VS 黒永 ダブルス2 月下・日下生ペア 3 "やりきれない"
―――才能
その言葉に、そのものの力に、そしてその幻想に。
一体どれだけの神経を、気持ちをすり減らして来ただろう。
例えば、今対峙する、白桜の1年生。
(1年生の初めての大会、しかも決勝戦でスタメンに選ばれるなんて)
相当の才能に恵まれていなければそんな事は不可能だ。
彼女の放つ、全く性能の違う3つのサーブ。
あんなものを自在に操れる時点で、才能の塊であることに違いは無い。
今、私の後ろでサーブを放った彼女―――日下生佳恋だってそうだ。
彼女はテニスをやる上で必要な才能のほぼ全てを高い水準で持っている。
本人はレギュラーじゃない事をコンプレックスに思っているようだけど、それは私たちの先輩たちがすごすぎるだけで、焦らなくったってそのうち必ず黒永を支える存在になるはずだ。
(じゃあ―――私は?)
2年生で黒永のレギュラー、しかも最強世代が上に居る中でその地位を勝ち取った。
才能が無いと言えば嘘になる。
でも。
自分で自分の事を才能があるだなんて、一度も思った事が無い。
部長にもいつも怒鳴られている。
あの人に褒められたことなんて一度だってない。
それは私に才能が無いからに他ならない。下手だから、才能がある子たちに追いつくには死ぬ気で練習するしかないのだ。部長とのマンツーマンのレッスンは、その最たるもの。
(人の3倍はやらなきゃ、私は人並みになれない)
その事に気が付いたのは、私が黒永に入学してすぐの事だった。
愕然とした。
まわりはどの子も見たことが無いくらい強いショットを打てて、コントロールも良くて、ステップやフォームの技術も一流で、それでいて体力もある。
私なんかがここでやっていくには、ひたすら練習するしかないと直感した。
死に物狂いで努力して、今の地位に居続けなきゃ、私は―――
そんな脅迫観念にも似た何かがあったんだと思う。
私には失うものがたくさんあるから。だから、失うわけにはいかないんだ。
(今だって、そう!)
あっという間に1ゲーム先取された。
いくら相手のサービスゲームだったとはいえ、あまりに簡単に1ゲーム取られてしまったのだ。
『1球に対する執念が足りない』
部長が私を怒るときによく使う言葉だ。
(そうなんだ)
1球に対する想い、それが足りないから簡単に点を取られる―――だから。
「絶対に通さない!」
試合開始から終了まで、全てのボールをその気持ちで追いかけてみろ。
部長の言葉が、いつになく頭にぽんぽんと浮かんでくる。
―――抜けそうだったショットを、最後の最後まで全力で追いかけて必死に拾う
相手コートに返ったボールを、敵後衛の背の小さな3年生が強打してくる。
しかし―――
「ッ!!」
それを、日下生が見事なボレーを相手コートの隅に打ち返してくれた。
「30-0」
日下生は一瞬だけ表情を明るくさせたが。
「ふんっ」
私の方を見るなり、ぷいっとそっぽを向いてしまった。
お礼の一つでも言いたかったのに。
(チームワークは最悪)
元々、仲の良い方ではなかった。
ダブルスを何度か組んだことはあったものの、なかなか上手くいかなくて。
試合に出るためならダブルスでも何でも良いというスタンスの私と違って、日下生は生粋のシングルスプレイヤー。そのプライドもあったのだろう。なかなかダブルスに本気になってはくれなかったのだ。
―――それでも
彼女は言ってくれた。
今日の試合は全面的に協力する、と。
(シングルスプレイヤーのプライドを、今日だけは)
"あの時"の彼女を思い出せば、その言葉が嘘じゃないことはどうあっても揺るがない。
それでも、なかなか素直になってくれないのは私のせいなのか、どうなのか。
こっちだって最大限に歩み寄っているつもりだ。
でも、なんだろう。
ぺこぺこ頭を下げて協力を乞うのは、私の中でも何か少し違うような気がした。
「素直になれないんだ」
それは私も同じ。
全面的に日下生の下へ行くのはイヤなんだ。
こんな時、吉岡先輩だったら。
上手に立ち振る舞って、どっちとも上手くやれるんだろうなぁ。
そう考えるとあの人はやっぱりすごい。
普通、どんな人とも上手くやれるなんて出来ないもの。誰にだって自分にしか分からないような意地やプライドがある。
勿論、吉岡先輩にそれが無いというわけではない。あの人はそれすらも武器にして受け入れるような器量の大きさを持っているのであって、それとこれとは話が全然違ってくる。
―――その吉岡先輩を差し置いて
私は、試合に出ているだ。
(中途半端なプレーをして)
―――許されるわけがない!
黒永100人の代表として、この舞台に立つことを許されている。
だから、私は日下生と無理に強調するよりも、自分の役割を全力で果たす方法を選んだ。その方がお互い、やり易いだろう。
「日下生!」
チャンスボールが上がったのを確認すると同時に、そう叫んでいた。
「うるさい、分かってる!」
それを彼女は思い切り、そして迅速に。
相手コートに叩きつけ、その間を割っていく。
「ゲーム、月下・日下生ペア。1-1」
とりあえず、自分たちのサービスゲームをキープした。
一安心と言ったところだろうか―――
「ナ」
イススマッシュ。そう、口に出そうとした瞬間。
自分の中の何かが、口まで出かけたそれを捕まえて、無理矢理お腹の中に押し戻した。
「何なのです」
日下生の嫌そうな視線が、私に向けられる。
「・・・別に」
対する私も、嫌そうにつぶやいて。
お互い、また歩み寄ることが出来ずに顔を背けあった。
(何がそんなに嫌なんだろう)
彼女の仕草や言動に一つ一つが、癪に障る。
どうして? 同級生のライバルだから?
ううん、ライバルなんて言葉を使うほど、私と日下生は近くなんてない。
『敵』―――そう表現するのが正しい。
ただ、今はその敵同士が同じ側のコートに立っている。だから場当たり的に協力関係にあるだけであって。
私は日下生を認めてないし、きっと日下生も私を認めてない。
(監督は、どうして私たちを決勝の舞台に送り出してくれたんだろう)
普段、練習の時はあまり話す機会が無い監督と、最近唯一話したのがその事だった。
『決勝戦は貴女と日下生さんのペアにダブルス2を任せます。私を失望させないでね』
淡々と話す監督の言葉には、少しばかりの"恐怖"すらあった。
それを一緒に聞いていた日下生も、相当に驚いていた様子で。
「吉岡先輩じゃないんですか?」
私は監督の言葉に、思わず食い下がってしまったのだ。
あんな事は初めてだった。
総監督、黒中ゆかりの言うことは絶対―――それが半ば掟のようになっている黒永女子テニス部で、監督の言葉に意見する人なんてそれこそ綾野先輩くらいだ。
「そうよ。貴女たち2人がやりなさい」
だけど、監督の言葉には一切の迷いが無かった。
それを突きつけられた時、私も日下生も何も返せなかったのだ。
無言の圧力・・・あれをまさにそう言うのだろう。
"出来ないなら、貴女たちを今後試合では使わない。いいですね?"
少なくとも私には、あの時の監督の言葉がそう言っているように聞こえて仕方がなかった―――




