黒永 vs 初瀬田 シングルス3 綾野 対 鏡藤 4 "乱反射"
「勝てる算段は付いたかしら?」
再び、ベンチに座る監督の前に立つ。
これは黒永学院女子テニス部における義務のようなものだ。
監督がベンチに入る場合、エンドチェンジのたびに試合経過の報告、気づいたこと、勝つための方法とその理由を話さなければならない。
普段の練習ではほとんど直接指導をしないこの人の、直の言葉を聞ける数少ないチャンスでもある。
「パワーを無効化してくる相手に力押しではなく、スピード重視の戦い方に切り替えたのは成功でした。このままいけば、次のエンドチェンジを迎える前に試合を終わらせられる」
「都大会で綾野さんに本気を出させるなんて、見上げたものだったけれど」
監督はふふっ、と笑みをこぼしながら、私の更に後ろを見るような目をした。
つられて私も振り返る。
見ていたのは・・・初瀬田のベンチか。
「いいえ、やめておきましょう。とにかく最後まで油断しないでやりなさい」
「はい☆」
監督に頭を下げると、水を少しだけ飲んですぐに出ていく。
今、すごく状態が良い。すぐにでもコートの上に行きたい。
直感的にそう思ったから。
(このまま終われるならそれに越したことはない。でも―――)
何らかの対抗手段が用意されているなら、それはそれで面白い。
(こんなに良い試合が決勝前に出来るとは思ってなかったよ。骨までしゃぶり尽くしてから捨てたいね、風花ちゃんは)
だから、鏡藤風花のすべてをぶつけてきてよ。
まだ手の内が残ってるのに使わないまま終わるなんて、そんなの許さないから。
相手の全てを否定して、勝つ―――
テニスプレイヤーとして、それより上の幸せなんて、無い。
◆
「響希ちゃんっ」
「ん・・・」
気が済むまで、思い切り抱きしめる。
響希ちゃん成分をたっぷり補給しておかないと、この先はまずいかもしれないから。
プレー中に空になってしまったら、洒落にならない。
「風花、ちょっと痛い・・・」
「ご、ごめんなさいっ」
響希ちゃんの苦しそうな声が漏れてきて、慌てて手を放す。
「でも、十分チャージ出来たよね?」
「うん。これで"あれ"を使える。私たち2人で作った、愛の結晶を」
鏡は自分ひとりで編み出したもの。
でも、"あれ"は違う。初瀬田に来て、響希ちゃんと出会って作り出したもの。
響希ちゃんと出逢えなかったら、得られなかったもの―――
「風花っ」
響希ちゃんは少し下から、私を上目遣いで見ながら、少しだけ戸惑ったように言葉を迷うと。
「がんばってね!」
力いっぱいそう言って、微笑みかけてくれた。
「~~~」
顔がぽっと熱くなるのを感じる。
(だめだ)
―――かわいすぎる
もう1回、抱きしめたくなった衝動を抑えるので大変だった。
鼻血が出そうなほど熱くなった鼻元を抑えながら、コートへと戻っていく。
(あんなにかわいい恋人が、応援してくれてる)
その事実だけで十分すぎる。
今の響希ちゃんメーターはMAXを通り越して200%くらいある。
これなら。
「お見せしましょう、綾野さん」
―――力を200%、発揮できる。
私は言ってから、すっと上半身をかがめて腰を落とす。
「"鏡"の乱反射を」
もうスタミナなんかいつ切れたって良い。
私の腕が動かなくなるか、この試合が終わるか。
―――最後の賭けに、出ることにしたのだから
トスを上げて、サーブを打つ。
当然のように打ち返してくる綾野さんのレシーブ・・・ただでさえとんでもないスピードのレシーブだ。
それが更にまた、バウンドと同時に加速する。
でも。
(―――見切ったッ)
私だって、ただ点を取られ続けていたわけじゃない。
このバウンド加速するショットを、視ていた。
"鏡"の乱反射を使うには、徹底的なまでに相手のショットの回転、特性を見極めなければならないからだ。
そして、今―――それが成った。
右腕に全身のあらゆる力を集め、綾野さんのショットのパワー、スピン、スピード・・・その"総て"を―――
◆
それはとんでもなく分かりやすいショットだった。
綾野さんの高速レシーブが、鏡藤さんのラケットに触れた瞬間。
まるで威力が殺されたように―――
ふわり、と。
浮かび上がった。
しかし即座に反応した綾野さんが、ネット際まで間を詰めてくる。
それと同時だっただろうか。
ほっぺたに、心地いいくらいのそよ風が吹き抜けた。
真夏のからっとした暑さにはちょうどいいくらいの弱い風―――
それに、ボールが乗った。
綾野さんが差し出したラケットの僅か先を、風に乗ったボールが通り抜けていった、僅かその一瞬が―――わたしにはスローモーションのようにゆっくりと、長く見えた。
まるでこの瞬間を忘れるな、と誰かに言われているかのように。
その光景が、あまりに印象的だったのだ。
「15-0・・・」
ボールを見逃した格好になった綾野さんが、少しの間だけ、ラケットを差し出したその格好のまま、動けないでいた。
「ふふ」
しかし、彼女は思わず吹き出すように笑うと。
「面白いね☆」
言ったのは、そのたった一言だけ。
すぐに何事も無かったかのようにレシーブ位置へと戻っていく。
「なに、今の!?」
「今まであんなの見せてこなかったよね?」
「鏡藤さんの、秘密兵器っ」
この状況を放っておかないのはコートを取り囲む観客たちだ。
それは勿論、わたしも含めて―――
「すげー!! ボールが浮かびましたよっ。ふわって! 綾野さんのスピードボールの威力を、完全に殺して!」
スピードボールのラリーが来るかと思ったところに、あのそよ風に乗るようなロブショット・・・ううん、ロブショットなんてものじゃなかった。
超スローショット―――一本調子なラリー戦に突然、あんなものを混ぜられたら普通は反応できない。
「あの綾野が一瞬、虚を突かれてましたね」
「あれに反応する方が無理な話ッスよ! でも―――」
万理が繰り出そうとした言葉を。
「痛そう、なの」
海老名先輩の嘆きが、遮った。
「痛そう?」
「うん。あのショットを打った瞬間の鏡藤さん・・・、表情を歪めてたの」
あの驚異のショットが放たれた瞬間に鏡藤さんの表情を見ていた、海老名先輩の目の付け所も驚きだけど・・・今はそれはいいとして。
「・・・なるほど。鏡藤、勝負に出てきましたね」
「どういうことなんですかっ!?」
勝手に納得しないでくださいよ、このみ先輩っ。
説明プリーズ!
「痛みが出るほどの強力な必殺ショットを使ってきたって事ですよ」
「あの加速するスピードボールの威力と速度を完全に殺してあの距離のロブショットを打つなんて、並大抵のことじゃできなさそうッスね」
「腕、特に肘への負担が半端無いんじゃないんですかね」
「わざわざ自分の身体に負担がかかるショットを使うんですか?」
わたしは、先輩に散々、腕への負担になるような事はするなって言われてこの数か月間練習してきた。
その教えから真っ向から対立する戦法を執るなんて―――
「そこまで驚くことじゃないですよ。自分の身体に合わんショットなんてのは誰にでもある。お前もボールに回転かけるのが苦手でしょう? それを無理矢理やってるようなものなんですよ」
「そ、そう言われれば。確かに・・・」
「まあ、お前とはレベルが段違いの話なんですけどね」
「もうっ! 折角納得しかけてたのにっ」
それに自分の話とはレベルが10個くらい違う事くらい、わたしにだって分かってますよ!
「40-0」
そのコールに、またもや会場がどよめく。
「ただ―――」
このみ先輩が、口に手を当てながら。
「表情が歪むほどの痛みを伴うショットなんてものは、絶対にやらない方が良い。あのショットはハイリスクハイリターンのもので間違いないですね。これは―――」
コート上の鏡藤さんを見て、眉間にしわを寄せる。
「鏡藤の腕が耐えられなくなるのが先か、綾野が負けるのが先か。時間が勝負の鍵になりそうですね」
短期で決着が付くなら、鏡藤さん。
逆に長丁場に持ち込めば、綾野さんが有利なのは火を見るよりも明らかだ。
こんな最終兵器みたいなものを最後の最後まで隠しておくなんて―――
(あの人、やっぱり)
―――強い
テニスプレイヤーとして何よりも大事な腕を酷使するショットを使ってでも、勝ちに行くあの姿勢。
それは鏡藤さんの心の強さ、それを何よりも証明していた。
一見優雅で、優しそうで、綺麗で。
どこかのお姫さまなんじゃないかと思わせる雰囲気すらある鏡藤さんを、あそこまで勝負に駆り立てるモノって。
(いったい、何なんだろう・・・)
ただテニスが好きなだけで、ただ上手なだけで、あそこまで出来るとは思えない。
人をそこまで勝利に執着させる、その"理由"って―――
きっと。
(本当に強い"想い"なんだろうな)




