その後の彼女たち 後編
「七原さん、テニス部関東大会出場って本当!?」
「うん。おかげ様でー」
「すごいよすごい! 関東大会って都内で3校しか出られないでしょー?」
雨が降る中、登校してテニス部の部室に入るまでに、10人以上の人から声をかけられた。
その中には今まで話した事ないような先生とか、後輩の子とかも含まれてて、私たちテニス部が手にした栄光の大きさを、少しずつだけど分かり始めている。
「監督、いろんな人に挨拶してるね」
「親しそうにしてるけどさ、監督と話してるあの人、今まで見たことある?」
「さぁ・・・?」
監督の下を訪れる大人が朝から絶えない。
確かに初瀬田の監督はちょっと高齢の、大人な女の人だし、顔は広いのかもしれないけれど。
「私、ああいう大人たちって嫌い・・・」
ぼそっと風花が呟いたその言葉を、あたしは聞き逃さなかった。
(そっか)
風花はああいうのがイヤで、初瀬田に来たんだもんね・・・。
「風花。ごめん」
あたしは一言だけ、彼女にしか聞こえないような声で謝罪した。
もう一度、風花を舞台に上げてしまったこと、担ぎ出してしまったことへの―――
「響希ちゃん」
「うん」
「私は自分で決めたんだよ。もう一度、過去と向き合おうって」
「ん・・・」
「これからどんどん有名になって、どんどんいろんな人と会うことになると思う。でも、私はもうそこから逃げないよ」
あたしの左手の小指に、ちょんと風花の右手の小指が当たる。
風花は手繰り寄せるように、ゆっくりとその小指同士を結んで。
「響希ちゃんが隣に居てくれるなら・・・私は、何とでも対峙できる」
今は、それだけでいい。
「だから響希ちゃんが引け目を感じることなんて、なんにもないんだよ」
風花の体温を、少しだけど感じられる。
「・・・うん!」
―――それだけで
「みんなー、ほらお客さんに目を取られない! 今日からもう関東大会への戦いは始まってるんだからね! まずは準備運動、それから外周・・・雨だし20周ね!」
「えー、いっつもより増えてんじゃん!」
「雨でグラウンドが使えないから、基礎体力の練習するんでしょー。その後体育館に入って地味ぃーな体力トレーニングを1日やるから覚悟しなよー!」
「部長の鬼の部分に雨が火ぃ点けたぁ!」
「なんで雨なんか降るのよー!」
えへへ、とみんなの反応に微笑み返す。
「あたしらはチャレンジャー! 関東大会なんてランクが上の強豪校しか当たらないんだから、常に上を向いて向上心を持っていこう。それが初瀬田のテニスでしょ!」
そして堂々と胸を張って言うんだ。
「都大会3位はまぐれなんかじゃない! あたしらがあたしらの力で勝ち取った結果だから、初瀬田には負けた学校の分まで戦う責任があるんだよ!」
部長として、部員全員に向かって。
「風花、お願いね」
「うん」
風花と結んでいた小指を放し―――
「じゃあ準備運動から! 怪我なんてしたら絶対に許さないから真剣にね!!」
あたしは、みんなに支持を与える部長の役割を。
「「はい!!」」
誰よりも声を出して、率先して準備運動を行う風花は、エースの役割を、全うして。
(こんなもんじゃない。あたし達は、まだまだ上に行ける!)
そう信じて、一歩一歩。
関東大会へ、走り出す―――
◆
人通りの少ない自動販売機で炭酸飲料を買って、すぐに蓋を開ける。
ぷしゅっという気持ちの良い音が聞こえてきた。
「『ダブルスは終わったよ。2-0で白桜。これからシングルスだ。八重も、練習がんばってね』・・・と」
スマホのアプリにそう打ち込んで送信すると、画面にそれが表示されたのを確認したかしないかのうちに、スマホをポケットに突っ込む。
(不思議なものだな)
同級生や2年生より、会って数か月の1年生とここまで仲良くなるなんて、思いもしなかった。
運命の相手・・・などと言うと、少し大げさだろうか。
でも、これからもきっと連絡は取り合うし、高校へ進学してもそれは変わらないだろう。
(高校―――)
進路のことは、まだ考えていない。
何せ昨日引退したばかりだ。私立か公立か。それ以前に、テニスを続けるのかどうかも。
「・・・最上さん?」
不思議とその声には、聞き覚えがあった。
振り向くと、そこには見知った顔が。
「真壁さん」
「やっぱり最上さんだ。決勝、見に来たの?」
鷹野浦中学女子テニス部部長、真壁英莉。
何度もコートの上で戦った都内の良きライバルであり、部長としての真摯な姿勢には見習うところがいくつもあった、尊敬できる選手だ。
私もそうだが、彼女も私服。
白いワンピース調の服を着ていた。いつもユニフォームか鷹野浦のジャージ姿しか見ていなかったから、そのギャップに少し驚く。
プレー中は見せないが、どこか儚げな感じがあって、女性としても魅力的な美少女だな・・・と思わず感心してしまった。
「ああ。その服、良いね」
「え、あ。ありがとう・・・」
「かわいい服が着られて羨ましい。私はこの通り大女だから、似あう服も少なくてね」
今、着ているのも1番大きいサイズのTシャツと短パン。
「最上さんは頼りになるしっかりした女の子だからそっちの方が似合うよ」
「上手いな。さすが鷹野浦の部長だ」
「もう引退したから元だけどね」
「そうか。そうだったな」
改めてそれを指摘されると、自分でも現状を認識していられているのか、分からなくなってくる。
「最上さんは絶対に見に来てると思ってた」
「どうして?」
それから歩きながら、しばらく真壁さんと話をすることにした。
「私と一緒だから」
「ん・・・?」
「部長までやったんでしょ。じゃあ分かるよ。相当なテニス馬鹿だって」
彼女の言葉に、思わず黙ってしまう。
「あ、ごめん。急に馬鹿なんて」
「いや。違う。その通りだ」
図星だったからだ。
「私、引退してもまだ・・・テニスが忘れられないんだな」
そこで、初めてそのことに気づいた。
気づかされたと言うべきだろうか。
「そうだよ。そうじゃなきゃ、負けた次の日に試合なんか見に来る?」
真壁さんは優しく微笑みかけてくれた。
「私なんか、負けてから気づいたことの方が多いよ。準々決勝も準決勝も、会場で見てた。白桜と緑ヶ原の試合もね」
そうか―――お互い部長で、色々なところに気を張っていたから自分自身のことに気づかなかったんだ。
その任から降ろされて、改めて気づくことがあるなんて。
「きっとそれも、部長をやった私たちにしか、分からない事なんだろうな」
「おお。それ良いね」
「そうでも思わないと、やってられん」
私たちはお互いの顔を見合って、笑いあった。
昨日までは敵チームの選手とこんな風に笑いあうなんて、絶対に自分自身が許さなかっただろう。
だけど、今は違う。もうこの子は敵でもなんでもない。
テニスと言う共通の趣味を持つ―――そして3年間、学校は違ってもよく知り合った―――良き、友人だ。
「私には、まだまだ知らない世界があるんだ」
それを再確認した。
「あ、そろそろシングルス始まるよ」
「"スーパー1年生"水鳥文香と、"奇才"三ノ宮未希の戦いか。楽しみだな」
今、私は、テニスを心から楽しんでいる。
楽しいから、ここに来たんだ。
「行こう」
もっといろんなことを知って、もっといろんなことを考えよう。
その1つが進路であり―――これからの私について、だ。
時間がそんなにあるとは言えない。だけど、無いとも言えない。
私には今は見えていない選択肢が無数にある。
そのことだけは、頭から外さないでおこう。




