VS 黒永 ダブルス2 月下・日下生ペア 6 "言葉だけじゃ伝わらないこと"
「藍原、大丈夫か。しっかりしろ」
監督が戻ってきた藍原に言葉をかける。
(ああ、隣からだとよく分かりますね)
今のあいつ―――監督の言葉を聞いてない。
本人が意図的に無視しているとかじゃなくて、言葉が届いてないんだ。意識としてはちゃんと聞き取ろうと努力しているはず。
だけど、それを理解できていない。
まさに右耳から入った言葉が左耳に抜けていく感覚なのだろう。
(こうなっちゃうと、他人がどうこうとかじゃない)
自分で立ち直ろうとしないと、今のあいつに何を言っても無駄だろう。
(雨・・・か)
たったこれだけの事が、さっきまで好調だった藍原の調子を完全に狂わせてしまった。
(恨みますよ)
あの勢いと調子だったら、この試合、恐らく楽に勝てただろうに。
敵ペアも試合が進むにつれて連携が取れてきている。
元々実力のある選手同士。それが実戦の中でお互いのことを理解し始めているんだ。
―――こういう時
私が出来ることは、1つしかない。
「行きますよ」
「あ、はい」
こういう時、こういう状態の相手に下手なアドバイスは逆効果だ。
だから。
「私のサインだけ、ちゃんと見とけです。これは?」
人差し指を立てて、一度引っ込めて今度はチョキのサインを出す。
「ドライブボールのサイン・・・ですよね」
「そうです。さすがにサイン無視したら、私も怒りますよ」
「え・・・」
返事を聞かないまま、コートへと戻っていく。
(アドバイスをしなきゃいけない時もある)
それは経験の少ない1年生とペアを組んでいるんだから当たり前のことだ。
だけど、アドバイスだけで、言葉だけで全てが解決したらこんなに楽なことは無い。
―――私たちは、
背の低い選手が打ったサーブを、しっかり踏み込んで思い切り叩く。
(テニスをやってるんです!!)
言葉じゃない。
プレーで。そのショットで。コートを駆けることで。ボールを追うことで。
それでしか分からないことがある。
(1つ1つのプレーの大切さ、それを思い出すこと!)
"自分自身"が意図せずポイントが削られていっている今の状況だから、それが必要なんだ―――
逆クロスのコート隅に来たボールを拾う。
あいつが苦しいなら、先輩である私がカバーしてあげなきゃ。
藍原に頼るばっかりじゃない。こういう時に試合を崩さないことが私の仕事なんだ。
(藍原、)
コートの隅から隅まで走って、再び来た長いストロークのショットを返す。
敵は完全に私を揺さぶって藍原にボールを渡さない腹積もりだ。そういう作戦に切り替えた。
―――だったら
(お前は私が守る!)
―――私が点を取る!
敵のフォーメーションがあまり乱れていない今だから、長いストロークで勝負しようとしている今だから、これが最も有効になるはずなんだ。
ラケットのガットを限りなく上に向けて、片手一本で振り抜く。
それはさながら上にボールを打ちあげるような感覚。
「チャンスボール!」
「いや、違う! 上がり過ぎてる!?」
上空に高く舞い上がったボールが、ゆっくりと下降を始める。
重力に引き寄せられ、ただ単純にボールが落下してくるのだ。
「月下!」
「日下生!」
敵のペアが2人同時にお互いの名前を呼び。
―――気づけば
ぽーんと。
2人の間に、ボールが落下していた。
そして思った以上に大きくバウンドしたそのボールは、後衛が思い切り上に伸ばしたラケットの先を通過して後ろに転がっていく。
「0-15」
「「はあ!?」」
よっし、と小さくガッツポーズする私をよそに。
「今のはアンタでしょ!」
「いや、下がって打とうとしたら思った以上にボールが伸びた。あれ以上下がってたら衝突の危険があると思ってやめたんだ」
「あたし、名前呼んだのです!」
「私だって名前呼んだよ」
敵ペア2人がぎゃーぎゃー言い合いながらもちゃんと確認を取りはじめた。
「あーあー、次からは対策されますね。あんな奇襲が使えるのは1回きりですよ」
「先輩。今の・・・」
「たまたまですよ。向こうのペア、それほどコンビネーションが得意にも見えなかったんで一か八かで打ったら上手くいったみたいです」
「上手くいったって、失敗したらただのチャンスボールじゃないですか!」
「藍原」
ああ、今ので100%そうだと確信できた。
私はちゃんと視線を藍原の目に合わせ、目の奥の奥を見ながら。
「お前は何を怖がってるんですか?」
彼女の、本心に問いかけた。
「・・・」
「別にお前を責めようとか、糾弾しようとか、そんなことまったく考えてないから安心していいですよ」
いつもは威勢の良い藍原が、ここまで萎縮してしまっている。
この大舞台、いつもと違う環境、敵のレベルの高さ・・・仕方がないのかもしれない。
だが、それでも。
ここに立つ以上、そんなことは関係ない。
ここでは勝利こそが正義であり、それが全てだ。どんな理由があろうとも、それを追い求められなくなったらここに立つ資格なんて無い。
「私に、ついてこい」
だから、私は、先輩として。
「調子が悪いなら、無理だと思うなら無茶なんてしなくていいんですよ」
このペアの司令塔として。
「このコートの中には、お前の隣には私が居るんです」
後輩に、言わなきゃいけないことがある。
それは―――
「私を頼れ!」
単純な、その一言。
「私がお前を助けてやるです。お前の調子が戻るまで、私がメインをやります。藍原、お前は私のサブにまわって私が追いきれなかったボールを拾ってくれるだけで良い」
今までずっと藍原に助けられてきたから。
今度は私が、藍原を助ける番だ。
「先輩っ・・・」
じっと藍原の瞳だけを見ていたから、分かる。
この子の瞳が今、すごく潤んでいることも。
今まで見たことの無いような弱弱しい目をしていることも。全部。
「すみません、今の作戦、お願いできますか」
「謝るなよ。私たち、ペアでしょう?」
こんな時だからこそ、軽口を叩く。
私たちはそう言う関係性でここまでやってきたから。時に喧嘩して、言いたいこと言い合って、それでも互いを尊敬しあえるような関係を、築いてきたはずだ。
「・・・はい!」
「よし。じゃあ次、レシーブ頼みましたよ。威力が弱くてもなんでもいいからとにかく敵コート内に返すことだけに集中してください」
藍原は小さく頷き、ゆっくりとサーブ位置へと歩いていった。
―――敵のサーブが飛んでくる
やっぱり、あの背の小さい子のサーブは威力も高いしスピードも速い。
コントロールに特化した背の高い方とは真逆のサーブだ。身体能力や才能という面では、背の低い子の方がずば抜けてあるのだろう。
「っ!」
藍原はそれを苦しい形ではあったが何とか相手コートのど真ん中に返す。
レシーブとしては赤点の内容だ。だけど、今はそれでいい。
さっきサーブを放った背の低い方が、それを強打して返してくる。
威力の高いボレーショット。本当ならこんなものに触りたくないけれど、私が触らなかったら藍原はこれを返せないだろう。一瞬でそれを判断すると。
「くっ!!」
両手を使って全力でそれを振り抜いたが、ボールはまたも高く上がってしまう。
しかも今度は意図的に上げたのではなく上がってしまったチャンスボールだ。
「月下! 決めるのです!!」
前衛の背の高い方がスマッシュの体勢に入っていた。
(どうするっ)
スマッシュを決められたら前衛の私ではどうしようもなくなる。
そして案の定、威力の高いサーブが私の横を抜けていく。
反応が出来なかった。
1ポイント取られたのを覚悟した、その時―――
「んっあああああ!!」
何事かと思うほどの叫び声と同時に、スピードの速いショットが私の背後から横を抜け、相手コートの隅にギリギリ入った。ライン上だ。
私はハッとして、後ろを振り返る。
「はあ、はあ・・・」
そこには真っ青な顔をした藍原の姿があった。
「ど、どうだ。すごいでしょ!?」
その真っ青な顔のまま、彼女は引きつった笑顔で笑うのだ。
「0-30」
どう見ても、強がり。
そして今のスマッシュを返したショットも、偶然ラインの上に乗っただけで、本人もまさか入るとは思っていなかったのだろう。その事が手に取るように分かる。
でも、それだとしても。
「ああ。大した奴ですよ」
藍原―――このボロボロの状態で、まだあんな強いショットが打てるんだ。
私はそのことを、素直に驚いていた。




