ただ、勝ち続けるということ
「良い試合でしたね。終盤になるにつれ、貴女たち2人のコンビネーションやダブルスペアとしての錬度が上がってきたのが、はっきりと目に見えてきた試合でした」
監督は試合後、疲れ切ったあたし達を前に立たせ、ベンチで淡々と話をする。
「ですが」
監督の声のトーンが大きく変わる。
大体、何を言われるかなんて予想がついていたけれど―――
「どんなに良い試合だろうが、負けは負けです。私が常に追い求めるのは『結果』、その一点のみ」
語気を強め、それでも明確な怒りを表すことなく、怒鳴るわけでもない監督の言葉。
「如何なる試合内容であろうとも『結果』が伴わなければ意味がない。貴女たちはこの試合において私の求める『結果』を出せなかった。分かりますね?」
「はい」
「・・・はい」
あたしの返事が遅れる。
不服だったからだ。
包み隠さないで言おう。あたしはこんな風に怒られると、思ってなかった。
さっきの試合、内容だけで言ったらこれから先に明るいものが見えた試合だと自分では思っていたから。でも、あたし達を待っていたのは―――
「この試合、負けたのは私の責任です」
「?」
予想とは違う監督の言葉に、一瞬少しだけ気分が浮かれそうになったが。
「貴女達2人にペアを組ませて試合で使ってしまった、私に責任がある」
「・・・ッ!!」
あまりに厳しいその言葉に、疲れ切ったあたし達は何も言い返せない。
ただ、強い悔しさと、やりきれなさと、どこに向けたらいいのか分からない怒りが湧いてくるだけ。
「特に月下さん。貴女は準決勝でも同じような試合展開で負けましたね?」
「はい・・・」
月下の表情はどこか、思いつめていて。
「『二度目は無い』。あの場でああ言ったのは覚えていますね?」
―――ッ、その瞬間。
今まで我慢していたものをせき止めていた"何か"が決壊する音が聞こえた。
「ちょっと待って―――」
今、ここで監督に食い下がることが何を意味するのか。
その意味なんて分かっているはずがない、我を失ったあたしに対して。
「日下生!!」
月下は、大声で叫ぶ。
「・・・話なら、後で私が聞くから」
『黙っていろ』、と。
普段のあたしならここで我慢できるはずも無く、監督に意見していただろう。
だけど、わかる。
月下と1試合戦ったあたしなら―――彼女が、何故ここであたしを止めたのかが。ここであたしが暴れることの無意味さが。
「月下さん。貴女については関東大会の登録メンバーに選ぶかどうかも、白紙に戻して考え直します」
「・・・」
「大事な準決勝、決勝で連敗。あまりに勝負弱く、ここぞという時での機転や粘りが足りない。最後の最後まで食らいついてひっくり返そうと言う姿勢も、十分ではなかった」
月下への厳しい言葉を、あたしは黙って一緒に聞くことしか出来なかった。
「日下生さん、貴女も他人事ではありませんよ」
「はい・・・」
「貴女にも言っておきましょうか。『二度目は無い』。次も同じような醜態を晒すようなら、他の2年生と入れ替えることも検討しなければならなくなる。初めての実戦だとか、そんな事は関係ありません」
これが、全国大会で常に勝ち続ける黒永の中で『負ける』ということ。
慈悲など何もなく、甘えも後退も許されない。
ただ勝ち続けることだけを宿命づけられた選手たちと、それを当たり前とするチーム。
あたしが居るのはそういう世界なんだって、改めて思い知らされた。
"敗者"には容赦のない制裁が加えられる。だから先輩たちもみんな、あんなに必死になって練習するんだ。
全ては"勝利"と言う名の『結果』を、その手に掴む為に―――
◆
「やー、参ったね。準決勝に続いてまたダブルス2つ落としちゃったか」
明らかに、雰囲気は良くは無かった。
それを察知したように明るく、軽い言葉を出したのは、準備運動から戻ってきたばかりの未希だ。
「調子はどうだ」
「んー。実はねぇ、未希未希、今日めっちゃ調子いいんだー。絶好調!」
言って、ウィンクしながら目元にピースサインをあてる未希。
この子のこの調子はいつもの事で、そしてこれもいつもの事なのだが、彼女の言葉がどこまでアテになるか・・・私たちでは推測しかねる。
「だからみんなもそんなしょげた顔しないでよ! あたし、みーちゃん、五十鈴が勝てば優勝! いつものことじゃん」
「未希」
「んー、なに?」
私の隣に居た志麻子が、すっと前に出て、未希の前髪を少しかき分け。
「これ・・・私の髪留め。何もできないけど、これだけでも持って行って」
白く少し丸みを帯びた髪留めを、未希の前髪左側に付けて、小さく呟く。
「ふへー。これいっつも志麻っちが付けてるやつじゃん。良いの?」
「今日は試合出ないし・・・。未希が付けてくれると、嬉しいな」
一歩前に出ている志麻子の表情をうかがい知ることは出来ない。
だが、1つだけ言えることがある。
(私の踏み込むところではないな・・・)
それはあまりに無粋というものだ。
「おおお、なんかコレ付けたらパワーが湧きでてきた気がするよ! 私のステータスパラメータの五角形が一気に限界値振り切った!」
「いやどんなチートアイテムだそれは」
だがこんな時でも未希はいつもの調子を崩さず。
「ありがと志麻っち! 志麻っちのそーゆーとこ、好きだよ!」
「もう」
何かに半分呆れているような、それでも半分照れているような声を漏らした志麻子は、それから一拍を置いて囁く。
「私も未希のそういうところ、すき・・・」
あまりに奔放すぎて、常人じゃ理解はおろかついていくことすら難しい未希を繋ぎとめていられるのは、やはり抜群の人当たりの良さを持つ志麻子くらいだろうな、と再認識した瞬間だった。
「未希」
2人の会話が終わったようなので、私も言葉を紡ぐ。
「このまま負けるつもりは毛頭ない」
淡々と。
「私まで回せ。私が、五十鈴に繋ぐ」
事実だけを。
黒永の部長として、動じているところは見せたくない。だからと言って、黙る事も出来ない。
私が言わなければ、他に言える選手など、この黒永には存在しないのだから。
「みーちゃん顔怖い怖い。にーっ♪」
と言って、未希は両手の人差し指を使って自らの口角をUの字に上げる。
「ん。むぅ・・・」
仕方なく、私もそれに倣う。
両手の人差し指で、口角を、上げ・・・。
「あはは! 変な顔ーっ」
「お、お前なぁ!」
「みーちゃんの変な顔で緊張抜けたし、いってくるわー」
楽しそうに笑うと、私の追及から逃れるようにぴゅーっとコート内へと入って行ってしまう。
加えて説明しておくと、未希のあの様子は特段、おかしくはない。おかしくはないと言うと誤解を生むかもしれないが、"いつもの彼女"があのテンションなのだ。
未希を見送ると。
「私も準備運動の続きをしてくる。あとは頼んだ、志麻子」
「五十鈴なら向こうの第4コートの方だと思うよ?」
「ああ。助かる」
シングルス3で勝てば、次の試合は私だ。
今から入念に準備しておく必要がある。
何せ敵は―――
(過去の対戦で2度負けた相手、新倉燐・・・!)
忘れたことなど無い。
忘れようがない。
黒永を率いる者として、同じ相手に2度負けた―――それも下級生相手に―――その恥を、どうして忘れることが出来ようか。
(私はもう、負けるわけにはいかない)
私にはどれだけ必死にあがいても、勝てない相手が1人居る。そんな"特別"な相手は、1人で良い。いや、1人でなければならないのだ。
その"特別"が複数人になった時点で、それはもう"特別"ではなくなるから。




