VS 緑ヶ原 ダブルス2 熊原・仁科 対 小嶺切・小嶺榛 4 "音の無い迷路"
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「さあ、あと1ゲーム」
「張り切って取りにいきますか」
いつもどおり、ラケットとラケットをこつんとぶつけてもう1人の私と最後の意思確認をする。
こっちのペースでここまで来られた。
現在の感触だと、敵に反撃のキッカケは掴まれていない。このまま押せば、このゲームで試合を終わらせられるはず。
(敵のサービスゲーム。しかもサーバーはあの大きい人・・・)
だけど、これをブレイクしてこそ完勝ってもんでしょ。
向こうだって負けが見えて力んでるはず。平常心でサーブを打ってこられるかどうかは、微妙なところ―――
「!」
強力で、厳しいコースへのサーブが飛んでくる。
(何なんだよ、この熊女!)
レシーブが思わず上ずる。
緊張とか精神的不安とか無いわけ? なんでこんな奴がダブルスやってるんだよ。いや、緑ヶ原の部長もそうだけどさ。これだから名門校の選手層って!
そこですかさず前衛の小さい後輩がスマッシュ気味のショットを叩き込む。しかし、威力不足。バウンドが大きく跳ねず、中途半端な球足で後衛の前にボールが飛んできた。
「もらった!」
そう叫ばずにはいられなかった。
フラットショットを叩き込んでやる。余裕のあるフォアハンドから、思い切り力を込めてボールを―――
(振り抜く!!)
狙いは―――後輩の方!
フラットショットが小さい方へと突き進んでいく。
あの子のパワーなら、このショットはまともに返せないだろう。でも、この位置取りなら前衛が返さなきゃ苦しい、返さざるを得ない。どっちにしろ―――
その瞬間。
―――小さい彼女の方が、
―――ネット際でしゃがみこんだのだ
かと思うと。
「ッ!!」
あの熊女が、後方から勢いをつけて駆け上がってきて、そのダッシュの勢いを乗せたまま思い切りフラットショットを叩いたのだ。
もう1人の私がまったく反応できないまま―――
「15-0」
ボールは、コートの隅へと突き刺さる。
「なっ・・・」
なに、今の。
掛け声も合図も、何もなかった。それなのにも関わらず、今の連係プレーをやってのけたのだ。
それがダブルス1の山雲と河内ならいざ知らず。
(この大会まで、登録メンバーにも選ばれてなかったペアが―――)
今の連携をやるのは、計算に合わない。強さの計算だ。
"姫"が言うには、まだペアを組んで半年も経ってないこの2人が、完璧な連携を―――
「へい、切ちゃん」
そこで、ポンと背中を押される。
「榛ちゃん」
もう1人の私が、そこでは同じように表情を強張らせていた。
「今のはやられたね。読めなかった」
「たまたま・・・かな」
「考えてもしょうがないよ。切り替えていこう」
彼女の言葉に黙って二度、頷く。
しょうがない。
私たちには、私たちに出来ることをやろう―――
("かく乱"だ!)
これでゲームの流れを一気にこちらへ引き込む!
敵のサーブを打ち返し、ボールが回ってきた。
仕掛けるなら・・・ここしかない、私はそう判断した。もう1人の私も、どうやらそのようだった。
「榛ちゃん! 交代!」
「OK、切ちゃん!」
言って、前陣へダッシュして上がる。
さあ、迷え。一瞬でも判断が鈍れば、そこに隙が生じる。それを私たち双子は見逃さない。その亀裂を広げて、バラバラに崩してやるから。
もう1人の私が去り際に、敵ダブルスのど真ん中へショットを返す。
(最高のショットだよ!)
ダブルスの基本、敵の間を狙う。それが完璧に出来た。
しかも敵は"かく乱"を食らってる状態。
(迷えよ、迷え!)
フラットかスライスか、選択肢は2つだよ!
―――しかし
「!」
敵は迷わないどころか、あの小さな後輩が無理矢理スライスショットを打ち返してきた。
不安定な体勢からにも関わらず、コントロールは崩れない確かな精度のショットを。
("かく乱"が・・・効いてない!?)
ここで初めて、私は敵の雰囲気が今までと違っていることに気が付いた。
なんだこの2人・・・、どうして。
(どうして"何も言わないのにお互いの動きが分かる"の!?)
まるで、山雲・河内ペアと戦っているような感覚。
あそこまで洗練されてないにしろ、今のこいつらはある程度の意志疎通が出来ているように思えた。
「榛ちゃん! 威力は弱い! アンタが決めて!」
後方からの言葉に、軽く返事をして。
「食らえ!」
私は思い切りフラットボレーを叩き込んだ。
この威力なら、熊女でも強くは返せないだろう。
案の定、彼女はロブ気味の山なり軌道のショットを後方の私へと返す。
「切ちゃん! コーナー!」
さっきので陣形は崩した。厳しいところにスライスショットを決めてやれば、返せないはずだ。
「えいやッ!」
もう1人の私の角度がついたスライスショットが敵コートへと跳ねる。
そのままボールは逃げていくように外側へ―――
「いかせない!!」
跳ねていく前に、前陣からギリギリまで下がっていたあの小さな後輩に、更に鋭い角度でショットを返され。
「30-0」
私たちは、それを呆然と見送ることしか出来なかった。
(読まれてた―――!?)
戦術が、それをアシストする"かく乱"が、通用してない。
(あの2人は終盤になればスタミナ切れを起こすんじゃなかったの、"姫"!?)
全然そんな素振りは無い。
むしろ、表情を緩めてハイタッチするあの2人を見てるとまだ余裕があるとさえ思えてくる。
どういうこと。こっちのデータにもなく、戦術も通用しない敵。
そんなの。
「ゲーム、熊原・仁科ペア」
聞いてないし―――
「5-5!」
追いつかれた。
いいや、違う。これは五分にされたんじゃない。
試合を終わらせるチャンスを、失したんだ。
「はあ、はあ・・・」
肩で息をして、何とか膝に手を付かずにいられる。
日光が焼けるみたいに熱い。ベタつくいやな暑さが身体中から体力を吸い取っていく。
この天候でフルセットのゲームは―――まずい。
後ろを見ると、もう1人の私も意見は同じようだった。
(何が、起きてるの・・・!?)
誰も、何も教えてくれない。
派手な戦術や必殺のボールなら対応のしようがある。でも、今の敵は。
(この"物言わぬ怖さ"―――)
静かすぎる。
コート上があまりにも静かだ。そして、これは確実に嫌な静けさだった。
沈黙と言っても過言じゃない。
聞こえてくるのはセミの鳴き声、応援団の声援、それにボールが跳ねる音と打ち返すラケットの音。
(なんで、向こうは合図も、声かけも一切しないの!?)
疲れたから、めんどくさいからとかいう理由じゃないのは分かる。
それでも。"それ以外のこと"が何もわからない。
この謎が解けなきゃ、私たちは―――
まるで、出口の見えない巨大な迷路で四苦八苦して走り回っている感覚。
走っても走っても、次の分岐点が見えてくるだけ。行き止まりは無いが、同じ光景が続く恐怖。
それに、完全に呑みこまれてしまっていた。




