VS 黒永 ダブルス2 月下・日下生ペア 2 "苦戦"
「藍原選手のサーブについては実際にコート上で見て、打ってみて想像外だと思いました。考えていたより打ちづらく、見づらく、威力も高い。敵ペアがあれを大きな武器として決勝まで勝ち上がってきたのにも納得がいきます」
隣で立っている月下が、監督の方というか、監督の頭の上辺りを見ながら静かに報告しているのを、あたしは半ばぽかんと呆けるように見つめていた。
「そう」
監督は小さく呟くと、人差し指の腹を上に向けながらそれをあたしの方へ指し。
「貴女はどう思うのかしら。日下生さん」
こちらを見上げるように視線をあたしの方へとぶつけた。
「っ!」
監督と話すことなんて滅多にない、ということもある。
観衆の大声援と、試合が始まったという高揚感でぼやっとしてしまった、ということもある。
だから、あたしはその瞬間。
本当の本当に何も浮かんでこなくて。
「あの・・・」
思わず、口ごもってしまった。
―――試合に出たら、絶対に結果を出してやろう
―――試合に出さえすれば実力は出せる
そんな風に思っていたあたしが、監督との応対もロクに出来なくなるなんて考えもしなかった。
月下は、理路整然と敵サーブの情報を報告していたのに―――
「日下生、あのサーブ空振ったでしょ」
その一言。
「あっ」
そのフォローが無かったら。
「手元で伸びるって感覚とも違う・・・。ううん、そんなんじゃなくて急に来る感じっていうか、ボールが一瞬、"見えなくなる"んです。それが判断を迷わせて、しかもタイミングの取りづらいフォームだからそれで一拍遅れるというか」
何も言えないまま、あわわと口をパクパクさせて、あたしは監督に見限られていたかもしれない。
「でも、見えました。次は1テンポ速く動きますなのです」
全て言い終わった後、監督の視線に焦点を合わせると。
「ふうん」
黒中監督は、組んでいた脚をゆっくりと組み替え―――何故か、その脚を組み替える仕草に見入って、ちらりと見える脚と脚の間を凝視してしまった―――何かを考えるように頬をとんとんとリズムよく指で叩き始める。
「特異なフォーム、特異な打ち方、特異な球質、そしてボールにパワーを伝達させる天性のセンス。なるほど、全国的に見てもこれほどトリッキーなサーブを打つ選手は他に居ないかもしれませんね」
そこまで言うと、叩いていた指をぴたりと止め。
「でも、たかが1年生―――」
何かを睨むように目を細める。
「粗さやムラがあるわね」
監督の言葉の真意は分からなかったが、何かを掴みかけたような、そんな表情をしていた。
エンドチェンジ、今度はコートを入れ替えてこちらのサービスゲームになる。
「ちょっと、あんた」
コートへと向かう途中、ふと気づくとあたしは月下を呼び止めていた。
「なに?」
彼女はいつものように何を考えているのかよく分からないような薄い表情でこちらに振り向く。
あたしは見栄を張るつもりで両腕を胸の少し下辺りで組みながら、あたしより少しだけ背の高い月下を、上目遣いで見上げるように。
「やれば出来るじゃない、なのです」
「・・・何が?」
ああ、もう。
鈍いヤツってホントムカつく。
「さっき監督と話した時、あたしが何も言えなくなりそうだったのフォローしてくれたでしょっ」
こんなこと、いちいち説明させんなよ。
それを口にすることすらはばかられて、言えない。
「ああ」
そんな事もあったなあ、くらいの反応でようやくそれに気づく。
しかし月下はすぐに首を横に振って。
「いいよ、あれくらい。日下生はプレーで私をフォローしてくれれば、それで」
月下なりの、精一杯の心遣いだったのだろうか。
ほんの少しだけ口角を上げて、微笑みかけてくれたのが分かった。
「私はサーブが特別強力なわけじゃない。ラリー戦になると思うから、準備しておいて」
「あんたに言われなくても・・・」
「"天才"には不要な心配だったかな?」
ぴくりと、思わず奥歯を少しだけ噛み締める。
「そうよ」
特待生。2年生最強。"天才"。
「あたしは天才なのです。あんたは後衛でこそこそとロングショットを拾ってればいいのです。攻撃は、あたしがやる」
「うん。任せたよ」
「ふんっ」
あんたみたいな凡人とは違う。
あんたみたいに地べたを這いずり回らなくても、あたしは。
あんたみたいに必死こかなくったって、あたしは―――
『私には絶対に負けられない事情がある』
その言葉が頭を掠めた瞬間、ドクンと心臓が違った鼓動を打ったのが分かった。
それはあの日、あの場所。
やたら明るい月が照らす下、あいつの"事情"とやらを聞いた、あの時にまで遡る―――
◆
打った瞬間、4人が同時に動き出す。
各々が正しいと思った方向へ。
その瞬間を後ろから見るのは壮観だ。彼女たちは今までの経験すべてを用いてその正しいと思った方向を瞬時に導き出して、半分理論と経験、半分動物的、あるいはアスリート的"勘"でその答えを導き出しているのだから。
―――一歩
その一歩が大きい。
ことテニスにおいて最初の一歩のスピードと言うのは本当に大きなファクターを持つ。
(ああ、分かんなくなった)
ただし、私に分かるのはその一瞬まで。
残りはダブルス独自の理論やコンビネーションなんかが入り混じってくるから、私には分からなくなる。知らない領域が増えてくるから。
「あれぇ、五十鈴ー。みーちゃんどこ行ったのー?」
間延びしたと言うか、少しお道化た感じの未希の声が聞こえる。
「ハニーは2の方見に行ってるよ。後輩ちゃんの晴れ舞台が気になるんだって」
「2人が別々の行動なんて珍しぃーねー」
「ほんと、私を放っておいて他の女を追っかけに行くとか信じらんないよね」
「ん~。たまにはそーゆー気分の日もあるんじゃねー?」
「未希はあるんだ」
まーねー、という気の抜けた言葉が返ってくる。
究極の気分屋である未希らしい答えだ。彼女の場合は常人のそれとはレベルが違うくらいの移り気だから、そう思っちゃうかもしれないけれど。
(好きな人が自分以外を見てるのって、やっぱ気分良いもんじゃないよ)
独占欲、っていうのかな。
だから私も反発して銀華と弥生の試合を見に来ちゃった。
それに、高いレベルの試合を見ることは勉強にもなる。モチベーションにもなる。
だって。
(あの2人より強いダブルスペアなんて、なかなか居ないよ)
全国制覇っていうのはそういうことなんだ。
頂上まで登るっていうのは、自分たち以外のすべてを蹴落とすっていうのは。
だから―――
(白桜の2人は興味深い)
銀華と弥生が1度も勝ててない相手。
その理由はなんとなくだけど、試合を見てれば伝わってくる。
苦手だよね、こういう敵。銀華、弥生にとっては。
(理解しがたいって感覚なのかな)
自分たちと真逆のペア。
真逆のプレースタイル。真逆のビジョンを持つ相手だから―――相性が悪い。
("自分と同じ"相手ってのは大概やり易かったりするからね)
単純な力の比べ合いになるから。
単純に強かった方が勝つ。そういう勝負に持ち込める。
(私と、まりちゃんみたいに―――)
幼馴染の顔が視界にうっすらと映り込んでくるようだった。
「ゲーム、山雲・河内ペア。3-1」
じりじりと、確実に差を広げられていく。
どうしようもないところで確実に詰められていく―――
(あの2人のこんな姿なんて、想像できないんだけどな)
そう。
私があの2人に会ったのは。
ジュニア女子テニス全国大会で銀華と弥生が優勝した、その直後だったから。
彼女達は間違いなく、その『高み』に立っていた。今も立ち続けている。
だから―――
"たかが都大会"でここまで苦しんでいる彼女たちの姿は、やっぱりちょっと信じられないな。




