VS 黒永 ダブルス1 山雲・河内 対 那木・微風 5 "貴女と同じ時間"
「・・・隣がうるさいですね」
「試合、終わったのかな?」
隣コートの声援はイヤでも聞こえてくる。
6-6にまでもつれ込んだらしいっていうのは真緒から聞いてたけど・・・、一足早く、向こうの試合は終わったのかもしれない。
「あいつの試合、ぎゃーぎゃーうるさくなるから嫌いです」
瑞稀はツンと不機嫌そうな顔をしてそっぽを向く。
(藍原さんのこと、心配なんだね)
普段から、よく話してる間柄だ。気にならないわけがない。
瑞稀が他人と喋ること自体が珍しいのに、しかも後輩・・・楽しそうに話してる時だって少なくない。
そんな藍原さんの試合で、声援は聞こえてくるけど結果は分からない。モヤモヤするよね。
―――でも
「瑞稀」
ごめんね、藍原さん。
「浮気禁止」
今は、瑞稀は私のだから。
たとえ後輩を思っているのだとしても、ちょっと嫉妬しちゃうの。
「ち、違います! あたしは咲来先輩以外の事なんて本当にどうでもいいしっ」
「ホントかなぁ?」
「うぅ・・・。先輩のいぢわる」
困ったように眉を垂らして、降参する。
瑞稀のそう言う素直なところ、好きだよ。
「私たちもタイブレーク、頑張ろうね」
ベンチから立ち上がって、瑞稀に手を差し伸ばす。
「・・・あの」
そこで、いつもならすぐにでも手を取ってくれる瑞稀が、迷っている。
「?」
本当に訳が分からず、思わず私も呆然としかけていると。
「首輪、かってくれますか」
瑞稀は上目遣いで、少しだけ不安そうな目をしてこちらを見つめていた。
(ああ、そっか―――)
試合開始前に言っていたアレ、本気だったんだね。
相手の気持ちが不安なのは、私だけじゃなかったんだ。
飼い主にひたすら従順な犬と違い、猫は自らをピラミッドの頂点に置く。
だから、自分と飼い主以外の全ての存在を許せない。飼い主は自分だけを見ていなくちゃ、不機嫌になってしまうのだ。
瑞稀は・・・ううん、瑞稀"も"不安なんだ。自分以外の誰かが、私の中に居るんじゃないかって。
だから、飼い主に新しい首輪をつけてもらいたい。自分が1番なんだって改めて証明してほしい。無限に愛を注がれ続けてもまだ足りない、もっと。新しい何かが欲しい。彼女が言っているのは、そういうこと―――
「うん。一緒に良いの探しに行こう」
そして。
「本当ですか!?」
「私が瑞稀にウソ吐く理由、ある?」
―――それは、私も同じだから
ぶんぶんと首を横に振ると、彼女の大きなリボンがそれに反するように揺れる。
「・・・あたし、この試合が終わっちゃうの、少し寂しかったんです」
試合前、瑞稀が言っていたことを思い出す。
もう全国大会決勝まで残っても、あと数えるほどしか試合できない・・・って。
だから彼女にとって、この試合は私と共有できる数少ない貴重な時間なんだ。ただでさえ対戦相手は全国優勝の経験を持つ実力ペア。瑞稀にとってこの試合時間は、何にも代え難いもの―――
「でも、新しい先輩との時間が、これで出来ました。だから」
少しだけちらっと視線を外して、そして今度はもっと熱っぽい目で私を見つめてくる瑞稀を。
「この試合が終わっても、寂しくないです!」
抱きしめたくなる衝動を、必死で我慢する。
(抱っこは、試合が終わってから・・・!)
両腕をぐっと理性で押し付け、瑞稀の指先だけを手に取る。
「じゃあ、いこっか」
「はい!」
タイブレーク、絶対に取って見せる。
瑞稀の為、チームの為、そして私たちペアの為―――この試合を、悲しい記憶で終わらせないように。
◆
道端に散見する水たまりが、今日が"昨日の続き"だと思い知らせてくるようだ。
昨日の今日で、絶対にテニスなんか見たくないと思っていた。昨日は少なくともそう思っていたのだ。
だが。
(3年間・・・いや、もっとか。続けていたサイクルっていうのはなかなか変えられないものだな)
テニスを見たい―――
その気持ちを抑えつけられなかった。他の部員にも黙って―――私はもう部を引退した身だから関係ないのだが―――私はこの会場に、足を運んでいたのだ。
何なら、今からでも準備運動をして思いっきりプレーしたい気分だ。
"引退"をして1日でコレだよ。
(受験勉強、これからどうするかな)
考えるだけで、頭が痛い。
白桜と黒永の応援が交差する中、私のようにどちらの応援でもなくただ試合を見ているギャラリーも少なくはない。メディア取材やマスコミなんかはほとんどがそうだし、その関係者も結構な数居る。
―――そんな衆目が見つめる中、プレーする2組のペア、特に
山雲・河内ペアの方は、より気になる。
何せ。
(1週間前に、私は彼女たちに勝った)
確かに勝ったんだ。
フェアな状態だったとは言えないが、結果は変わらない。
私も八重も必死で頑張ったと言う、その事実もある。
(だが、どうだ)
今、展開されている試合の様子を見ていると。
「6-5。山雲・河内ペア」
―――お互い万全の状態で戦っていたなら、
「絶対に勝てなかっただろうな・・・」
全国優勝ペアを相手にマッチポイントを取った彼女たちを見て、改めて、その気持ちがぐさりと心の奥底に突き刺さった。
◆
(なんじゃあ・・・)
今の状態を俯瞰で見たら。
(なんじゃあこりゃあぁ!?)
自分に腹が立ってきた。はらわたが煮えくり返るタイプの怒りだ。
―――油断も驕りも無かった
―――こいつらに対して、研究も対策も分析もしてきた
その上で。
(なんで、負けかけとるんじゃ)
あたしらは、今まで何をしていた。
ここまで追い詰められるまでに、何も出来なかったのか。
自分では必死にやってきたつもりだった。それこそいつも通り以上の力を出して―――それなのに。
(なんで、こいつらに勝てん!?)
これが初めてじゃない。あの敵ペアにやられるのは3度目だ。
それでも、勝てないのか―――
その時、邪念が入った。
「!?」
ショットを打ち損じて、チャンスボールが上がってしまう。
―――負けた
その3文字が頭に入ってきて、もうそれしか考えられなくなった。
敵のくそムカつくリボンの2年生がスマッシュの構えに入り、打ち出された強力な一発が、あたしの横を抜けてい―――
「銀華あ!!」
くかと思われたそのスマッシュを、目いっぱい下がっていた弥生が、どうにか返す。
「諦めんな! 私たちは!!」
返したと言ってもチャンスボールだ。
高く上がったそのボールを、今度は3年生の方が落下地点に入り狙いをつけている。
「日本で1番強いダブルスペアなんだろ!!」
そこで、頭の中のスイッチがバチンと音を立てて切り替わったのが分かった。
ゆっくりとボールが落ちてくる。その間に、あたしもギリギリのところまで下がり。
「お前に言われんでもわかっとる!!」
両手でラケットを握って、"その1球"に備えた。
3年生―――山雲が放ったスマッシュが、コート上で跳ねたが、その跳ねり際を捉え、力任せに両腕であらん限りの力を使い振り抜く。
「「また上がった!」」
観衆からそんな声が聞こえてくる。
いわゆるスマッシュの連打を、あたし達2人が両方後衛に下がって決死に守り抜いているという形になった。あたし達が、ここまで泥臭い戦い方をせざるを得ない相手。
―――河内が、再びスマッシュの体勢に入る
(ここじゃ!)
テニスプレイヤーとしての本能がそう告げていた。
あたしの方に打ってくれば、絶対に返す自信はある。弥生もそのつもりだろう。
河内のことだ。あのくそ生意気な性格を考えれば、スマッシュ以外を打ってくることは考えづらい。
(ネット際に弱いショットを落とされたら終わりじゃ)
だが、やってこない。
これには変な確信めいた絶対の自信があった。
過去3度、戦ってきたからだろうか。こいつらは―――
(ここぞと言う時に、絶対に攻めの姿勢を崩さん!)
こいつらなら―――あたしと弥生の決死の防御を、それでも突き破って勝とうと考えるだろう。
「!」
確信通り、スマッシュが来た。
方向はクロス・・・弥生の方だ。弥生はそれをもう一度、返す。体力的にも気力的にも限界だろうに、再び河内のスマッシュを返したのだ。
また、ふわっとチャンスボールが上がる。
(弥生―――)
それを見上げたあたしは、何故か。
(楽しいのう!)
種類の分からない"笑み"が腹の奥から込み上げてきて、溢れてきてしまっていた。




