺れるでしょ?」
自分は全然平気とでも言いたげに、おどけた様子で。
「全国はこんなもんじゃなかったよ」
「!」
言われた瞬間、一発目のパンチを貰ったのが分かった。
(そうか、この人達・・・今の黒永の選手は、全国の決勝戦を3度も経験してる・・・!)
優勝1回、準優勝2回というのはつまり決勝戦を3回戦ったということだ。
全国大会の最高峰で、3度。真剣勝負をしたってことなんだ。
「まあそう怖い顔しないでよ。かわいいお顔が台無しだよー。女の子は笑ってなくちゃ。にー」
三ノ宮さんは自らの口角に人差し指をあてると、きゅっとそれを上げて口をUの字にし、にっこりとほほ笑む。
「真剣なことと余裕が無いのは全然違うからねー?」
「・・・!」
2発目のパンチだ。
この"口撃"とも言うべき、口車に乗せられちゃダメだっていうのは分かってる。分かってるけど・・・。
(どうして、的確に私の気持ちを言い当ててくるの・・・!)
恐らくは偶然。もしくは敵の作戦で大体こんなような事を言えと言われているのか。
だけど、この人の自由奔放さを考えると後者は考えにくい。
「ただいまより、決勝戦シングルス3、三ノ宮未希 対 水鳥文香の試合を開始します。礼」
「よろしくお願いします」
「よろしくどーぞ」
審判の宣告と共に頭を下げて、握手をする。
私はそれと同時に、怖かったけれど―――やろうかどうか迷ったけれど、三ノ宮さんの瞳の中をもう一度、覗き込んでみた。
あの時に見たものは見間違いだったのか、それを確認する為に。
「―――ッ!」
やっぱり、そうだ。
2度目の確認で確信した。
この人の中には、やっぱり何もない。瞳の奥にあるのは空っぽの虚。
いや瞳を覗き込んだくらいでその人のすべてが分かるだなんていうのは思い込みも甚だしいけれど、それでも、この人ほど、そこに何も宿っていないのはあまりに異常だ。
そこからは感情は愚か、本当に三ノ宮さんにやる気や意欲のようなものがあるのかということすらも、読み取ることが出来なかった。
分かりやすい人は本当に分かりやすく、"目"に感情が出る。
有紀を例に出すのが最も理解しやすいだろうか。あの子の瞳の奥には本当に炎が燃えているんじゃないかってくらい、強い意志が熱く宿っている。何があっても諦めない闘志のようなものが、強く目に出るタイプの選手だ。
他にも私は、この都大会を通して色んな"目"をした選手を見てきた。
葵の歪んだ愛情を信じていた"目"、神宮寺さんの濁って光を失った"目"、自分以外の全てを威圧する氷のように冷たい新倉先輩の"目"―――
(でも三ノ宮さんには、それが無い・・・!)
何なのだろう。
底の知れない不気味さと、それとは真逆に明るく、奇天烈なキャラクターが私には全く乖離しているように見えて、仕方がない。
―――ダブルスを2勝で折り返した為、この試合のサーブ権は三ノ宮さんからになる
(レシーブは、私の武器の1つ・・・!)
ここでしっかりとしたリターンを打って、試合の流れを作っておきたい。
声援や、三ノ宮さんの目に脅えるのはここまでだ。ここから先は如何なる言い訳も許されない領域。
たとえ相手が全国大会決勝常連の3年生だろうと、私が1年生だろうと、そんな事は一切関係ない。
三ノ宮さんはゆったりとしたフォームでトスを上げ、サーブを放つ。
(―――速い!)
そして両手でそれを返して分かった。威力の高いサーブだと。
だが、それでもしっかり敵コート内に打ち返す。
三ノ宮さんはすばやく回り込み、片手フォアハンドで余裕を持ってレシーブを返して来た。
(1つ1つのショットも速い!)
鋭い、と言った印象のショットだ。
確かに部長が『練度の高い同タイプのプレイヤー』と称していたのが理解できる。
この人は天性の才能を元にそれを自分のやり方で完成させたプレイヤーだ。
あの低い身長と身体つきで名門黒永のシングルス3、その地位を確立している理由―――
(ずば抜けた才能!)
また、速いショットが返ってきた。
いわゆる"センス"と呼ばれるような天性の勘や理解能力、研ぎ澄まされた感覚が常人のそれとは明らかに違う。
あまりに違い過ぎて、逆に持て余すのではないかというくらいの―――
「てええい!」
強いショットを返すことで頭がいっぱいになり、思わず叫んでしまう。
それを―――
三ノ宮さんは、素知らぬ顔で打ち返してきて。
コートの隅に、スパンと決めてしまう。
「15-0」
思わず、生唾を呑みこんだ。
「ふふ。やっぱりテニスって面白いねえ」
三ノ宮さんはあまり感情の起伏が無い声色でそう言うと。
「1年生にしちゃあ、ちょっち生意気かな。このレベルはさぁ」
私の方を一瞥して、眉にしわを寄せながらぺろっとその舌先を出して見せた。




