VS 黒永 ダブルス1 山雲・河内 対 那木・微風 3 "あの景色は遠く"
那木銀華は広島で生まれ、バリバリに東京で育った。
広島に居たのは生後半年くらいで、すぐに東京へ引っ越した為、言葉も標準語。広島が故郷だと言われても、お盆と正月に帰省する時くらいしかそれを実感することは無かった。
―――あの作品に出会うまでは
小学校に入って少しくらい経った時、超有名な任侠映画を見た。
何故だかそれにどっぷりはまってしまい、あたしはその映画から広島弁を学んだ。学んだと言うか、真似をするようになって自然と入ってきたというべきか。
「あたし、広島生まれじゃけ」
とまわりに言ってまわったが。
「女の子が"じゃ"って変じゃない?」
「なんか、かわいくなーい」
評判はすこぶる悪かった。
親にもあまりいい顔をされず、しょぼくれていると。
「東京育ちなのにどこで広島弁覚えたの?」
「・・・映画じゃ」
「ぷ。エセ広島弁じゃん」
いつものようにおちょくってきたのが、弥生だった。
「エセとはなんじゃ。どこにおっても、心が広島なら広島県民じゃろ!」
「なにそのちょー理論」
弥生はそう言うと、あたしのぼさぼさの銀髪をわしゃしゃと撫で。
「でも、銀華らしくていいんじゃない? よく広島弁なんて覚えたね。えらいえらい」
唯一だ。
弥生だけが、あたしが広島弁を一生懸命に覚えたこと、褒めてくれた。
「ア、アホ! なめとんのか・・・」
今まで誰に言っても、肯定的な意見すらくれなかったのに。
弥生だけが―――そう思うと、ちょっとだけ・・・ううん、思いっきり泣きそうになってしまって。ずずっと1回だけ、鼻をすすりあげると。
「ほら、遊びに行くぞ!」
その場を立ち上がって、弥生の手を引っ張り歩き出す。
「今日は何するの?」
「テニス、とか」
「ここんとこずっとそうだね」
「つまらんか?」
「ううん。すっごく楽しいよ。銀華との、だぶるす・・・だっけ?」
いつも手を引いていたのはあたしの方。
だけど、テニスに関してだけは弥生の方が積極的だった。お絵かきもお遊戯も、何をするにもあたしの方が上手だと思っていたけれど、ことテニスにおいてだけは、弥生の方が上手いことを認めざるを得ないほどに。
「あの子たち、才能があるんじゃないかしら」
「他の子と比べてもすっごく上手だし」
ウチの親と弥生の親がそんな相談をし始めたのはいつの頃だったか。
あたし達は遊びのつもりでやっていたテニスが、段々と大人の目に留まり始めていた。
そして、小学校2年生になると同時に、あたしと弥生は近所のジュニアスクールに入り、本格的にテニスを始めることになったのだ。
「2人とも凄い! こんなに息がぴったり合うペア、初めて見たわ。どうやってるの?」
「どうやってるって言われても・・・」
「そんなの考えたことないよ。私たち、楽しいからテニスやってるだけだし」
「それでこの実力!? この子たち」
そこで初めて、その言葉を言われた。
"天才"かもしれない、と。
◆
(アホンダラ、3ゲーム連取されよった)
何をやっているんだ、あたしは。
敵ペアの対策や分析は散々やってきたつもりだった。でも。
それでも厳しい。声かけ一つせず、お互いの考えていることを完全に把握しているとしか思えない流れるようなフォーメーション、コンビネーション。
こいつらは。
("ほんまもん"のダブルスプレイヤーじゃ!)
だから、せめてあたしがサーバーのこのゲームだけは取る。
ここを崩されたら一気に試合が決まりかねない。しかし、このゲームを粘って、どうにか持久戦にまで持ち込めばこっちにも勝機が出てくる、そのはずだ。
振った左腕から鋭角にサーブが飛んでいく。
今のは良い角度を付けられた。案の定、止められたが返ってくるレシーブが弱い。
「弥生!」
「言われなくったって!」
浮いたボールを、弥生がスマッシュして。
「15-0」
ようやく、先取出来た。
取られた3ゲームはどれも最初にポイントを奪われて主導権持っていかれてたから、この1ポイントは大きい。
(あたしだって、全国屈指のサーバー呼ばれとるんじゃ)
簡単に返されてたまるか。
このサーブだけは誰にも負けんと思って練習してきた。お前たちがどんだけ連携に優れたペアだったとしても、ラリーが始まらないことには持ち味が出せない。
だから―――
(あたしが完璧なサーブを打ち続ければ!)
このゲームを取られることは、無い!
絶対の自信を持つサーブを左腕から放つが、あの2年の方は地のパワーがあるからそれに任せて打ち込んでくる。
ボールに力を乗せるのが上手いプレイヤーだ。過不足なく、自分の全力をラケットに乗せて表現できるプレイヤー。敵ペアの、いわゆる"攻撃"担当はあっちの2年生だ。
だが、しかし。
それすらも、あたしはしっかりと打ち返す。
(その程度のレシーブ打つ選手なんぞ、全国に行けばいくらでも居るわ!)
お前が特別だと思うなよ、そんな意志を持ってあたしから見て正面のコートにまっすぐ叩きかえしてやった。
ボールは狙い通り隅に入る。
しかし、それが敵の術中だと知ったのはその瞬間だった。
(もう、回り込まれとる!)
意識はしていなかったが今のショット、知らず知らずのうち、前衛の3年生に"クロスを封じられるような位置をとられていた"のだろう。
正面に打たされた―――
その証拠に後衛の2年生は余裕を持って回り込み、踏み込んでこっちにボールを返して来た。
「弥生、拾え!」
普通なら、確実に"決まったショット"。
「分かってるってーの!」
しかし、弥生の俊敏性は『普通』ではない。
コートの隅から隅へと斜めに走り込むようにしてなんとかそれを拾い、ロブ気味に後衛へと返す。
(来る!)
もう一度、決めに来るショットを打ってくる。
しかもあの2年生のことだ。強引なパワーショットを打ってくるはずだ。
それも、"弥生の方へ"。
あたしならパワーショットでも返される可能性があると言うのを、きっと分かっているから。
2年は頭のリボンを揺らし、両腕でラケットを握ると―――
足を踏み込み、体重と運動エネルギーを乗せたショットを弥生の方へ。
だが、弥生は何度も同じやられ方をする選手じゃない。
数歩後ろに下がり、そのショットを両手でしっかりとラケットを振って返す。
(上がった!)
返せはしたが、それでもチャンスボール。
ここぞとばかりに前の3年生が一歩下がり、スマッシュの構えを見せた。
―――止めてやる
打つなら打ってこい。
弥生が2年のショットを止めた。だったら次はあたしがあいつのスマッシュを正面から止めてやる。
弥生が位置を上げてくるのを確認すると、あたしは数歩後ろに下がり。
左手のラケットに、右手を添えた。
スマッシュが来る。
これは早めに叩かないとバウンドが高くなって返せなくなる。
一瞬でそれを判断すると、強力なスマッシュのバウンド際を思い切り―――
「15-15」
僅かに打球が上がらなかった。
そのショットはネットに突き刺さり、力なく自陣をバウンドして転がっていく。
「ちぃっ!」
届かない―――
このままじゃ、ジリ貧だ。
相性が悪いというのはここまで自分たちのプレーを出来なくさせるのか。
焦って、余計に細かいことができなくなっている。
あたしは髪をぐしゃぐしゃっと掻き撫でると、くるっと踵を返してサーブ位置へと向かっていく。
―――その時だった
「銀華」
弥生に、右手をばしっと取られたのは。
「なんじゃ」
「このままじゃ私たち、負けるよ」
「んなこたぁ分かっとる」
今の状態を見れば誰の目にも明らかだろ、と悪態をつこうとしたが。
「っ!」
弥生のまっすぐにこちらを見据えるその瞳が。
「銀華、私、負け慣れたくない」
『あの時』の弥生と重なって―――
「あたしもじゃ」
初心、とも言うべき"その気持ち"を、思い出すことが出来た。
あたし達が今居る場所、今見ている景色のことを。
ふと、空を見上げる。
空いっぱいの雲、鈍色の空、じめっとした空気。
何もかも、違う。
あの時とは、何もかも。
ただ一つ、同じものがあるとしたら。
あたしの右手を握る弥生の腕が、少しだけ震えていることくらいだろう。




