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私はエースになりたがっている!  作者: 坂本一輝
第4部 都大会編 2
147/385

VS 緑ヶ原 ダブルス1 山雲・河内 対 最上・楠木 6 "無理矢理"

「もう中学の練習には慣れたか」


 ある日の練習終わり。

 陽が沈み、静けさが支配するグラウンドの端っこ、テニス部の用具倉庫にボールやらネットやらの練習機材を仕舞い、数を確認している時のことだった。


「うんっ。走り込みとかちょっと大変だけど、八重、走るの得意だし大丈夫だよ」

「そうか、それは何よりだ」


 八重はまだ1年生―――入部して、2ヶ月も経たない。

 いくら私のダブルスパートナー・・・レギュラー候補と言えど、厳しい中学の練習を日々行う中、何かあったら大変なことだ。


(この子は、私が守らないと)


 そう、心の中で強く思う反面―――

 自分の奥底にある、『本当の感情』に向き合おうとすると、何とも言えない気分になってくる。

 むせ返しそうな嫌悪感を覚える反面、それが自分の本心だと、どこかで気づいていたのかもしれない。


 その瞬間。


 八重の後ろにあるボールの入った籠が、ぐらついたのが見え、頭に閃光が走った。


「八重、危ないッ!」


 そこからは何も覚えていない。

 気づくと、私は八重に覆いかぶさるようにしていて、自分の背中の上を無数のボールが跳ねては、床に零れていく感覚と、それ相応の痛みがした―――ただ、それだけ。


「いたた・・・」


 私はゆっくりと身体を起こす。

 背中に痛みは残っているものの、別に身体に異常がとか、そういうレベルの痛みではなかった。恐らく明日にも残らない程度の痛み。

 ただ、痛いは痛い。あとで切か榛にでも、湿布か何かを貼ってもらわないと―――


 そんな算段を付けながら。

 ふと、下を見ると。


「―――」


 八重の表情が、恐怖で強張って。

 その唇は小さく小刻みに震えていた。


「・・・」


 何も言えない。

 言うことすらも出来ない。


 そんな表情をしている。


 ―――八重が、何に脅えていたのかは分からない


 落ちてくるボールに脅えていたのか、それが当たった時のことを思ってか、この用具倉庫の暗さか、それとも―――

 だけど、その表情を見れば、どれほど脅えていたのかは一目瞭然だった。

 普段の明るさや、人前で見せる無邪気さに隠れてしまいがちだけれど、彼女は見ての通りの小さな女の子だ。その心だって、同じくらい小さくて脆くて壊れやすいものだということを、十二分に分かっていたつもりだった。


 今、私が見ている光景。


 八重に馬乗りになるような格好で彼女の身体に(またが)り、私の高い視点から見下ろしてみて、改めてわかった。

 小さな彼女の上に乗っかる大きな私―――これは、何か少しでも大きな力を加えたら簡単に傾いてしまうような図式だということ。

 もし、私がこの状態から、八重に"無理矢理"大きな力をかけたら、簡単に彼女のあらゆるものを奪うことだって可能だと言う、その事実―――


「八重・・・」


 私は―――


「部長、さん」


 八重はそこでふっと、手を伸ばす。


「どうして、泣いてるの」


 大粒の涙が零れ落ちる、その頬に、すっと細くて小さな手を、ぽんと当てて。


「すまない。どうしてだか涙が」

「分からない?」

「ああ・・・」


 こんな弱い姿、この子の前で見せたくなかった。

 この子の前でだけは、頼りがいのある、大きな部長で居たかった。

 大きくて格好の良い部長さんで、居たかったのに―――


「訳も分からないのに、涙が出てくるんだ」

「泣くのに、理由って要るの・・・?」


 両頬に添えられた八重の手が、柔らかくて、温かくて。


「なんだかよく分かんないのに泣くことって、いけないこと?」

「分からない、分からないよ・・・」


 身体の中の悪いものが、涙になって出ていくような感覚がした。

 その悪いものが溢れだして作られた涙が、私の頬を伝って八重の指に、雫となって彼女の身体へと落ちていく。


 この光景すら、なんだか悪いことのように思えてきて―――

 また理由も分からず、私は泣いてしまったのだった。


「今までただひたすら全力で走ってきたから、気づかなかった」


 倉庫に鍵をかけ、私は鍵のキーチェーンをくるりと指で一回転させて、ぎゅっと手のひらで握る。


「私は自分で考えているよりずっと不安定で壊れやすい人間なんだって」

「だいじょうぶ」


 左手を軽く握ってくれていた八重の手に、力が籠る。


「これからは、八重も部長さんを支えるよ」

「それでは八重が潰れてしまう」

「ううん」


 彼女は数度、首を横に振ると。


「それじゃあイヤなの。八重だって、部長さんを支えたい」


 そう言って、彼女はそのまっすぐな瞳を、視線を、私にぶつける。


「だって私達、ダブルスペア(パートナー)だもん」

「―――!」


 そうか。

 そうなんだ。

 私はこんな風に、この子に寄りかかっても、いいんだ―――


 対等な関係になっても、いいんだ。


「ね、そうでしょ? 部長さん」


 少なくともコートの中に居る間は、私と八重は対等なのだから。


「ああ・・・」


 ダブルス、か―――

 私は良いものを知った。

 きっと、前だけ見て走っていたら見られなかった景色を。

 私は今、見ている。





(凄いね、さすが最上さんだ)


 彼女を"東京四天王"と言われるシングルスプレイヤーにまで押し上げたサーブ―――並大抵のものじゃない。

 速い、鋭い、重い。三拍子揃った必殺のサーブ。

 でも。


(目は慣れた)


 同じ中学生のサーブだ。

 3球も見れば、さすがに目で捉えることくらいは出来る。


 問題は、"角度"の方。


(上から振り下ろすようなあのサーブを、普通に返したらネットに引っかかる)


 斜め上から放たれた物体が地面と垂直な壁に当たると、物体は斜め下に向かって跳ね返る。

 つまり、あのサーブを返すには打球方向を多少上に向けてレシーブする必要があるのだ。

 だが気を付けなければならないのは。


(加減を間違えればただのチャンスボール・・・)


 敵はそれを見逃してくれないだろう。

 その証拠に、背の低い八重ちゃんが、このゲームになってからネットに張り付いている。

 少しでも浮いたボールが来たら、無理矢理にでもスマッシュに持って行こうという、緑ヶ原ダブルス"必殺の陣形"―――


(瑞稀、わかるよね。私、賭けに出るよ)


 これを崩すには、最上さんに打たせるような長いストロークのレシーブを打たなければならない。

 "上に向かって"長いストロークを。

 一歩間違えればラインを越えてアウトになる、そのリスクを冒してでも。


(ここは―――『勝負』の場面!)


 もう逃げ場のない崖っぷち、ここで『負け覚悟』の賭けに出なければ、私たちに"次"は無い。


 最上さんが数回、ボールをコートにバウンドさせて。

 大きく上にトスを上げる。


 ―――目を逸らすな


 インパクトの瞬間、高速で移動するボール。

 それが私たちのコートに跳ねる。

 球足速く、来たそのサーブを―――


「打つ!!」


 当たった。

 感触は悪くない。

 上から来るボールを、掬い上げるような感覚でレシーブした。


 当然、八重ちゃんは届かない。


 ―――しかし


「「上げすぎた!!」」


 観客から、そんな悲鳴じみた声が聞こえてきた。

 確かに、ほんの少し上へ打ち過ぎたかもしれない。針を穴に通すような感覚だ。多少のズレは仕方ない。

 問題は。


(ラインを超えるかどうか!)


 最上さんは追うのをやめている。

 完全にアウトになると言う判断を、彼女は下したのだ。


 観客の誰もが息を呑み、まるで時間が静止したような感覚に襲わた一瞬。


 ―――すとん、と


 ボールが、敵コートへと落ちた。

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