月下心
半ば監督命令のような形でダブルスを組むことになったあたし達。
確かに月下は気に入らないがテニスが下手なわけではない。曲がりなりにも最強世代と言われる黒永学院で2年生レギュラーを勝ち取っている女だ。
そして、あたしは小さい頃から天才と騒がれてきた"黒永2年生のナンバー1"。
この2人が組むのだから、ある程度のレベルのダブルスにはなる。
・・・違うな。なってしまう、と言った方が正しいだろう。
「あたし、アンタのこと嫌いなのです」
2人きりのダブルス練習を終え、コートから引き上げて行こうとする月下に、その言葉をぶつける。
「・・・知ってたよ」
月下は静かに呟くだけで、怒りもしなければ嫌な顔ひとつしなかった。
こんなにまっすぐ、自分を否定される言葉を投げかけられたと言うのに―――そういうところが、あたしは嫌いなんだって、こいつは分かっていないのか。それとも分かっててわざとやってる?
「アンタを見てると、自分が惨めになってくる」
あれはいつの事だっただろう。
練習場から寮への帰り道、先輩たちと熱い会話をしている月下とすれ違った時のことを思い出していた。
「アンタくらいの才能で、黒永のレギュラー・・・。正直、尋常じゃないのです。あの先輩たちに混じって朝1番早くから夜1番遅くまで、毎日毎日歩けなくなるまで練習して」
そうだ。
こいつを見ていると、嫌悪感を抱くようになる。
嫉妬―――そう呼んでもいいかもしれない。
「どうしてそこまで出来るのです!?」
気づくとあたしは、そう叫んでいた。
「所詮、中学の部活動でしょう!? どうしてそこまで・・・。まるで命でも懸けてるみたいに!」
誰だって手を抜きたい時だってある。今日はやりたくないって思う時だってある。
そうじゃないの? あたしがサボり症なだけ?
違う、違うよね。
違うっていう確証が欲しかった。
月下が異常なんだって、誰かにそう言って欲しかった。
「命でも懸けてるみたいに、か・・・」
彼女はそう零した後、数秒間何かを考えるように黙り込んで。
「でも、そうなのかもしれない」
こちらにくるりと振り返り、あたしの方をぼやっとした視線で見つめてきた。
「私には背負ってるものがあるから・・・。だから、日下生にはそう映るのかな」
「背負ってるもの?」
「ああ、ちょっと違うかな。正確には背負わされてるもの・・・だと思う」
なにこいつ。
急に意味深なこと言い始めて。
そこまで言われたら―――
「何なの? それって」
気になっちゃうじゃない―――
あたしは興味本位で、口にした。
月下の奥・・・"核心"に触れようとする言葉を。
「あんまり他人にするような話でもないんだけどね」
「いいから言いなさいなのです!」
売り言葉に買い言葉。
あたしはいつもの調子で、そんな風に返してしまった。
なかなか口を割ろうとしない月下にイライラしていたとか、そういうようなくだらない理由で。
「私の家って、あんまり裕福じゃない・・・、貧乏なんだ。すごく」
「・・・!」
ここで、初めて気づいた。
あたしはなんて無神経なことをしてしまったんだろうと。
「私には歳の離れた姉妹が5人居る。私を含めて6人姉妹だよ。そんないっぱい産むから貧乏になるんだって、ちょっと考えればわかるのにね」
踏み入れてはいけないところに、足を突っ込んでしまったのだろうと。
「両親も2人共働いてるけど、やっぱりお金が足りない。その上、私は小さい頃にテニスを好きになって・・・。普通、良い親ならやめろって言うでしょ? ウチは違ったんだ。・・・母さんも父さんも、応援してくれた」
やめて。
もう、いいから。
「私は必死でみんなの期待に応えようとしたよ。そんで、ある程度は応えられた。それを見てくれていた黒永のスカウトが、私に言ったんだ。『特別な枠で黒永に入ってみないか』と」
聞きたくない、そんな話。
「その勧誘は特待生とはまた違う、特別な制度への誘いだった。テニス部に入って、黒永側が設定した条件をクリアし続ければ学費その他もろもろは全て免除・援助してくれるって」
あたしが聞きたかったのはこんな話じゃない。
「迷ったよ。テニスを続けるだけなら公立の学校に進学すればいい。でも、それでも私という人間が生活していくだけのお金はかかる。黒永の条件はそれも請け負ってくれるっていうものだったから。すごいよねテニスの名門って、こんな無茶が通るんだもん」
月下は、こいつは―――
「一か八かだった。私は両親と何度も相談して、黒永に入学した。入学して最初に提示された条件は夏の全国大会終了までに2軍の2年生全員に勝つことだった。言われた瞬間気が遠くなったけど、私に拒否する選択肢なんて無い。まわりの1年生にすら劣っていた私が上級生に勝つには、」
本当に、生活を懸けて。
「死ぬ気で練習するしかなかった」
テニスをしているんだ―――
「私のブレーキが壊れた状態で突っ切るような無謀さを、綾野先輩は評価してくれた。部長は褒めてはくれないけど、私が完全に壊れないように練習をコントロールしてくれたと、まあ勝手にだけど思ってる。先輩たちの何人かにはこの話もしたよ。それを含めて、あの人達は私を受け止めてくれたんだ」
あたしは黙り込んでしまった。
何も言えない。
こんな話をされた後、何を言えばいいというんだ。
「幸か不幸か、私にとってこの黒永はとても合ってる環境だったんだ。今のところ、学校側が提示してくる条件もクリアし続けてる。だからさ」
話を終えた月下は、少しだけ寂しそうな笑顔を浮かべながらこちらを見遣って。
「泣かないでよ」
目からあふれ出てくる涙を必死に我慢しながら、それでもできずにしゃくり上げているあたしに。
「こんな私のために」
そう、語り掛けてきた。
「べ、別にアンタの為に泣いてるんじゃないのですっ・・・」
「ちょっとさすがに無理があるんじゃない?」
「月下の話とは全然違うことで・・・っ、泣いてるだけだじ・・・! 目にゴミが入っただけだしっ!」
どれだけの量のゴミがどれだけの深さまで入ればこれほどの涙が出てくるかは分からない。
だって、ウソだから。
100パーバレてるだろうけど、あたしは月下のことで泣いている。
でも。
「ホントに違うんだからっ」
こいつに同情して泣いたなんて、かっこ悪くて。
それを見られたっていうのがどうしようもなく恥ずかしくて。
「悲しくなんか全然ないのでず・・・!」
やっぱり、泣けてきちゃうんだ。涙が止まらない。
月下に対する嫉妬、嫌悪、同情、虚しさ、許して欲しいと言う贖罪、怒り、尊敬―――いろいろな感情がドロドロになって溶けて、それが両目から身体の外へあふれ出ていくようだった。
「もう。ウソばっかり」
月下はあたしの背中をさすり、また少しだけ微笑みながら優しく。
「私も知らなかった。日下生がこんなに私のために泣いてくれるなんて」
「う゛ぅ・・・」
「優しい子だったんだね。勘違いしててごめん」
違う。
そうじゃない。
何が違うのか分からないけど、多分違う。
何故かは分からない。
でも、月下にこんな風に肯定されるのは、あたしの中に残った最後の本当に小さな小さなプライドが、許さなかった。許せなかった。
あたしにだってプライドはある。それはこいつと張り合いたいという見栄とも言えるものだった。
たとえそれが虚勢でも、月下に完全に弱みを見せて甘えることなんて、あたしには無理なんだ。
そうだ。あたしはいつしか、この月下心という女と張り合うことを、"心の拠り所"にしていた。
――――だからこんなに嫌なんだ
「決勝・・・アンタに全面的に協力するのです。あたしだって勝ちたい。ダブルスも出来るって証明もしたい」
「日下生」
「でもね、言っとくけど」
だからこんなに、この期に及んでも。
「アンタのこと認めたわけじゃないし、アンタのことなんてやっぱり嫌いなのです」
素直になれないんだ―――
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