銀華と弥生
◆
スクールに入ってからの日々は目まぐるしく、大変で。だけど、それと同じくらい―――いや、それ以上に弥生とするダブルスが楽しかったのだ。
弥生の天性の脚力、そしてあたしのサーブスピード。
それを組み合わせることにより発揮されるコンビネーションと、連携の相性の良さ。それらは1つのスクールに留まるものではなく。
小学校4年生―――初めて出場した都の大会。
「優勝! 那木・微風ペア!!」
そこで、あたし達は優勝した。
自分より年上のペアを負かすのが、あたしにとっては気持ちよく。弥生も悪い表情はしていなかった。
自分たちがメキメキと実力をつけていく。それを目に見えて分かるのが楽しかったのだ。練習にもより力が入るようになり、気づけばあたし達はすっかりテニスにのめり込んでいた。
そんな練習漬けの日々が過ぎ去っていく中―――
「私ね、」
陽が傾きかけた、通学路で。
「銀華とのダブルス・・・楽しいよ」
弥生はあたしの顔色を伺うようにそんな事を言ってきた。
少しだけ視線を外して、夕焼けのせいだけじゃないくらい頬を紅潮させて。少し俯きながら―――
「なんじゃ、いきなり」
「銀華は、どう? 楽しくない?」
珍しい。
弥生があたしに対して、こういう"遠慮がち"な行動を執るのは本当に珍しいことだ。
それに対して。
―――楽しくないわけがない
―――楽しいという思いだけで、ここまでやってきたとすら言える
―――でも。違うな。だからこそ、だ
何故だかあたしはムッとしてしまって。
―――言いたいことがあるのなら、顔色なんか窺わずにハッキリ言え
―――あたし達は、その程度の間柄じゃないはずだろ
「楽しい、楽しくないの問題じゃと思うとらん」
本心ではない事を、言ってしまった。
「あたしらは強いから、勝てるから・・・一緒にダブルスやっとるんじゃ」
「勝てるんなら誰とでも良いってこと?」
「そうは言うとらん。あたしの最高のペア相手は弥生やと思うし、これからもその考えは変わらんと思う。その理由が、楽しいどうこうじゃないってこと」
こんな事を言ってしまったのは、弥生のせいだ。
いつもの調子で、『銀華とダブルスするの楽しいんだよね』と、軽口を叩くように言ってくれれば、あたしはこんな行動には至らなかっただろうと我ながら思う。
今の弥生に対して、本心で"楽しい"と返すのがなんか・・・恥ずかしい。そう思ってしまった。
少なくともこの時のあたしは、本気でそんな強情を張っていたのだ。
―――時は流れる
女子テニス、ジュニア全国大会―――決勝戦。
「ゲーム、岡崎・緋野ペア。5-4」
さすが、全国大会の決勝戦だ。
相手は全国で1番強いペア―――準決勝までの相手と比べても確かにそうだと思えるほどの強さ。
あたしも弥生も、調子は悪くない。寧ろ良い方だ。
それがここまで苦戦するなんて・・・。
滴り落ちる汗を必死で拭って、上を見続けたが―――そろそろ限界かもしれない。
「はあ、はあ・・・んぐっ」
スポーツドリンクをお腹の奥へと流し込むが、暑さと身体の火照り、疲労が消えそうにない。
ここまで相当走ってきた。真夏の炎天下の中、延々と。もう太ももがパンパンに張って、いつ膝から崩れ落ちても不思議じゃない。
「よし、いくか」
あたしはそう小さく呟き、左手にラケットを持ってベンチを立とうとした。
その時―――
「待って」
ぱしっと。
右手を弥生に掴まれた。
「銀華―――」
その時の、弥生の瞳。弥生の視線は。
「今、楽しい?」
今まで見てきたどの弥生とも違って。
その視線に、目に。心のどこまでも見透かされているような感覚に陥った。
「・・・楽しくない」
だから、あたしは本心を打ち明けた。
「こんな辛い思いして、暑いし、しんどいし、ぜんっぜん楽しくなんかない」
走って走って、打って打って。
自分たちが強いから。ただそれだけのことでここまで来てしまったけれど、あたしは本質的にテニスが好きではないのだ。
全国大会の決勝まで来て、それも試合中に何言ってるんだ。そんなのが許されるわけがない。
だけど、気づいてしまったんだからしょうがない。
あたしが好きだったのは―――
「弥生と一緒に居たかったから、それだけの想いを満たすためにここまでやってきた」
―――彼女と共有する時間
「お前も楽しくないんなら、あたしは」
こんな試合・・・。
言葉が喉まで出かかったところで。
「私は!」
そこで、弥生が声を張り上げる。
「私は楽しいよ! 銀華とテニスするの!」
こっちをまっすぐ見つめて。
あたしの目だけを見て。
「ウソだ」
「本当だ」
「じゃったら証明してみい。今、楽しいって」
投げやり気味に言ったあたしの右手を、弥生はぎゅっと引き寄せると―――
自らの左胸に手のひらを押し当てる。
「―――!」
その時。
「わからない?」
あたしは、初めて知った。
「・・・」
二度、首を横に振る。
「わかった」
そして、口にする。
「疲れて鳴っとるんじゃない、弥生の胸の"本当の音"・・・」
完全な感覚だ。
だけど、本当に"明らかに違う"と分かる。
激しい運動をした鼓動の速さとは明らかに異なる"それ"。
"それ"が、弥生の本心だと―――
「テニスを楽しんどる音」
あの日の言葉は、偽りのものなんかじゃなかった。
あたしの顔色を伺って言った言葉じゃなかったんだ。
―――あれは、あたしと同じ
―――恥ずかしくって
―――相手の顔を、目を見られないくらい照れてしまっていただけだったんだ
それをあたしは、嘘だと決めつけて、意固地になって・・・。
(バカみたい、じゃ)
「私はね、銀華と居るとずっとこうなんだよ。楽しくて、ドキドキして、わくわくする」
「ああ」
「銀華は、違う?」
「違わん」
初めて会った日のことを、思い出す。
『私のともだちになれ!』
無神経に、あたしに命令してきたこと。
それが、何よりも嬉しくて嬉しくて、堪らなかったこと―――
あの日から、ずっと。
「あたしの毎日は、弥生との毎日は、楽しいことばっかじゃった」
―――それはこうして一緒にテニスをしている時も変わらない
「今も、そうだよね?」
「もちろんじゃ」
「最後まで、一緒にやろう」
弥生の心臓の音はどんどん加速していき。
「私たちのダブルスを―――」
そこで最高潮に達した。
どきどきどきどきどきどき。それがビートを刻むように短く、強く、大きく続いていく。
少し名残惜しいけれど、ぎゅうと掴んでいた弥生の胸から右手を放す。
そして大きく叫ぶのだ。
「勝負はこっからじゃ!」
自分を鼓舞するように。
あたしの相棒に、その意志が伝わるように。
気づけば、あたしの心臓も弥生のと同じ音を刻むようになっていた。
それに気付いたのは―――
「ゲームアンドマッチ、ウォンバイ」
試合終了の間際。
「那木・微風ペア! 7-6!!」
"勝つ"寸前のことだった。
その時、あたしは確かにテニスを楽しんでいたのだ。
こんなに楽しいことは他に無い、そう言い切れるほどに気分は高揚し、心臓は高鳴り、そして。
隣で一緒に笑っている弥生の顔が、可愛らしかった―――
閉会式。
表彰台の1番高いところに2人で昇り、金色のメダルをかけてもらう。
そこで初めてあたし達は、"全国"で1番になったのだと実感した。
全国で1番―――あたし達が、この日本で最高のダブルスペア。
「いやあ、すごいね君達」
閉会式の終わり。
大会関係者出口から出てきたあたしと弥生の前に、1人の女が現れた。
「ダブルスで日本一・・・シングルスプレイヤーの私には出来ない事だ」
「なんじゃ、お前は」
あたしがいぶかし気にそう話しかけると。
「私? 私は・・・」
彼女が名乗ろうとしたその瞬間。
「テレビで見たことある」
弥生が、小さく呟く。
「天才テニス少女、未来の全日本のエース・・・綾野五十鈴」
その名を。
「日本一のダブルスペアの1人に知ってもらえてるなんて、嬉しいな」
あたし達の運命を大きく変えることになる、彼女の名前を。
「ねえ、私と最強のチームを作る気、無い?」
それが今に繋がる大きな道への―――最初の分岐点だった。
◆




