残照
激闘の余韻を残す夕暮れのテニスコート。
オレンジ色の陽射しが沈んでいく中、まだ試合会場には熱気の火種がくすぶっているよう。
それほどまでに、今日行われた2試合は熱く、凄まじい試合だった。
「私、コーフンが未だに収まり切りませんよ」
自慢の一眼レフデジカメのライブラリをぽちぽちとまわしながら、上司に話しかける。
「薄着のJCが汗だくになりながら一所懸命がんばる姿・・・ッ、たまらんッ!」
「それ、場所が場所なら職質レベルの発言だからね?」
「でも事実でしょうっ!?」
「いいから落ち着け!」
ぼこぉっと、彼女が持っていた厚手のノートでぶたれてようやくテンションが下がってきた。
だからJCにはいくら叩かれても、ゴミを見るような目で見られてもご褒美なんですが、BBAは無理ですマジで・・・。というような言い訳を言おうと思ったけれど、心の奥底に押しとどめておく。
「篠岡さんに試合後、なに聞いてたんですか? 私、あの人無理なんですよ怖くて」
「まあ、試合後のインタビューと決勝戦への意気込みってトコかな」
「ふ~ん・・・」
沈んでいく夕陽と、人の気配がなくなっていく試合会場。
なんだか、終わりが近づいてきている。
そんなことを感じさせる妙な寂しさが、今のこの会場にはあった。
まるでコートが試合の終わりを嫌がっているような。人が居なくなっていくのを悲しんで泣いているような、そんな曖昧な感覚。
「都大会も残すは、あと2試合なんですね」
3位決定戦と、決勝戦―――
泣いても笑っても、すべてが決まる2試合だ。
「負けかけた黒永に比べて、結局白桜は準決勝も3勝1敗。僅差のゲームが多かったとはいえ、チームの地力でゴリ押し余裕の勝利・・・だったように見えましたけど」
緑ヶ原も悪いチームではなかったが、結局最後は地力の差に尽きる。
部員数の違い、バックアップ体制の違い、練習環境の優劣・・・名門白桜は、すべてにおいて緑ヶ原を凌駕していた。そういう、"本当の部分"での力の差を感じたのだ。
「緑ヶ原の敗因は、そこじゃないと思うわ」
しかし、上司はそれを否定する。
「え、じゃあどこなんです?」
「うん。元々トリッキーなチームだったから、負けるときはこういう風にあっさりと負けちゃうもの・・・って言うのもあるんだろうけど」
彼女は厚手ノートを開き、その1ページを指差すと。
「緑ヶ原は実質選手兼監督状態だった神宮寺さんの才覚で動いていたチームだった」
「あの子がトリッキー戦術の生みの親みたいなものですもんね」
「だから、彼女本人が望むにしろ望まないにしろ、神宮寺珠姫を"絶対的エース"に添えるべきだったんじゃないかしら」
「どういうコトですか?」
「『緑ヶ原のエースは誰だ』って聞かれたとき、複数回答が常に出る状態を長く続けるべきじゃなかった。部長の最上さんと答える人も居れば、1年生の新倉さんだという人も居る。人によっては、梶本さんがエースだという見方も出来るし、もちろん神宮寺さんでも通る」
彼女はそう言うと、ノートの違うページをめくり。
「そこに『ブレ』が生じてしまった。最後の最後に信頼できる子が誰なのか、定まっていなかったから」
なるほど。
「最初から久我さんがエースだと腰を据えている白桜との決定的な差が、"そこ"だったんですね」
「まあ神宮寺さんが絶対的エースになればよかったって言うのは私の意見だけどね。2年生にそこまで背負わすのは異論もあると思うし・・・」
そこで彼女の顔に少し、陰が入ったのが分かった。
「神宮寺さん自身に、その覚悟がなかったんでしょうね」
彼女には考えられる鋭い頭脳があった。選手を見切る眼もあった。
だけど、自分を定められる心がなかった―――
選手兼監督を実質とはいえ務めていたんだ。相当いろいろなことを考えた結果だったのだろうが・・・。
中学生にそこまで全部やれというのは結構無理な話だ。
だからこそ、最後の部分は大人が決めてあげる必要がある。1番大事な責任くらいは、プレーする選手に代わって大人が背負ってあげなきゃならない。
都大会の準決勝まで来るような強豪校、名門校の指導者に必要なのは、何もテニスを教える技術や選手を統率する力だけじゃない。
大人だからこそ、出来ること。子供には少し荷が重いことを、肩代わりして彼女たちをテニスに集中させる。
それが大人の役割なんじゃないかな。
(ま、私の考える『大人像』だけどね)
私だってまだ立派な大人じゃないし、そんなの分かんないけどさ。
「付け加えると、緑ヶ原は神宮寺さんのデータに少し振り回され過ぎてしまった面があったわね」
「データなんかいらんかったんや、ってことですか?」
「そうじゃないわ。実際、彼女が考えた戦術戦略、集めた情報や敵の弱点はある程度効果的に作用していたはずよ」
私は試合中、撮りためた画像を1枚1枚見てみる。
いろんな表情が見える中で―――緑ヶ原の選手の表情に、時折『迷い』が入る画が何枚かあったのに気が付いた。
「ただ、それを120%効果的に活かすことが出来なかった。データが間違っていた時、データをもってしてもどうにもならない時、選手たちがあまりにそのデータを信用し過ぎていて・・・」
「迷ってしまった面があった、と」
それは写真を見ていれば一目瞭然だった。
私だって写真家の端くれ。選手の表情くらいは人より詳しいつもりでいる。
「データが通用しなかった時、作戦が上手くいかなかった時、どうするべきか。それをチーム全体で考えて共有していなかったのが、もう1つの敗因と言えるんじゃないのかしら」
「なーんか、難しいですね。戦いって。有利に働くように頑張ったことで負けちゃうなんて」
「策士、策に溺れる・・・。昔の偉い人は結構的を射た事を言ってるものよ」
世の常なんすかねえ、と弱く返す。
彼女も私がアンニュイな気分に入ったのが分かったのか、それからは言葉少なであまり会話を交わすことも無く。
とっとと撤収し、夕暮れの試合会場から隣にある駐車場へ、とぼとぼと歩いていった。
◆
「残りましたね、決勝」
選手全員が寮に帰って行ったことを確認し、バスを見送ったところで監督に話しかける。
「緑ヶ原にここまで危なげない試合運びを出来るとは、思っていませんでした」
「選手が頑張った結果だ。私が間違えなければ、白桜はそう易々と負けたりしない」
「ふふ。そうですね」
まだ、少し空が明るい。
もう7時半過ぎなのに・・・随分と日が長くなったものだ。
部室棟の監督室へ歩いていくまでの間。
「なんて言うんでしょう。ここまで来たんだって実感すると、あの子たち・・・今の3年生が入学してきた時のことを思い出します」
少し、昔話をすることにした。
「当時は私も新任で、全てが試行錯誤の毎日でしたから。同じく1年生だったあの子たちと一緒に、もがき苦しんだ覚えがあります」
いろいろなことを思い出す。
今の彼女たちの頼もしい姿からは想像もできないが―――
「"落ちこぼれの世代"」
当時、あの子たちはそう呼ばれていた。
「その悪名と、あの子たちは戦い続けていました。もう彼女たちを誰もその名では呼ばないでしょうが・・・」
「懐かしいな」
篠岡監督は黙って、私の話を聞いてくれた。
そう。これは昔話。
部室棟に着くまでの間、少しだけ寂しいような、それでもこれからの期待に揺れるような、そんな僅かな時間を埋めるための―――
今から少しだけ前・・・彼女たちが、1年生だった頃のお話。




