VS 緑ヶ原 ダブルス1 山雲・河内 対 最上・楠木 8 "気付けなかった"
「ゲームカウント、2-3・・・!」
自分に言い聞かせるように今の状況を口に出す。
(雛の粘りが凄過ぎて、ぜんっぜん試合が進まない・・・。わたしのサービスゲームは簡単にキープできるけどっ)
ブレイクを狙いにいくと途端にラリー戦になり、走る時間が長くなってしまう。
そして悔しいけど、雛が得意とする打ち合いになるとどうしても最後の最後に競り負けてしまう。あと少しで取れそうなのに、1球への執念が半端無くて破れない。
「まるで、バリアが張られてるみたいです」
荒い息を吐きながら、監督に向かって話しかける。
水はもう十分飲んだ。それより、この暑さと汗のべたつきが鬱陶しい。1回、シャワーでも使って冷水を頭からかぶりたい気分だ。
「試合の終わりが見えない今が1番苦しい時間帯だな。しかも相手は徹底的に走らせてくるし、粘り敗けてくれない」
「はい」
「2時半か・・・。1番暑い時間だが、条件は相手も一緒だ。ペース配分を考えろ。お前のスタミナを空にすることが敵を1番喜ばせるぞ」
「はいっ」
条件は相手も一緒―――
言葉にするのは簡単だけど、なかなか理解するのは難しい。
「とにかくサービスゲームを取ってこい。キープし続ければ、必ずこちらに風は吹く」
だけど。
監督はわたしの目をまっすぐにに見て、何の迷いもなく言ってくれる。
「自慢のサーブを叩き込んで来い。走るのは辛くてもサーブを打つのは楽しいだろ?」
「・・・!」
楽しい。
その一言で、この終わりの見えない試合―――
「はい!!」
―――どれだけ励みになっただろう
「不肖藍原、一球入魂で行ってまいります!!」
1つのサーブに、魂を。
その気持ちで打ち込めば、返されない。
求めるのは―――『返されないサーブ』!
―――その瞬間
わああ、と。隣のコートが、ここに居るわたしからでも分かるくらいの大きな歓声に包まれ、湧いた。
それから十秒したかしないかのうちに、またさっきの先輩がコートに入ってきて監督の下に寄り、試合再開に「待った」が入る形となる。
(なに? 何が起きたの?)
わたしは呆然と立ち尽くすことしか出来ない。
ふと、コート外に視線を移した、その刹那。
視界の隅に、『それ』が映りこんでしまった。
「―――ッ!」
泣きながら自らの顔を手で覆い隠すように押さえる瑞稀先輩と。
その瑞稀先輩の身体を肩で抱え込みながら足早にコートを去る、咲来先輩の姿が。
◆
「ウォンバイ、最上・楠木ペア。6-4!」
審判のコールが聞こえた瞬間に、瑞稀が膝から崩れ落ちた。
「瑞稀っ!」
私は何よりも速く彼女の下へ駆け寄る。
そして、手を地面について伏せてしまっている瑞稀の顔を覗き込んだ。
「瑞稀・・・」
私は、どうして―――
「ごめんね」
気づいてあげられなかったんだろう―――
「ごめんね瑞稀・・・」
瑞稀は憔悴しきっていた。
それは5ゲーム連取されたときも、その後追い上げた時も変わらず。
彼女は正常な状態ではなかった。それほどまでに―――
「私が、軽はずみにあんな事したから・・・」
瑞稀は深く傷ついていたんだ。
表面上は立ち直ったかに見えた時もあった。でも、あの時も、あれ以降も。
瑞稀の精神はボロボロになり、とてもテニスの試合をやれるような状態ではなかった。
私は5-5に追いつき、7ゲーム目を取って勝つまで、試合を続けるつもりだった。
瑞稀も気持ちは勿論そうだったと思う。
でも、1度崩れたメンタルで身体を奮い立たせていた彼女に、それはあまりにも酷なことだったのだ。
「先輩」
「なに? なに瑞稀?」
瑞稀は聞こえるか聞こえないか、言ったか言わなかったかギリギリの声量で、言葉を絞り出す。
「ごめんなさい゛」
―――ああ
「足、引っ張りました」
―――そんなになっても
「咲来先輩の、最後の夏なのに」
―――まだ、私のことを想ってくれるんだね
「瑞稀は悪くないっ!!」
その瞬間にはもう理性は飛び、気づいたらそう言って瑞稀を抱きしめていた。
「悪くない、悪くないよ」
すべてはこの子の異変に気づいてあげられなかった、私の責任。
どんな些細なことでも良い。どうして何もわからなかった。
瑞稀は発していたはずだ。
『助けて』ってシグナルを。
もうできませんっていう、意思表示を―――
瑞稀の肩を担ぐように抱いて、ゆっくりと立ち上がる。
(この子が足を引っ張った? ううん、そんなこと、あるはずがない)
すべては先輩である私の責任。
副部長という責任ある立場にありながら、ダブルス1というチームの根幹を任されておきながら、ほとんど何も出来ずに負けた責任。大事な準決勝でチームに負けを1つ付けた、重い重い責任―――
今は観客や応援団のみんながしてくれる温かい拍手も、聞くのが辛かった。
私たちに、拍手なんてされる権利、無い。
こんな時、静まり返って突き放された方が。
「咲来、河内さん」
ブーイングされて、貶された方が。
「がんばったね」
「後半の追い上げ、感動したよ!」
―――どんなに楽だったろう
「また次があるよ、絶対!」
「私たちの応援が足りなかったんだよ」
―――どんなに、簡単だったろう
(私が泣いちゃ、絶対にダメだ)
下唇を噛んで、溜まった涙を決して流さないように目と眉を吊り上げて、まっすぐに前を見た。
右肩に瑞稀を担いでいても、絶対に下は見ない。
―――下を見たら、涙が落ちてしまう
「応援にこたえられず、すみませんでした」
私はコートから出た時、一言だけそう言いうと。
隣で号泣する瑞稀を引きずるように担ぎながら、一歩一歩、確かに前へ、歩み続けた。
◆
(勝った、のか)
実感が無い。
都内最強のダブルスペアを打倒したのに、まったく。
いつもなら隣でぴょんぴょんと小躍りしながら喜ぶ八重が、唖然としてしまっていることから、それは明らかだった。
「そんな顔をしないでくれ」
―――だけど、部長として
―――最上乃絵として
「私たちは、勝ったんだ」
八重にだけは、喜んでほしい。
勝った時くらい、笑っていてほしい。
「部長さん。八重、なんかね・・・」
八重の言いたいことは分かる。
これはきっと、フェアな勝利ではないのだろう―――
そのことを、感じ取っているんだ。
「いいんだ」
でも、君がそんな事を気にする必要はない。
「笑ってくれ、八重」
如何なる批判も、文句も、ケチも。
3年生である私が、このチームの部長である私が受けよう。
まかり間違っても、八重にその矛先を向けさせない。
それが、今、私がすべきことなのだろう。
それ以外は・・・『今は』考えないでおこう。
(何にしろ、ひとつ)
白桜の牙城を崩した。
大きく、深い一撃を、見舞ったんだ―――
東京都大会 準決勝 "白桜女子中等部 vs 緑ヶ原"
『ダブルス1』
●山雲・河内 4-6 最上・楠木○
―――緑ヶ原の勝利




