VS 緑ヶ原 シングルス2 新倉燐 対 神宮寺珠姫 2 "あなたをちょうだい"
「ゲーム、新倉燐。3-2」
静かな試合だ。
不気味なくらい、静かな試合。
コート周りの応援団はさっきの藍原さんの試合が嘘のように静まり返っている。
(私が、静かにさせてしまった・・・?)
そんな事をふと、思うが。
(・・・違う)
キュッと、下唇を噛む。
向こうのコートに居る、神宮寺珠姫―――彼女のことが頭を過ぎったからだ。
(あの子の、計算だ)
序盤、わざと観衆が盛り上がりにくいような試合をして、前の試合からの流れを切った。
まんまと乗せられてしまった・・・いいや、"乗っていた流れから降ろされた"とでも言うべきか。
―――その時
「ふふ」
神宮寺珠姫が、不敵に笑う。
「怖い顔ですこと」
「!」
そう、私に話しかけてきていた―――
「ワタシの何がそんなに気に入りませんか? 同じ姉妹でも雛とは大違いですわね」
「・・・」
「雛はワタシの事を慕ってくれます。それに頑張り屋さんで、夢に一生懸命なとても優しい子」
「何が言いたいの」
「そんな雛を、貴女の方から突き放したんでしょう?」
「!」
私が、雛を、突き放した。
これはきっと神宮寺珠姫の言葉じゃない。
―――他でもない、"雛"の言葉だ
「ワタシ、この試合負けるわけにはいきませんの」
神宮寺はかつかつとネット際に近づいてくると。
「大事な後輩の前で、みっともない姿は見せられないでしょう?」
静かに呟き。
「雛は貴女を嫌悪して憎んでいる。そんな貴女にワタシが負けたら、雛はワタシのこと、どう思うかしら。『所詮姉より弱い女』だと思われて、もうワタシの言うことなんて聞いてくれなくなるかもしれない」
すうっと一息、吸い込んで。
「―――だから」
少しだけ小首を傾けながら。
「新倉雛の中にある新倉燐をちょうだい?」
黒い微笑みを浮かべるのだ。
「雛が燐に抱いている憎しみ、恨み、怒り・・・それらを全て、ワタシにいただけないかしら?」
「あなた、何を言って・・・」
「ワタシは雛の全てが欲しいの。だから、雛がたとえ負の感情であっても、他人に強い気持ちを向けていることがワタシには耐えがたい苦痛」
こんなにも暑いのに、背筋がゾッとする感覚に襲われる。
「憎くて嫌いで仕方がない姉が、目の前で完膚無きまでに叩きのめされたら。雛はきっと貴女を恨むことはやめると思うわ。だって、そんな"弱い姉"に勝つことを目標としてもしょうがないでしょう? そう、そしてきっとあの子はこう思うはず」
今の神宮寺珠姫には、凄みにも似た不気味さがあった。
「『あたしの大切な目標をあんな惨めに負かしたセンパイが許せない』って」
彼女の瞳を直視すると―――
そこはもう濁りきっていて、光が入ってないようにすら見える。
「それで、貴女達姉妹の問題はすべて解決する。良いこと尽くめじゃない?」
彼女はこの話の間、ずっと笑みを浮かべていた。
笑顔を向けてきたのだ。
他でもない、新倉燐に―――
「・・・私は、」
ぎゅっと歯を食いしばり。
言葉を出す。
「わざと負ける気もなければ、あなたの歪んだ感情に協力してやる義理も無い。今の私は白桜のシングルス2。目の前の勝利に、全力を尽くすだけよ」
・・・関係ない。
今は家の問題とか姉妹の問題とか、一切。
私がここに立っているのは家や家族の為じゃない。
私を選んでくれた人たちと、選ばれなかった人達すべての為に、ここに立っている・・・!
「歪んでるだなんて、心外ですわ。交渉決裂ね」
「もとより応じてないと言った」
踵を返し、私はベンチへと歩いて行った。
―――神宮寺珠姫の真意は、聞くことが出来た
その上で。
(やっぱりあの子は、許せない・・・!)
ダブルス1でのこともそう。
雛のことも、私自身としても、そしてあの女の中にある、どす黒い『何か』―――
それが私には、とても理解できないし認められなかった。
直接その『何か』を垣間見た今だからこそ、言える。
(この試合―――)
絶対に負けられない、と。
「新倉」
監督に声をかけられ、ぱっと顔を上げる。
「どうだ、首尾は」
「悪くありません」
「何を言われたか知らんが、お前はお前のプレーに集中しろ。いいな」
「はい」
ペットボトルのスポーツドリンクを飲んで、もう一口飲んで、それでも足りなくてもう一口飲む。
「珍しいな」
監督の言葉が、妙に大きく聞こえてくる。
「お前がそんな目をするのは」
「―――!」
ぴくっと身体が止まり、ペットボトルから口を離す。
「今の感覚はどうだ。良い気分か? それとも気持ち悪いか?」
「・・・」
私は、数秒間だけ考えると。
「良い気分ではありません。でも、プレーをする上では良い状態だと思います」
「そうか」
右手でラケットを持って、立ち上がる。
「敵に、"新倉燐"を見せつけてやれ」
「はい・・・!!」
不思議と、声にも力が入った。
確かに妙な感覚だ。
私は今、どんな表情をしているのだろう。どんな目を、しているのだろう。
鏡が無いコート上では、分からない。
『燐先輩は"天使"ですよ』
彼女の言葉が、急に脳裏をかすめる。
だけど、きっと。
今の私は天使のような顔など、出来てはいないと思う。
◆
交渉は失敗した。
それでも、ここまで積み上げてきた下地は完成しつつある。
(観衆を黙らせ、流れは切った。あとは新倉燐の戦術さえ突破できれば―――)
"策"が無いわけじゃない。
上手くはまれば、彼女の必勝パターンを崩すことだって可能なはずだ。
そうすれば。
―――ドクン
心臓がまた、高鳴った。
ドキドキドキドキ。まるで壊れてしまったように暴走を始める鼓動。
この女に勝てれば、ワタシと雛は2人だけの誰も邪魔出来ない世界に行くことができる。
(邪魔、させない)
邪魔させるもんか。この想いは、誰にだって傷つけさせやしない。
ワタシの、『1番』―――
(あの"氷壁"を突破する方法は・・・)
バテたフリをして、新倉燐が攻撃に転じたところを狙って反撃に出る。
カウンター―――ほんの一瞬の隙を付き、試合の流れをこちらに持ってくればいい。相手を走らせてバテさせるなんて戦法はよほど自分の持久力に自信がなければ出来ないこと。持久戦になれば分が悪いのは目に見えている。
勝負は一瞬。
その一瞬で、ケリをつける。
(見ててね、雛)
―――貴女が固執する姉なんて、たかがその程度の選手だったんだって、教えてあげる
そうすれば、貴女の全てはワタシのもの・・・♪
「さあ来い」
1つ1つ、出来ることを積んでいって、中学テニス界の巨塔を倒す。
―――途轍もないスピードのサーブが、ワタシの前で跳ね、消えていった。
「・・・え」
くるり、と後ろを見る。
ボールが後ろの金網フェンスに激突して、勢いよくバウンドして転がっていた。
(なに・・・今の)
見間違いか何か・・・、いや、ワタシの眼が疲れてきてるのか。
明らかに、今までの新倉燐のサーブと比べて、スピードが違っ
―――また、同じ速度のサーブが飛んでくる
「・・・ッ!!」
見間違いじゃ、ない―――
(こいつ・・・!)
ギアを1つ―――スポーツ選手が試合中に調子を上げる、本気に近い力を出すようになることをギアを上げると表現する―――いや2つも3つも、上げやがった!
どうして!? 違う違う、"どうやって"そんなことを可能にした!?
新倉燐の顔を見遣る。
「っ・・・!」
まるでこちらを見下すような、冷酷な顔。
一切の感情を漏らさない無表情。
それを見ただけなのに、まるで背中に氷を貼り付けられたような冷たさと、悪寒と、気持ち悪さが同時に頭と身体を支配し始めた。
"恐怖"に震えるように、胸の高鳴りが沈んでいく。
物凄いスピードで高揚していた気分が萎えていくのだ。
―――その時の、燐の顔
それはまさしく、『悪魔』と形容するに相応しいものだった。




