VS 黒永 ダブルス1 山雲・河内 対 那木・微風 1 "挨拶代わり!"
「1回目は油断もあった。向こうの奇策にやられたっていうのもあった」
試合前、いつもの儀式を始める。
目を瞑り胸の前で両手の指と指とを絡ませながら繋ぐのだ。
「でも、2回目負けたのは完全な実力だ。向こうのペアは今、"東京で"1番強いダブルスペア」
「ああ・・・」
目を瞑っているから銀華の表情は見えない。
それでも、少しだけ力の入った声からなんとなく彼女の考えていることは分かっていた。
一本一本絡めている指にも、力が入って手のひらが少しだけ汗ばんでいる。
「銀華、落ち着いて」
「すまん」
「いいよ」
相手にしか聞こえないような小声で、意思疎通をする。
この"儀式"中は、舞台も私たちの地位も関係ない。
これは、初めて銀華とテニスをしたときから、してることだから―――
私たちの"はじまり"。
あの日から、ずっと。
「今日、3回目。今度は私たちが都内最強のペアに挑戦する。私たちが攻める番だよ」
「狙われるモンより狙うモンの方が強いんじゃ」
「銀華が広島弁覚えた映画じゃんそれ。うん、でも・・・その通りだね」
ゆっくりと、呼吸を合わせるように目を開ける。
このタイミングが違った事は今まで一度たりともない。一度たりとも、だ。
指を解いて、ラケットを持つ。
「さあ、タマぁ取りにいくけえの! 3度目のナンチャラじゃ!!」
「負けっぱなしで終わりはイヤだもんね」
あの2人と戦うのも、恐らくこれが最後だ。
データもある。対策もしてきた。この3回目の戦いだけは負けられない。
私にだって全国優勝ペアのプライドくらいある。同じ相手に3回も負けたら、銀華じゃないけど―――"全国"最強のメンツが丸つぶれになってしまうから。
◆
「先輩」
コートに入る前、瑞稀ははたと歩くのをやめ、こちらをじっと見つめてきた。
「なに?」
努めていつものように、何気なく返事をする。
今の瑞稀―――
(思いつめてる)
それが簡単に分かるくらい、表情が硬い。
「先輩とこうやって試合できるのって、あと何回くらいなんでしょうね・・・」
「瑞稀?」
想定していたものと違う言葉に、少し戸惑う。
「全国大会の決勝までいったとしても・・・あと10回も無い。たったそれだけの回数で終わっちゃうんです」
「・・・」
本当なら、目の前の試合に集中しろって怒るのが良い先輩なんだろう。
でも、私は怒れない。
言われた瞬間に、自分の中でも同じ想定を描いてしまったから。
「その限られた時間を・・・嫌な思い出にしたくないんです」
「うん」
「この間はあたしのせいで負けました。あたしが先輩の足を引っ張ったんです。あたしのせいで、先輩が、先輩との・・・!」
瑞稀はそこでぎゅっと胸の辺りを掴むと、痛みを堪えるように手に力を込めた。
「だから! あたしはもう、二度と負けません・・・!」
その痛みや黒いもの、辛さや悲しさ全てを吐き出すように、瑞稀は言葉を絞り出した。
さっきまで胸の中にあったもの、瑞稀を傷めつけ苦しめていたもの。それらを言葉にしたら、"こういうもの"になったんだと言わんばかりに。
「先輩との残された時間を、笑顔で過ごしたいから!」
瑞稀の声には、言葉には。
そんな痛さと苦さが詰まっていた。
「瑞稀、おいで」
私が言うと、とん・・・と倒れるように瑞稀は私の胸の中に飛び込んでくれた。
そして軽く、一瞬の間だけ唇を重ねる。
「悔いの残らない戦いにしよう」
「はい・・・!」
今は、これだけでいい。
飾り立てる言葉も、確認の必要もない。
お互いがお互いの事を真に理解してるから。私は瑞稀のこと、芯の部分で分かってるから。
だから、今は何も必要ない。
(目の前の結果を―――追い求めるだけ!!)
コートの中に入ると、さすがにすごい声援が全身を包んでくるようだった。
黒永との決勝戦―――注目されるのは分かってたけど、これほどまでとは。
まっすぐ前に見据え、相手コートに視線を向ける。
「また会ったね」
微風さんは少しだけ笑みを浮かべながら、キッと口角を上げる。
「ええ、こちらこそ」
その視線を少し流しながら、私は返事をした。
「スカしやがって。試合後泣かんようにのぉ」
敵意を正面からぶつけてきたのは那木さんの方だったが。
「泣くのはどっちだか」
そう言う対応は、瑞稀がしてくれる。
他校の上級生に向かってこの口の利き方が出来る勇気を持っている。それが瑞稀なんだ。
「相変わらずクソ生意気なガキじゃ」
試合前の握手をする時も、那木さんはそんな悪態をついていた。
「弱い犬ほどよく吠える・・・」
そしてそれは瑞稀の方も変わらず。
「ああ?」
「銀華、相手しちゃダメ」
「瑞稀もっ・・・! ごめんなさい、ウチの子が」
「首にわっかでも付けとけバカもんが」
更に悪態を重ねながら、那木さんはコートの奥へと引っ込んでいく。
(こういうところは本当に直して欲しいんだけどなあ)
私以外の子への態度というか、そのいつ噛み付くか分からない狂犬みたいな目―――瑞稀の場合、狂猫っていうのかな? 本当はよくないんだよって思う。
あんまりこれ言うと機嫌悪くなっちゃうから極力言わないようにはしているんだけど。
「首にわっか・・・、首輪・・・」
「瑞稀?」
「良いっ!」
あの、瑞稀ちゃん?
「先輩、今度首輪付けてください!」
「そんな事出来るわけないよぉ。あと絶対審判に注意されるしっ」
「あの銀髪、たまには良いこと言うわね」
変なことがキッカケで相手へのリスペクトを思い出した瑞稀。
これでよかった・・・のかな?
まあ一応、この場は収まったし良いのか。
それで無理矢理自分を納得させて、頭を試合モードに切り替える。
(サーブ権は取れなかった。ということは、那木さんのサーブがいきなり飛んでくる)
レシーブ位置に立ちながら、そのことを考える。
「0-0」
この試合を有利に進めるためには、まず彼女のサーブを攻略しなければならない。
幸い、速くて角度のあるサーブを準決勝で見てきた。並大抵のサーブでは動じない自信がある。
しかし、彼女のあのサーブが春から更に進化しているとしたら、そのアドバンテージもアドバンテージではなくなる可能性すらある。
那木さんがぼさぼさの銀髪を靡かせ、大きくトスを上げる。
(左利き・・・!)
その左腕から放たれるサーブは―――
「んどりゃあ!!」
ただひたすらに―――
(速い!!)
ラケットを振った瞬間だった。
私の後ろの金網フェンスにボールが激突する音が聞こえたのは。
会場が一瞬、ざわめきとどよめきが混同したようなものに包まれた後。
「すごい!」
「速い!!」
「見えなかったー!」
観衆の声が、爆発したように頭の上を通り抜ける。
(また、速くなってる・・・)
春に対戦した時から、更に。
最上さんのサーブが頭の中に残像として残っている状態でも、速さを目で追えなかった。
「まず、1本じゃ」
彼女はそう言いながら、無表情でボールを右手で受け取る。
左利きのスピードサーブ使い。その条件だけで言ったら、この那木銀華というプレイヤーは恐らく全国でもトップであることに疑いを向ける者は居ないだろう。
那木・微風ペアという全国最強のペアを支える武器の1つ―――それが、この全国最速のレフティーサーバーなのだ。




