山雲咲来
◆
秋の都大会、準決勝。
新チーム結成以来破竹の快進撃を続ける我ら黒永学院女子テニス部は都内でも最大のライバルとも言える白桜との試合を控えていた。
白桜は黒永とは対照的に新チームになってから大分苦労を重ねている、そんな噂は聞いてはいたのだ。
だから、
「ダブルス1、山雲・河内ねえ」
メンバー表のその名前を見た時、正直楽勝だと思った。何故なら、両名とも夏の大会で大会登録メンバーにすら入れていない奴だったから。
「なに銀華? 気になんの?」
「いや、全然」
弥生があたしの顔を覗き込んでくる。
「楽勝・・・だと思っただけ」
「そういう負けフラグ立てんのやめてよー!」
つい零してしまった言葉に、弥生はぽかぽかと頭を叩いてくる。まあ、いつものこと。
フラグとか、んな細かいことを気にするのが弥生らしいな。あたしら一応、ジュニアの頃だけど全国大会で優勝とかしてんのに、まだ気になるんだな。
・・・いや。
優勝したからこそ、そんな些細なことも気になるのか。
「お前となら誰にも負ける気せんけど」
だからこういう事は、ハッキリ言っておくべきなんだろう。
すると弥生はぽかんと一瞬動きを止め。
「そういう話をしてるんじゃないっつってんの!」
益々怒りはじめてしまった。
おかしいな、完全に火を消しに行ったのに、油を注いでしまった。
(こいつのこと、10年以上一緒に居るのに何もわからんわ)
一体、いつになったら全部分かるんかな。
そんな日は来ないかもしれない。来なくても良いけど。
―――この気持ちが慢心だったとは、思わない
しかし、この日、あたし達は。
白桜のダブルス1に、完膚なきまでに叩きのめされることになる。
あの2人の名前が東京、関東中に響き渡った、記念すべき試合の"やられ役"をやらされることになったのだ―――
◆
「すごい・・・」
試合後、私は感動に打ちひしがれていた。
「これ、すごいよ」
心臓のドキドキが、止まない。
頭の中は逆に冷たいくらいなんだけど、考えがおっつかないくらいの快感で溢れている。
目頭が熱くなって、泣きそうだ。
テニスをやっていて、初めて知った。勝利の悦び、悦楽―――
(勝つって、こんなに楽しいんだ)
毎日の辛い練習も、日々も、この瞬間の為なら投げ打てる。
そう思わせられるだけの決定的な対価だと思う。このドキドキが味わえるなら、ここに来るまでの努力はする価値があると。
―――これも、全部
隣に居る彼女を見遣る。
(河内さんの、お陰・・・)
この子が居なかったら、一生体験できなかった。
黒永のペアは信じられないようなものを見たような表情で呆然としている。まるで目の前の状況がまったく理解できていない、見えていないように。心ここに在らず、とはまさにこんな人たちの事を言うのだろうと、明確に分かるほどに。
(この子と一緒なら―――)
もっと上へ、もっと先へ、もっともっともっと。
『全国』の舞台にだって、行けるかもしれない。
そう思うと居てもたってもいられなくなって、気づくと河内さんに話しかけていた。
「す、すごかったね今の試合・・・」
「奇襲作戦が上手くいきましたね。先輩、いつもより動けてましたよ」
「そうかな」
河内さんに言われると、くすぐったくなってきて。
後頭部の下の辺りがむずがゆくなってくる。
「わ、私ね。河内さんとのダブルス、続けたい・・・」
「まあ結果が出たからには監督も使い続けてくれるんじゃないですか」
「河内さんは良いの?」
「良いも悪いも、スタメンで試合に出続けられるならやりますよ。レギュラーの地位を自分から手放すなんて馬鹿らしいじゃないですか」
か・・・。
(カッコいい・・・!!)
なんて冷静で物事を客観的にみられる子なんだろう。
私なんか今、試合に勝てたことが嬉しくて、気持ち良くていっぱいいっぱいになっちゃってるのに、この子は淡々と、いつものように半目でつまらなさそうに呟くんだ。
ちょっと陰があると言うか鬱屈とした雰囲気が、もう―――
「それに、先輩とやるダブルス、別に悪くないですし」
―――素敵すぎるっ!
河内さんの左手を、気づくと私はバッと握っていた。
「あ、あの!」
もう自分でも何が何だか分からない。
「苗字じゃ他人行儀だし、瑞稀ちゃんって呼んでいいかな!? 私のことも咲来でいいから!」
この勢いに任せて、私はどこまでもいけるんだ。
「え、えぇ?」
「ダメかな!」
そんな気がして、そんな気しかしなくて。
「好きにすればいいじゃないですか。・・・あたしは、山雲先輩のままでいいですよね?」
「うん! それでいい! それがいいよ!」
私は瑞稀ちゃんに、のめり込んでいった。
この子は私の運命の人―――きっとそうなんだ。私はこの子と出逢う為に、テニスをやっていた。
そんな風にさえ思えるほど。
この子と出逢えたことって、きっと私にとってゴールじゃなくてスタートだと思うから。
私はようやく、ここでテニスプレイヤーとしてスタートラインに立てたんだ。そうに違いない。
そんな絶対的な確信をもって―――
私は堂々と胸を張って、白桜の新レギュラー争いを勝ち上がっていった。
◆
しかし。
まさか黒永とのこの試合に、チームとして負けるとは思わなかった。
私たちダブルス1と、シングルス2の新倉さんが勝ちを挙げたものの、ダブルス2、シングルス3の2試合を落とし、決戦の形となったシングルス1で、まりかが綾野さんに負け―――
白桜は準決勝で秋の大会から去ることになった。
夏の大会ほど大規模な大会ではない秋の大会では、関東大会に進出できるのは優勝校のみ。
つまり、私たちの秋大はここで終わりということになる。
「まりか―――」
試合後、声をかけようにもかけられなかった。
まりかにとって初めてシングルス1を背負って戦った黒永戦。
そこでまさに勝負の雌雄を決する場面を任され―――敗れ去った、その悔しさ。
それは私の想像できるようなものではないのだろう。
でも。
(まりかは初めてエースとしてチームを背負った。気負いすぎた面も、あったと思う・・・)
対する綾野さんは全国で大暴れした夏の大会でも、3年生が居る中でシングルス1を任されていた。
彼女は3カ月前から既に黒永のエースで、何度も何度も修羅場をくぐってきたのだ。
初めてのまりかとは・・・何もかもが違う。
しかし、負けたという事実は変えようがないことだ。
自分たちの代では全国へ、と意気込んでいた2年生・・・そして、1年生にも動揺は大きいと思う。
まりかがショックで最大限に動揺してる今―――
(私が)
今こそ、副部長の役目を果たす時ではないだろうか。
(私がしっかりしなきゃ)
今の私には、自信と自負がある。
それにまりかに比べれば、心の余裕だって多少はあるつもりだ。
だから、今は。
私がやらなきゃダメなんだ。
思い立った私が、最初に話しかけたのは―――
「まりか」
私たちの部長に、だった。
「貴女に落ち込まれると、私たち困っちゃうよ」
「・・・」
いつも飄々と、時にはへらへらしてるとすら思える彼女からは想像がつかないほど、今のまりかは沈んでいた。
「ねえ私たちどうすれば良い? このチームの頭はまりかなんだよ」
「・・・」
「まりかが何か言ってくれなきゃ、私たち動けないよ」
負けたその日に、酷なことを言っていると思う。
でも―――
部長がいつまでもそんな情けない姿をされちゃ、困るんだよ。私だってまりかだって、前部長のそんな姿、見たことない。
『自分の練習があるから、チームのことは知らない』
そんなのが許される立場じゃないんだよ、まりかの座ってる部長っていう役職は。
「・・・咲来」
聞こえてきた、まりかの消え入りそうな声には。
「みんなを集めて欲しい」
「うん」
―――小さいけど、確かな強さの
「今日は走るよ。立てなくなるまで」
「・・・うん」
―――灯が、点っていた




