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私はエースになりたがっている!  作者: 坂本一輝
第5部 都大会編 3
198/385

VS 黒永 ダブルス2 月下・日下生ペア 12 "Serendipity"

 いくら息を吸っても足りない。

 少しでも気を抜いたら倒れてしまいそうだ。

 それでも今、ここに立っていられる理由は―――もう気力だけ。


(絶対に、負けない・・・!)


 わたしを動かすのは、その気持ちだけ。


 このみ先輩のサーブが敵コートに落ちて、それを相手がレシーブする。

 狙われるのは正面(わたし)

 こっちを狙えばロクなショットは返って来ないだろうという敵の作戦だ。


 気力を振り絞り、それを両手で返す。

 敵後衛はこのみ先輩には目もくれず、もう一度わたしを狙ってきた。


 ―――前衛(わたし)と後衛の勝負だ


 こうなってくると、こっちは強いショットを打ち続けるしかない。

 敵はワンバウンドしたボールを返す、わたしはノーバウンドでそれを返さなきゃならない。


(まだいける! まだ・・・!)


 3度目の返球を打ち返そうとした、その瞬間。


 鈍い音と、その後に乾いた音がした。


 ラケットがコートに落ちる音だ。

 打球は力なくコート上から逸れていく。


 わたしは自身の手のひらを見た。

 もう、手にも力が入らない。握力が、無くなってきたのだ―――


「3-4!」


 このみ先輩のサービスゲームを、ブレイクされた。


「藍原!」

「すみません、折角のサービスゲームを」

「そんな事より大丈夫なんですか!?」


 落ちたラケットを拾いながら、先輩が血相を欠いた表情をしている。


「大丈夫・・・じゃ、ないですね」


 そんな事は自分が1番よく分かってる。


「でも、まだです。まだ・・・負けてません」


 たった1度、ブレイクされた程度。

 これくらいで諦めるような弱い気持ちは、もう捨ててきた。


「先輩」


 だから、わたしは。


「"アレ"、使ってもいいですか?」


 この試合が終わるそのギリギリまで、攻め続ける。


「ふ・・・」


 先輩は唖然とした表情を見せた後、すべてを悟ったように込み上げてきた笑いを少しだけ吐き出して。


「やれるもんならやってみろ、です」


 わたしに、全てを託してくれた。


「ありがとうございます」


 そうだ。

 まだこの試合、アレを使ってない。

 わたし達の最終兵器はアレだ。アレを使ってもダメだっていう事実を突きつけられるまで、希望は消えていない。

 勿論、体力温存や不調のせいで使ってこなかったのが1番の理由だけど―――


(最終兵器っていうのは、『切り札』!)


 "ここぞ"って時のために、取っとくものだもんね!


(そのためには、まずレシーブを・・・!)


 サーバーは背の高い方。

 厳しいコースにコントロール重視のサーブを打ってくる方だ。ここでミスったら秘密兵器も何もない。


(1本集中!)


 予測通り、かなり厳しいところにサーブは来た。

 だけど、それは覚悟の上。わたしがしたこのサーブへの対策は、ただ1つ。


(芯じゃなくてもいい!)


 無理矢理、力づくで相手コートにサーブを押し返す!


「!?」


 それが上手くいった。

 そして、もう1つ。このとき、初めて起きた"現象"があった。


(いつもよりボールが揺れてる!?)


 わざと芯から外してガットの上っ面で捉えた打球が、まっすぐに飛んでいく。しかし、そのボールがいつもより大きく揺れているのだ。

 それこそ、"ブレ球"の領域を超えて"揺れ球"とでも言うべきほどに。


「くっ!」


 敵後衛の返球の勢いが鈍った。

 今の大きな揺れに驚いたのはわたしだけじゃなかったってことだ。


「このみ先輩!」

「わーってる!!」


 今だ。

 ここしかない。


 敵の"陣形(フォーメーション)"を崩すには、今しか―――


 このみ先輩が僅か後ろに体重を預け、斜め後ろにジャンプしながら小さな身体をフルに使ってスマッシュを叩き込む。

 威力が足りないのは重々承知の上。このスマッシュの目的はそこではない。あくまで目的は陣形を崩すこと。


 敵後衛を、コート真反対(クロス)にまで走らせて、わたしの正面のコート後ろ半分を無人にすること―――


 彼女は先輩のスマッシュを返す。

 明らかに弱いショットがわたしの前へと帰ってきた。


「藍原ぁ!!」


 ―――今だ


 わたしは膝を曲げ、しゃがむ。

 これだけで苦しい。もう再び立ち上がることなんて出来ないんじゃないかってくらい、太ももが重い。

 だけど、ここでやめるわけにはいかない。


 ―――わたしは、


「エースにぃッ!!」


 再び膝を伸ばし、下から上へ、ロブを上げるような感覚でボールをガットで捉え。

 出来る限り上回転をかける―――


「なるんだあ!!」


 ラケットからボールが離れていくとき、久々に真芯でボールを捉えた感触がした。


 その瞬間だけ。

 すべてがスローモーションに見えた。


 弧を描くように上へあがっていく打球。

 それを見上げるこのみ先輩。敵コートに居る2人―――

 一瞬だけ全ての音が無音になって、白桜側の声援も、黒永の応援団の応援も、雨の音も、何も聞こえなくなる。


 一瞬が明けた、その時。


 ―――ボールが重力に吸い寄せられるように降下を始め、


「いっけえええ!」


 ―――がくんと落ちて軌道を下げ、

 ―――敵コートに突き刺さる


 黒永のペアも、その瞬間だけは動けなかった。


「4-4!」


 ドライブボールが見事にコート内にインした、その瞬間だけは。


「き、決まったッス!」

「藍原さんの必殺」

「「ドライブボール!!」」


 白桜の応援団に、ようやく活気が戻ってきた。

 今日で言えば文句なしに1番盛り上がったのだ。


「はは、効果覿面ですね」


 このみ先輩が苦笑いを浮かべながら。

 自らのユニフォームで拭いたボールを、手渡してくれる。


「頼みましたよ」

「・・・はい!!」


 自然と、先輩に返事する声にも力が籠った。


(そうだ、このポイントはサーブで取れる)


 不思議と自信だって湧いてくる。

 わたしのサーブは絶対に決まるんだっていう自信が―――


 こういう乗っている時に打つなら、このサーブだ。


(フラットサーブ!)


 ボールに力が上手く伝達する。

 芯で捉えた気持ちの良い感触。それを敵サーバーの背の小さい方の人が、返せない。

 ボールは真後ろに力なく飛んでいったのだ。


「5-4!」


「「3連続サービスエース!!」」


 応援団にも力が出てきた。

 誰とも分からないけど、わたしのサービスエースの数を数えてくれているんだ。


 これで、試合をもう1回ひっくり返した―――


 その勢いのまま、このみ先輩は敵サーブをレシーブすると、逆コートまで走って更にそれも返す。


「どこにそんな体力が残ってたのです!?」


 縦ロールツインテの人が驚嘆の声を上げた。

 敵からしても、ここに来てのこのみ先輩の動きの良さは想定外のことだったのだろう。

 わたしだってそうだ。

 あの小さな身体のどこに、それだけのエンジンが―――ガソリンが積載されていたのだろう。


 小さなわたしの先輩は、


「ッぃ!!」


(やっぱり、最高の相棒だ)


 このみ先輩のジャンピングスマッシュが、今度はしっかり決まる。


「6-4」


 とうとう、ここまで来た。


「「マッチポイント!」」


 この試合、初めてそれを迎える。

 何度も何度もチャンスはあった。でも、敵ペアの必死の抵抗で、叶わなかった"それ"に―――わたし達は今、手をかけている。


(このみ先輩のサービス)


 焦らず、じっくりと、着実に。

 1本1本のサーブを、ステップを、ショットを。

 その全てに想いを乗せて、こういう時だからこそ、初心に帰って当たり前のことを当たり前にやっていく。


「藍原ぁ! いけえ!!」


 気づけば先輩の声が、遠くなっていっていた。

 遠くで、だけどちゃんと聞こえる。

 そしてわたしが捉えたのは―――少しだけ浮いた、短いストロークのチャンスボール。


 目のレンズを絞る。

 そこにだけ、視点を集めて。瞼が壊れるんじゃないかってくらい目をかっ開いて。

 周りの情報を全て遮断し、そこにだけ力を込める。


 残った全ての力を左腕に乗せ―――ボールを、引っぱたく!!


 ラケットからボールが放たれたのと同時に、がくんとわたしの膝から力が抜けていくのが分かった。

 その後先がどうなったのかも分からないまま、その場にうつ伏せになって倒れ込む。


 ―――だけど


(しっかり聞こえたよ)


 万理や、海老名先輩の声。

 それも―――喜んでくれてる、黄色い声。


 そして。


 ゲームアンドマッチ、という審判の判定(コール)が。


 それが聞こえたと、ほぼ同時だっただろうか。うつ伏せになっていた身体を、ごろんと180度まわして仰向けになった時。


 視界に、眩しいほどの光が差してきた。

 目を覆うほどの鉛色から、僅かではあったけれど―――真っ青な空の色が見えてきて。


「遅いよ」


 口から弱弱しく、半分泣きごとみたいな、そんな言葉が漏れた。


 ―――もう、試合終わっちゃったじゃん


 そんなわたしの心情とは正反対に、空の青い部分は大きくなっていく。

 陽が差してくるのと同じくして頬を濡らしていた雨粒も降って来なくなり―――いつの間にか、テニスコートの水たまりに、青空が反射していた。


 わたしはそれを横目で見ながら、このみ先輩が心配を通り越して泣きそうな声で駆け寄ってくるまでのしばらくの間。

 おでこに左手を乗せて、コート上で仰向けになっていた。


「ああ、なんだ。空って」


 それはさながら青空の中に抱かれているみたいで。


「こんなに青かったんだ―――」


 勝利を祝福するように現れた雲の向こうの景色に、ただただ見とれていた。

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