三者三様
◆
試合後、チームの雰囲気は明らかに良く無かった。
あとひとつ。
あとひとつ、取れば―――
(あの黒永に勝ててたのに・・・)
誰も言葉にしないけど、そんな気持ちが充満しているのは明らかだった。
(作戦は上手く行った。私だって、自分で信じられないよ。あの黒永のダブルスに勝てたなんて)
それこそ奇跡みたいなものだ。
その偶然が、2つ重なった。ダブルスの2勝―――
次、もう一度黒永と試合をすることになっても、恐らく勝てないであろう2勝を、したのに。
―――遠かった、あとひとつ
風花ちゃんは試合後、ずっと俯いて部長の手を握っている。
彼女自身も敗北のショックと責任感に押し潰されそうになっているのだろう。
それと同じくらい、私も悔しい。
悔やんでも悔やみきれない敗北だ。
もし、あのとき―――
「まだだよ!!」
その瞬間。
部長の大きな声が、耳を劈いた。
「みんないつまで落ち込んでるの! さぁ上を向いて!」
みんな、ぽかんとしている。
しかし部長は手を叩いて、下を向いている部員たちの肩を1人1人、叩いて上を向けさせた。
「風花」
「響希ちゃん、ごめ」
風花ちゃんが何かを言おうとした瞬間、部長は人差し指を指しだし、それを彼女の唇に付けるようにして言葉を遮った。
「謝らないの! しょうがないでしょ、負けちゃったもんは負けちゃったんだから」
『負けた』
その言葉が、私たちの心に重くのしかかる。
「でもね、私たち、まだ終わってないんだよ。来週の3位決定戦で勝てば、関東大会出場の可能性が残ってる。まだこのチームでテニスを続けられるんだから」
「それはそうだけど・・・」
誰かがぼそっと呟く。
そんな簡単に割り切れるものではない・・・そんなの、部長だって分かってる。
だからこそ、彼女は部長としての責務を果たそうとしているんだ。
「はいはい、じゃあ来週戦う相手の試合を見に行こう。第2試合は向こうのコートだよ。ほらテキパキ歩く!」
部長は落ち込む部員たちを立たせ、自分が引っ張るんだと証明するように、みんなの背中を支え、押しながら移動を始めようとする。
最初はふらふらだった部員たちの足取りも、段々と早くなっていき。
「今日、帰ってからの1週間の練習は地獄だからね! 超特別メニュー組んじゃうんだから」
「ええ~。勘弁してよぉ」
「文句言わない! 負けたんだからキツイ練習するのは当たり前でしょ。来週負けたら終わりだよ!」
うへぇ、という弱音と。
しょうがないなぁという、不思議な色の声が聞こえてくる。
(すごいな、部長・・・)
本当は、誰よりも悔しいはずなのに。
切り替えたように振る舞って、みんなを元気づけて。
弱音も、恨み節も、一切言わない。いじけたり落ち込んだりもしない・・・。
―――すごい精神力だよ。
貴女が部長で、本当によかった。
部長が部長をやってくれたから、私たちはまだ戦えるんだ。
そう、再認識した。
◆
「バカヤロォー!!」
頭にがつんと鈍器でも叩きつけられたかのような大声。
「お前のやる気が出る、出んなぞ私たちの知ったことか!」
他のチームや観客に見られてるとか、関係ない。
美憂は試合が終わるなり、微風弥生と那木銀華を呼びつけて怒鳴り上げた。
自身がシングルス1の試合を終わって間もないことなんて関係ない。
6-0で完勝した美憂は試合の疲れも見せず、2人を公開説教でもするように。
「そんな下らん理由で引退させられる仲間にお前はどう申し開きするつもりだ、銀華ァ!」
「・・・」
「弥生、お前は相棒のコントロールの仕方もわからんのか! 3年間ただ何も考えずぼうっとテニスしてただけか!!」
「・・・っ」
まっすぐ美憂を睨みつける銀華と、目を伏せて必死に泣くのを堪えている弥生。
2人の反応は対照的だった。
「うわ。怖ぁ・・・」
「黒永の鬼軍曹だ」
遠巻きにそんな声が聞こえてくるほどには、衆目に晒される格好になっている2人。
しかし関係ない。あのモードになった美憂には、そんなこと。
(銀華と弥生だって、1年生の頃からレギュラー張ってた天才ダブルスプレイヤー・・・)
ジュニアの全国大会で優勝経験のある、本物だ。
だからこそ、今日の醜態が許せないのだろう。
普通にやれば負けることが無い相手に負けた・・・そのことが、どうしようもなく。
「志麻ちゃん志麻ちゃん」
その時。
こそこそと耳打ちしてきた声―――
「ありゃまずいよ。ハニー、おこ度120%最強モードだよ」
五十鈴だ。
いや、美憂のことをハニーなんて呼ぶ(呼ばせてる)のはこの子くらいなんだけど。
「見ればわかるよ」
「100じゃないよ、120なんだよ」
「どう違うの?」
「やよちゃんが泣いても許してくれない」
ああ、そりゃ相当だ。
そして五十鈴が言うって事は、そうなんだろう。
―――こんな風に、少しお道化た様子の五十鈴が
さっきの気迫を纏った選手だと思うと、やっぱりモノが違うな・・・と感じる。
そう、今から遡ること1時間以上前。
鏡藤さんとの激闘を終えた時の事を思い出す―――
『ははっ』
試合後、挨拶を終えた五十鈴はコート上でそう思わず噴き出した。
その感情がどういうものだったのか。
何となく想像はつく。
決して相手をバカにする嗤い、嘲笑の類ではない。五十鈴に限って、勝ちが嬉しくて笑ったわけでもないだろう。
(純粋に、凄い試合だったこと・・・凄い選手と対戦したことが、嬉しかったんだ)
あの選手すげーな。
そんな純粋な感嘆、感心。そんなものが、あの噴き出しには籠っていたように思える。
そう確信したのは、コートから戻ってきた五十鈴の言葉を聞いたからなんだけど。
「負けるかと思ったよ」
聞いた瞬間、美憂でも驚きの表情を見せたほどだった。
五十鈴が弱音を吐くなんて、本当の本当に滅多にないことだ。
少なくとも、ここ半年は聞いたことなんて無かった。
「五十鈴・・・」
「でもね。こんな選手が都大会に居るんだ。世の中にはまだまだ戦ったことの無い、知らない凄い選手がいっぱいいる」
そして、五十鈴は興奮した様子で息を吸い込み、そして吐き出しながら。
「私はもっと、強くなれるッ・・・!」
顔を赤くし、身体を震わせながら、そう言った。
負けそうになったことを怖いとも思わない。
逆に、負けそうになった戦いを制したことに、武者震いしている。
綾野五十鈴というのはそういう選手だ。
だから、バケモノなんだ―――
(スポーツの世界には『憎たらしいほど強い』と称される領域にまで到達する選手が現れることがある)
あまりにその選手が強く、誰が臨んでも勝てない。
まったく負ける気配すらなく、衰える様子もない圧倒的な王者―――
時に大衆からは『勝ち過ぎてつまらない』と批判され、『接戦が見たい』と嫌われるほどの実力を持つ、そんな"高み"を超越した"極み"に。
―――五十鈴は、足を踏み入れつつある
◆
「黒永が負けかけた・・・」
思わずそう声に出さずにはいられなかった。
決勝の対戦相手の視察に来たつもりが、こんな場面に出くわすなんて。
あたしは戦慄していた。
あれが、この東京のてっぺん―――
「いや、違うな。黒永の強さが改めて証明されたと見るべきだ」
部長はそう言うと。
「だろう、姫?」
後ろに居るセンパイに、投げかける。
「そうですね。黒永の戦力の分厚さを再確認できましたわ」
センパイは目を瞑って、落ち着きながら・・・少しだけ表情を緩めながら答える。
「なんか、拍子抜けっていうかー」
「私たちでも倒せそうだよねー、あのダブルス」
小嶺先輩たちはいつものように楽しそうに。
「「ねー」」
と声を合わせた。
「雛。黒永を倒すにはボクたちシングルスが鍵になってくるよ」
そして隣に居た梶本先輩が、小さなその胸を目いっぱい張って。
「緑ヶ原のエースであるボクが、綾野を倒す!」
高らかに宣言してはっはっは、と大笑いする。
いつもの光景―――
(姉貴、あたしはここまで来た)
"最強の仲間"と一緒に、アンタと戦える。
この人たちが、『あたしたちが』アンタらより上だって言うのを。
「いきましょう。あたし達がまず為すべきは、白桜に勝つことです!」
―――証明してやる!




