黒永 vs 初瀬田 シングルス3 綾野 対 鏡藤 3 "五十鈴の『世界』"
―――想いが強さに変わるのなら、五十鈴の上をゆく子が中学テニス界に居るのか
1番近くで彼女を見てきた私の答えは、NOだ。
五十鈴ほど、強くなりたいと想っている選手を私は他に知らない。
(五十鈴は、"世界"を見てきた―――)
小学校4年生から6年生までの3年間、五十鈴はアメリカに留学していたという。
その時、彼女は見たのだ。
日本では決して見ることのできない、『世界』を。
まだ十歳の少女の瞳に映った世界は、決してやさしいものではなかった―――
『みーちゃん、信じられる? 世界には自分の家族の生き死にを背負ってテニスをしてる子が居るんだ』
ある日、立てなくなるまで練習した後。
コートで大の字になりながら仰向けで寝そべる五十鈴は、そんな話をし始めた。
『あれはアメリカに行って1年も経たない頃だったかな。ある大会に出場して、1回戦を勝ったんだ。負けた相手は頭を抱えてて・・・涙も出ないほど絶望してたよ』
五十鈴はもう暗くなりかけている夕暮れの空に、手を翳しながら。
『"この大会に家族を賭けてきたのに、ごめんねお母さん"・・・彼女は、そんな事を言ってた』
私はボールの入った籠をよいしょと持ち上げ、運搬用のカートに1つ1つ乗せていく。
五十鈴はこういう事はしないから、私がやっている。
別に、そのことに不満があるわけじゃない。
私は部長だ。黒永の100人近い部員を任せられた、リーダーだ。
それに。
五十鈴にはなるべく、負担をかけたくない。
『愕然としたよ。自分がどれだけ易しい環境でぬくぬくやってたのかを思い知った。明日の生活を賭けてテニスをやれるかい、ハニー?』
『・・・日本では考えづらいことだな』
『そう。別にそれが悪いとか、そういう話じゃないんだ。人それぞれ立場があるからね』
選手としての五十鈴は、一種の記号であると考えても良い。
黒永に、確実に1勝を付けてくれる、記号―――
『でも、私は。そんな子にだって、負けたくない。たとえ相手にどんな事情や立場や想いがあろうと、勝ちを譲るつもりは全くないし、勝利への渇望とはまったく関係ないことだと思ってる』
生き死にを賭けて、文字通り決死の覚悟でくる相手を蹴落とすイメージ。
・・・想像もつかない。
その想像もつかない体験を、五十鈴はしてきたんだ。
『情け容赦は相手の為にもならないし、何より自分の為にならないよ。そんな奴は遅かれ早かれテニスを辞める』
私は五十鈴が話している間にカートを倉庫まで押していき、倉庫の鍵を閉め終えていた。
五十鈴はそれに気付いてはいたが、話を止めようとはしない。いつものことだ。
私が五十鈴の話を聞いてない可能性なんて、微塵も考えてない。
『私がハニーを好きなのは、そんな事絶対にしないって分かってるからだよ☆』
『・・・情け容赦、か。確かに、それも考えたこともなかったな』
ふむ、と口に手を当て思案する。
情けや容赦をしていたら、この大所帯をまとめ上げることなど不可能だろう。
そんなものを挟もうものなら、反撃してきそうな奴らばかりなのだから。
『今日も銀ちゃん相手に怒鳴ってたもんねー。あと相変わらず1年にも』
『銀華は1番たるんどる。あいつにはダブルス1としての自覚が無い。1年は論外だな。あいつらの代になる来年の黒永が思いやられる』
考え方、練習態度、強さ。すべてが生ぬるい。
銀華の場合はやれば出来るのにベストを尽くさない悪い癖を抜けきらなければ、全国では戦えない。
『1年生はもう少し締め上げる必要があるな』
『ひー、怖え怖え。ハニーの後輩じゃなくてよかったよ☆』
気づくと、五十鈴の姿がコート上から消えている。
どこへ行った?
暗くなりかけている夕闇の中、目を凝らして遠くを見ようとすると。
『っひゃあ』
つーっと。
ゆっくりと背筋を上から下へ、指でなぞられる感覚がして全身がぞぞっと総毛立つ。
『へっへー。っひゃあ、だって。かわいいー☆』
『五十鈴!!』
私が怒鳴ると、彼女は蜘蛛の子を散らしたかのようにぴゅーっと去っていく。
普段のプレーで鍛えられた五十鈴の逃げ足には、正直追いつけない。
無駄な体力も使いたくないので、こういう時は私が諦めるのがいつもの流れになっていた。
『・・・そういうのは、部屋の中だけにしろ』
『部屋の中でやると捕まっちゃうじゃん』
『怒らないから』
『そんなウソに誰が引っかかるの☆』
まったく、食えない奴だ。
時と場所と時間によっては、本当に怒らない時はある。寝る前とか。
五十鈴の"いたずら"にしては、今のは1番他所向きのものだ。ああいうのは他校の選手や記者さんの前でもやってくる可能性がある。
(五十鈴の二面性を表してる行為だな―――)
普段の五十鈴は、あんな感じのいい加減な女だ。
年相応にいたずらしたり、ふざけたり、後輩をおちょくったりする、ただの女子中学生。
しかし、その五十鈴が。
ひとたびコートに入れば、"人が変わる"。
天然モノ―――そうとしか言いようがない。まるでスイッチが切り替わったかのように、違う人格が出てきたように。
コートの中の五十鈴は、どこまでも"独り"なのだ―――
◆
コートの中では、独りで良い。
私がそう考える1番の理由は―――勝者は常に1人だからだ。
栄冠が与えられるのは、たった1人。その1人になりたくて、テニスをするんだ。
(そこに、他者は介在しない)
如何なる思い、立場、事情。そんなもの、ここでは意味を持たない。
勝った者が正義であり、勝ったものだけが意味を持つ。
そういう世界に身を置けない者が、ここに入ってくるべきじゃないんだ。
―――私に楯突く連中は
トスを上げ、いつものように右腕を振り抜く
―――1人残らず蹴散らしてやる
それがサービスコートで跳ね、敵はそれを返せない。
(順回転のスピードサーブ、これが"ワンランク上のサーブ"だよ)
でも。これでも。
まだ足りない、まだまだ足りない。
アメリカではこれにプラスしてパワーを持ったビッグサーバーも居た。
そういう連中に勝つには、これで満足しちゃダメなんだ。
鏡藤風花の持つ"鏡"。それに真正面から挑んで、完全に負かすくらいじゃなきゃ。
―――世界一には、なれない
(来なよ、風花ちゃん。もっともっと、私を苦しめて見せてよ)
それくらい出来るんでしょ、貴女には。
私を倒せるくらいの気持ちで来てるんでしょ。
そういう相手と試合をしなきゃ。
私は、明日の生活を賭けてプレーしてる選手たちと肩を並べられない。
どれだけ強い想いも、気持ちも。
その全てを跳ねのけて勝てるんだと証明しないと、私は次のステージへ行けないんだ。
―――強者と試合をして、強者をぶっ倒す
―――それを続けていれば、私は世界一になれる
―――だから、私は全国へ行きたい
―――日本中の強者が集まる、全国へと
私の放ったショットが、風花ちゃんの脇を抜けていく。
明らかにこちらのスピードに対応できていない。
自慢の鏡も、それに圧倒されて曇り始めている。
それが、感覚として伝わってきていた。
「ゲーム、綾野。2-3!」
あと1ゲーム。
(まずは追いついて、そっちが余裕無くなる様子を見せてもらうよ)
その先を、見せてよ。
鏡藤風花―――




