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私はエースになりたがっている!  作者: 坂本一輝
第4部 都大会編 2
160/385

VS 緑ヶ原 シングルス2 新倉燐 対 神宮寺珠姫 3 "恋は盲目"

 ―――新倉燐の、欠点


 初めてあの子を見た時からそうだった。

 彼女には見えない枷が付いている。

 それは普通にしていたら気付かないほど軽い枷だ。だが、確実に彼女から力を奪っている枷。

 新倉燐(あのこ)は普段から感情を表に出さず、自分の中に溜めてしまう節がある。

 それは名門・白桜に名を連ねる名家(めいか)の中でも指折りの家系、新倉家の長女に生まれてしまったが故、身に着けた処世術のようなものなのだろう。あの子は、あの子の人生を歩んでいく過程で、自分で自分の力を封じる術を習得し、それを無意識下で実行してしまっている。


 それが普段の新倉燐、いわば"表の顔"を形作っているのだ。

 新倉に最も近い後輩・・・藍原有紀が、その状態の新倉燐のことを『天使』だと表現していた。


 大人からの過剰な期待、姉妹間での軋轢(あつれき)

 他人が介入できない程デリケートな問題―――

 それらが、新倉燐に『本気になる力』を奪う枷を付けてしまった。


(私の推論に過ぎないが)


 新倉は普段、どんなに頑張っても本気時の90%ほどしか実力を出せない。


 精神的なプレー障害・・・いわゆるイップスの一種なのかどうなのか、彼女の場合は判断が付かない。特別何かイップスの原因になるような事件があったわけではないだろう。それならばもっと分かりやすい形でイップスになっているはずだ。

 生きてく過程で必要だった、"自らを守るための枷"―――指導者(かんとく)としては、非常に難しい問題だった。


 だが、そんな新倉が時折、その枷を外して本気でテニスに没頭できるようになるのも事実。

 私自身、そういう試合を何度か見たことがある。しかし、どのような条件が揃えば枷が外れるのかは分からない。


 そう言えば、藍原は新倉を『悪魔』と表現したこともある、と言う話を聞いた覚えがあった。


 天使に対する悪魔、か。


(言い得て妙だな)


 枷が外れ、120%の力を出せるようになった彼女のプレーは恐ろしさを孕むほど非情だ。

 新倉燐の『(もうひとつ)の顔』―――


(さっき新倉が見せた目、あれは間違いなく"悪魔の眼"だった)


 完全に枷は外れた。


(目の前の試合に勝利することだけに"本気になれるようになった"、今の新倉に余計な言葉は不要だろう)


 あとは、悪魔が暴れるのを見守るだけだ。





「恋は盲目、だね」


 大きなため息を()いた後、五十鈴はぽつりとそう言った。


「何の話だ」


 訳が分からず、問い返す。


「あの2人、さっきネット前で何か喋ってたでしょ?」

「ああ。激しく言い合うような雰囲気ではなかったようだが」

「なんで"あんなこと"言っちゃったかな。あれが燐ちゃんに火を点けちゃった」

「何を言っていたのか聞こえたのか?」

「ううん。でも、何となく分かるんだ。燐ちゃんの目の色が変わったから」


 五十鈴は時々、突拍子もないことや訳の分からないことを言うことがあるのだ。

 だが、それは今に始まった事ではないしチームメイト一同、"こういうもんだ"と分かりきっている。


 彼女はぶすっとした表情をしながら。


「面白くなりそうだったのに、勿体無い」

「恋は盲目、というのは?」


 結局、その答えを貰ってないのでもう一度聞き直す。


「今まで慎重に慎重に、臆病なくらい一歩ずつ物事を進めてきた神宮寺珠姫が、ここに来て大きなミスを犯した。ありゃ、色恋(いろこい)沙汰が関わってるに違いないよ」


 益々意味が分からん。

 だが。


「私的な感情をコート内に持ち込んだ。たったそれだけのことが、あの子の判断を狂わせたんだろうね」


 五十鈴のこの言い様は何かを確信している時の口調だ。

 私にはそれが定かかどうか分からないが、神宮寺珠姫の"失策"―――それが、取り返しのつかないことであろうことだけは理解できた。





 くそっ、くそくそくそ!


(何が天使だ、何が天才だ!!)


 新倉燐の放つボールの速度に、コートを駆ける敏捷性に、全くついていけない。

 しかもスタミナは元々ずば抜けた選手だ。それが目減りしていく気配がまったくないと来た。


(なんでこんな奴がまだ居るんだよッ)


 才能? 選ばれた者? 遺伝? ふざけるな!

 生まれた時から最高値が決まってるなんて、そんなのずるいじゃないか。卑怯だ。

 ワタシはそれを埋めるために必死にやってきた。チームを変えて、相手選手を穴が空くほど見て、研究して・・・! そのワタシが負けるのか。どうして!?


 ―――さっきから、視界にチラチラ映るんだよ


(コートの外で綾野が見てるんだ!!)


 負けられない。負けられるわけがない。


「ゲーム、新倉燐。4-2」


 それでも間は空いていく一方で・・・!


(雛・・・)


 ふと、味方の方を見る。

 彼女は目を瞑って大きな声を出し、叫んで、何かワタシに言ってくれているようだった。


(そうだよね、貴女はそういう子だもんね)


 何に対しても一生懸命で、頑張ってて、時々羽目を外しちゃうくらいの速度で走っちゃうような、そんな貴女だから。

 ワタシの勝利を、信じてくれてるんだよね。


 ―――(マイナス)の感情だけでは、いつか限界が来る


 自分が雛に投げかけた言葉を思い出す。

 よく言うよ、こんなワタシが。寧ろ、それだけを燃料にしてきたような女が・・・。


 それでも。

 あの子には、雛には、ワタシみたいになって欲しくなった。

 そんな想いが、ワタシの心の片隅には、ほんの少しくらいはあったのかもしれない。


 ―――違う


 これは詭弁(きべん)だ。

 雛を自分のエゴの言い訳にしてるだけ。


(幼い頃から、これだけの才能の違いを見せつけられて―――)


 それでも、雛は一度として諦めなかった。

 新倉燐に勝つ。彼女がその意見を曲げた事は無かったのだ。

 きっと雛が最初に感じた絶望は、怒りは、こんなものじゃなかったはずなのに。


 違い過ぎる才能に絶望したのは、ワタシも同じ。

 それを入り口にしてテニスを続け、怒りを力に変えて戦ってきたのも同じ。

 それなのに―――


(あの子の、さっきの試合での表情・・・)


 あんな雛の顔、見た事なかった。

 悔しかった。腹が立った。こんな自分がイヤにもなった。

 それでも、少し。ほんの少しだけ―――


 ―――羨ましいと、思った


 テニスプレイヤーとして、あの子は違ったやりがいや意味を見出したんだって思うと。

 純粋にいいなあ、と感じてしまったことも事実。

 "それ"さえもワタシの中で怒りに変えて、この試合に臨んだことも。


(だって、不公平じゃないか)


 ワタシだって、才能が欲しかった。『1番』で居たかった。このボールに反応できるだけの反射神経、この新倉燐のショットを回り込んで打てるほどのパワーが欲しかったんだ。


 ううん。

 今はもう違う。


(雛の『1番』で、ありたかった)


 誰の『1番』でもないワタシが、誰の特別でもないワタシが、本当に嫌いだ。

 でも、だって。

 この激情を忘れてしまったら、ワタシはここまでやってこられたか? 緑ヶ原(チーム)を、ここまで強くできたか? ここまでテニスに、固執できたか?


 ―――"ワタシ以外"に


 誰がやることができた?


(ああ、そっか―――)


 この、みんなと一緒に作ってきた緑ヶ原というチームそのものが。

 ワタシにとっての、『1番』で、特別だったんだ―――


「ゲームアンドマッチ」


 なんだよ。


「新倉燐! 6-2!」


 もうちょっと早く教えてくれたら。気づけたら。

 こんな惨めな試合には、ならなかったかもしれないのに―――




(雛と同じような表情は、できなかったな)


 ワタシは貴女と違って、"この道"とは違うやりがい・・・見つけられなかったよ。


「はあ、はあ・・・」


 膝に手をついて、荒い息を吐き出す。もう、立っていることも辛い。

 どれだけ走らされた? どれだけ消耗させられた?

 データを出す隙もなかった。

 あまりに、実力が違い過ぎたから―――


 試合後の握手を、目を伏せながらする。


(どんな顔で向き合えって言うの)


 何をされても惨めになるだけだ。


「神宮寺さん」


 ―――ふと顔を上げると


「ナイスプレー」


 ―――"天使"のような笑顔が、そこにはあった


 万人に向けられる笑顔。

 それでも、あんなことを言ったワタシに対して、こんな顔で笑ってくれるんだ。

 こんなこと、ワタシに出来るか―――?


(きっと、意地悪く相手を嘲笑するんだろう)


 ほら、差が出来た。

 そういうことなんだ。きっと。


「ありがとう」


 ワタシは自分の中にある最後の、精一杯の誇りを振り絞って、その言葉をひねり出した。

 1人の"テニスプレイヤー"として、"選手"として。


 これすら言えなかったら、ワタシは"それ"を名乗れなくなってしまうような、気がしたから―――





「さあ、時は満ちた」


 ふふふ。嬉しいな。

 笑いが自然と込み上げてくる。

 楽しみで、楽しみで。

 ここに来るまでどれだけ待ったか。


「叩き潰してあげるよ、白桜」


 視線の先にあるのは―――久我まりか(まりちゃん)

 君の中にある『永遠』を、私に見せて。

第4部 完

第5部へ続く

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