VS 黒永 ダブルス2 月下・日下生ペア 5 "暗天"
ぱらぱらと小雨が降る中、それでもいつもと同じように試合は再開される。
(くすぐったいな)
肌に直接当たる雫とか、ちょっとだけ濡れたユニフォームの感じとかが何か今までと違う。
靴の中もぐちゃっとしてきて、気持ち悪くなってきた。
それに何より―――
(重い)
服や靴が、今まで感じたことの無い重みを持っている。
べとっとした感覚も嫌だけど、これだけ走り回る中、それが不快で仕方がなかった。
走っていても常に視界に雨粒が入って鬱陶しいし、目に入るんじゃないかっていう変なストレスもある。
「もうッ!」
だけど、今は。
「0-15」
―――力任せに叩いた打球が上手いことコートに入ってくれた
その気持ちすら、プレーにぶつけて力に変えるしかない。
「先輩、これ気持ち悪いです~」
「慣れるしかないですよ。私だって雨は嫌いです」
このみ先輩に甘えても返ってくるのは喝の言葉だけ・・・いや当然なんだけど。
(そうだ、今は試合中)
わたしの勝手な都合で誰かに甘えて良い時じゃない。
今までだって汗で濡れる感覚はあった。あれと同じようなものだと思えば―――
「えいっ!」
高めにバウンドしたサーブを叩いて、レシーブする。
「!?」
―――しかし
「15-15」
そこでわたしは、初めての感覚に襲われた。
(ボールが、沈んだ・・・?)
正確には違う。
思ったように打球が上がらなかった、だ。
力負けしたわけじゃないと思う。だけど、まるでボールじゃないものを打っちゃったような感覚で。
―――ボールに上手くパワーが伝わらなかった?
(頭切り替えなきゃ)
既に敵プレイヤーがサーブの構えに入っている。
向こうの背の高い人、特別サーブにパワーやスピードがあるわけじゃないけど、嫌なタイミングとか間で打ってくる。コースも厳しいしコントロールがかなり精確だ。
サーブがわたしの横を通り過ぎていき、直後に少し乾いた音が聞こえてきた。打ちづらそうな音。
レシーブをする先輩も、あの"嫌なサーブ"に苦戦しているのが伝わってくるよう。
―――その瞬間
ふっと、視界に敵前衛が入ってきた。
(まずいっ!)
この至近距離だと、下手したら頭や顔に"ぶつけられる"。
悪寒のような嫌なものが背筋を走ると、反射的にばっとボールを避けるような体勢に入ってしまう。
「30-15」
当然、前衛が避けたボールを後衛が拾えるわけもなく。
低い弾道のショットがコートの真ん中近くを抜けて行った。
「藍原、なにボールから逃げてるんですか!」
「す、すみません! ちょっと目が・・・」
「雨でも入ったんですか?」
「そうじゃないんですけど、空目したっていうか」
雨粒で相手プレイヤーとの距離感覚がおかしくなったんだ。
冷静になって考えればそれだけの事だったのに、咄嗟の判断で間違えてしまった。
(どうしよう・・・)
わたし、今ちょっとおかしい?
(ダメだダメだ。余計なこと考えちゃ)
折角良いリズムで来れてたのに、こんなことで勿体無い。
そこに、あの嫌なサーブが飛んでくる。コースが厳しく、サービスコートのギリギリをついてきたそのサーブに、少しだけ反応が遅れてしまった。
「!」
ラケットの根っこで打ったそのショットは、ぽーんと高く上がって、そのまま敵コートの脇へと流れて行った。
「40-15」
また、レシーブに失敗する。
こんな簡単にポイントが取られていくの、久しくなかったのに―――
「ゲーム、月下・日下生ペア。2-2」
結局そのゲームはまったく巻き返すことができないまま落としてしまう。
わたしは何が何だか分からないうちに負けていくこの感じが少しだけ怖くなっていた。
何も出来ない、何もしてないのにどんどん点だけは取られていく。
自分に何が出来るのかを考える余裕もなく、気づいたらこのみ先輩からボールを受け取っていた。
(わたしのサーブだ・・・)
そうだ。
ここで点を取って、一旦フラットな状態に戻そう。この嫌な流れを切るんだ。
(1番得意なサーブを叩き込む! それだけに集中して―――)
このみ先輩からのサインを見て、それで少しだけ勇気が出てきた。
"クイックサーブ"。これをしっかりと打ち込んで、逸った気を取り戻せ。先輩はそう言ってくれてるんだと心の中で感じる。
低いトスを上げて、それに合わせるようにタイミングをワンテンポ速く、1番打ちやすいわたしのタイミングでサーブをインパクトする。
それが見事相手サービスコートに入ったのだ。焦ってコントロールが乱れるかと思ったけれど、思いのほか集中することが出来ているようだった。わたしだって何万球と打ち込んできたサーブをそう簡単に乱すほど、ヤワな練習はしてきて―――
「!」
だから。
簡単にそれがレシーブされたのを見て、多少動揺は生まれたと思う。
「0-15」
敵プレイヤー―――背の低い方の人が放ったレシーブが、コートの最奥に突き刺さって抜けていく。
(リターンエース・・・)
綺麗に決められた。
まるで絵に描いたような返され方だ。教科書通りどころか、お手本にしたいくらいの美しいリターンエース。それを、何よりも自信を持っている"わたしのサーブ"でやられたことが、心臓を真正面から射ぬかれたような気分にさせられて、ドクン・・・とそこが痛んだのを感じた。
「藍原」
「は、はい!」
このみ先輩の声に、ぱっと顔を上げる。
「今のは綺麗に返されましたね」
「すみませんっ」
「コースが甘かったですよ。もう少し厳しくいかないと、黒永は返してきます」
先輩はそこでひとつ、息を吸い込むと。
「私たちが戦ってるのは全国制覇したこともあるチームだってこと、頭の片隅には置いとけです」
―――っ!
それを聞いた瞬間、緊張の糸が千切れる寸前までピンと張られたのがわかった。
(相手は、全国でもトップレベルのチームなんだ)
今までの敵とは文字通りレベルが違う。
中途半端な攻撃や、中途半端なサーブが通用する相手じゃない。そんなの分かりきってたじゃないか。
ありがとうございます、先輩。
わたしも再確認できました。黒永に勝つには―――わたしの120%を出し切るしかないんだって。
(もっと厳しく―――)
コースも、威力も、サーブ自体の質をもっともっとシビアに設定して、最高の力を出さなきゃ、勝てる相手じゃない。
(もっと強く―――)
右手でトスを上げながら、頭の中で何度も反復する。
わたしのサーブが通用しないなら、するようにしなきゃならない。それがここに立ってるわたしの負った役目と責任なんだ。出来ません、だから負けますなんて絶対に通らない!
(絶対に返されないサーブを!)
打った瞬間、上手く決まったと思った。
芯を捉えたし、何より手応えがあったのだ。
しかし。
「フォルト」
「えっ」
思わずそう言葉に出して、審判の方を見てしまった。
観客からも一瞬、ざわっというどよめきがあって、その後、黒永の応援団が大拍手をして場を盛り上げてくる。
「ギリ入ってませんでしたね。でもコース自体はすごく良い。今の調子ですよ」
「はい・・・!」
このみ先輩の言葉に軽く頷いて、もう一度サーブ位置に立つ。
手ごたえはあった。コースも悪くない。今のをもう1度やれば、良いサーブが打てるはずなんだ。
右手でトスを上げ―――打ち込む!
「フォルト。ダブルフォルト」
サーブの弾道が、全然低かった。
ネットにぶつかってしまい、こちら側のコートにボールが落ちてくる。
「0-30」
ゾッという悪寒が身体中を包んだ。
全然、ダメだった。自分でもそれが分かるくらいにダメなサーブだったのだ。さっきと同じようにやったはずなのに、手応えもなければコースもメチャクチャ。
「くーろーなーがー」
「月下! 月下!」
「日下生! 日下生!」
統率の取れた応援が、敵のペアを完全にバックアップするような応援をしている。
白桜応援団の声が、小さい―――かき消されそうなほど、向こうの応援団が、声量がすごいのだ。ウチの応援団に、こんな事を思うのは初めて。今まであの応援が何かにかき消されるなんて経験、一度も無かったのに。
それに加えて、試合の流れが傾き始めている。
この、わたしのサービスゲームを落としたら・・・完全に向こうの流れになってしまう。
(どうしよう)
そんな事、頭の中では完全に分かってるつもりだったのに。
「フォルト」
身体が全然、言うことを利かない。
「ダブルフォルト」
もしかして、わたし、
「ゲーム。月下・日下生ペア。3-2」
"何か"に、脅えてるんじゃないの? 何に―――?




