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私はエースになりたがっている!  作者: 坂本一輝
第3部 都大会編 1
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風花と響希



 初瀬田で迎えた、初めての大会―――秋の大会。

 地区予選を突破して都大会に進出したまではよかったものの、都大会では1回戦敗退。


 響希ちゃんが負けたみんなを慰めている、その輪を―――


 私は、コートの外から、ただぼうっと眺めているだけだった。


(・・・確かに、大会には出ないって言い出したのは私だったけど)


 みんなの悔しそうな表情や、全力でテニスに取り組んでいる姿を見ていたら、胸が痛くなった。

 これはトラウマだとか、私自信の過去がどうだとか、そういう問題じゃない。

 純粋に、良心が痛む。


 あんなに温かく、私を迎えてくれたみんなが本気になって戦ってるのに―――


(私、何やってるんだろう・・・)


 自分に出来ることをするわけでもなく、ただ外から見ているだけ。


 でも。

 しょうがないじゃない。


 私の中には、同時にそういう気持ちだってあった。

 "あの中"に戻るのは・・・怖い。

 私は全部を投げ出して、逃げてきたんだ。それにはそれ相応の理由があって、本当にイヤになったから逃げてきた。


 環境を変えたからって、すぐに戻れるかと言われれば―――そんな簡単なものではないのだ。


「風花ちゃん、上手だね。さすが経験者!」

「うん・・・」


 そして、最も深刻な問題は。


(全然、上手くできない)


 "全力で"、"本気になって"、テニスをすることが出来なくなっていたことだった。


 意図的に手を抜いているわけでもないのに、力が入らず、リズム感覚もまったく掴めない。


 『イップス』―――

 精神的な原因でスポーツの動作に支障をきたし、思うようにプレーできなくなること。


 今の私の症状はまさに、典型的なイップスなのだろう。


(全力を出そうとすると、何かに頭を掴まれて上から押さえつけられる気分)


 こんなこと、今までに1度だって無かった。

 あのトラウマが、そして逃げ出したと言う罪悪感が、身体から力を吸い取っていくように。


 ―――私からテニスをもう一度やろうというモチベーションを、奪っていく


 今までは上手く出来ていたから、楽しかった。

 それなのに、自分で編み出したあの感覚も、ボールをコントロールする技術も、何も出せない今のテニスは―――


(楽しくない・・・)


 ある日の練習中、私はコートの中で膝に手をついて、俯いてしまった。

 もうダメだ。苦しい。

 やめたい―――


「大丈夫!? 風花ちゃんっ」


 そんなときに。


「響希ちゃん・・・」


 彼女はすぐ、駆けつけてきてくれた。

 それは本当に一瞬なんじゃないかというくらい、素早く。


「大丈夫、大丈夫だから・・・! あたしが一緒に居るから、風花ちゃんは大丈夫だよ」


 来てくれて、私の左手を握りしめると、そう語り掛けながら背中をさすってくれる。


「響希ちゃん、私、もうダメかも・・・」

「ダメじゃない。あたしが愛してるから、絶対にダメなんかにならない!」

「・・・、響希ちゃ・・・」


 どうしてだろう。

 彼女が手を握ってくれると、全身から出ていた嫌な汗が引いていく。

 少しずつ、身体に力が戻っていって―――


「うん。じゃあ、もう1回・・・レシーブ練習、いくよ」


 再び、やる気が蘇ってくる。


「ほら、やっぱり大丈夫だったでしょ?」

「そうね。響希ちゃんって本当にすごい」

「すごいのは風花ちゃんだよ」


 こうやっていつも笑いかけてくれる彼女になら―――


「そう・・・だね」


 ―――本当のことを、話しても、いいかもしれない


「私ね、全力でプレーが出来ないの」


 そう思って、私はある日の練習後。

 響希ちゃんと二人きりになった部室で、本当のことを話し始めた。


 今まで私が経験してきたこと。

 現在(いま)、経験していることを、すべて―――


 響希ちゃんはずっと、ただ頷いて。

 私の話を聞いてくれた。


「そっか・・・」


 そして、1度だけ目元を拭うと。

 納得したように大きく頷いて、息を吐き。


「風花ちゃん、今日から本気で練習しよう!」


 言って、勢いよく立ち上がった。


「あ、あのね。自分では本気でしてるつもり、というか・・・」

「つもりじゃなくて、本気で練習するの!」


 あの力強い視線で、私の手をとって、じっと瞳の奥を見つめる。


「100mを、1番速かった時のタイムが出るまでひたすら走る! 立ち上がれなくなるまでラリーを続ける! 風花ちゃんが納得するような強さのショットが打てるようになるまで、ひたすらボールを打ちまくる!」


 そして、こう続けるのだ。


「引退する来年の夏まで、ずーっと、あたしが練習に付き合ってあげるから!」

「え、でも、部長の仕事は・・・」

「それもやるし、風花ちゃんの練習にも付き合うよ」


 彼女は首を傾け、まるで太陽のような温かい笑顔を。


「あたし、風花ちゃんのこと、大好きだから」


 私に、私だけに―――向けてくれた。


「・・・信じて、いいんだよね」


 誰も信じられなかった。

 家の人間も、学校の人間も。最後は自分すら信じられなくなった。


 ―――こんな私を


「私を放り出して逃げたら、怒るからね」


 気づいたら、自分でもびっくりするくらい大粒の涙が溢れてきて、止まらない。


 ―――愛してくれる人が、認めてくれる人が、居るんだ


 ―――こんなに嬉しいことがあるだろうか


 咽び泣く私を、響希ちゃんはただそっと、抱きしめてくれていた。

 彼女がそこに居てくれるだけで、笑いかけてくれるだけで。

 私にはただ、それだけでよかった。


 それだけが、私を救ってくれたのだ。





 それからはひたすら全力の毎日だった。

 全力で走って、全力で打って、全力で声を出して、全力でボールを追いかけた。

 そして隣にはいつも、響希ちゃんが居てくれた。

 同じ練習を、同じ量だけ一緒にやってくれる。それにどれだけ励まされただろう。


 やがて、時を経るにつれ。

 私は響希ちゃんを余裕で追い越し、響希ちゃんが返せないようなショットを打ち、響希ちゃんが練習相手にならないほど―――力を取り戻していった。


 ―――そして


「なに、今の・・・!?」

「部長のスマッシュ、鏡藤さん、片手で返してなかった!?」

「いくら部長が下手でも、今のは結構力入ってたよね?」


 ―――"鏡"を、取り戻すに至った


「響希ちゃん!!」


 嬉しい。嬉しい嬉しい嬉しい。

 私は、イップスを克服したんだ―――


 この嬉しくて、気持ち良くて、ドキドキして、楽しくて―――

 それを愛する人に伝えたい。

 1秒でも早く!


「・・・響希ちゃん?」


 おかしい。

 いつもなら、すぐに返ってくる彼女からの言葉が、無い。


 おめでとう、すごいね。そんな言葉を期待していた私が見たものは―――


 コートの上で倒れて、苦しそうに喉を抑えている響希ちゃんの姿だった。


「響希ちゃんっ!!」


 世界が暗転したのを感じた。

 終わった。

 これで私はもう全部終わりだ。今度は本当に、取り返しがつかない―――


 病院のベッドで響希ちゃんの手を握りしめながら考えていたのは、そんな仄暗い、この世の終わりに匹敵するような内容の事ばかりだった。


「響希ちゃん・・・響希ちゃん・・・響希ちゃん」


 意味のある言葉が出てこなかった。

 そんな事を考える余裕もない。


 私の耳に入ってきたのは―――


「七本さんは、呼吸系に重い病気になるリスクを背負っていた子だった」

「今までは問題なかったけれど、激しい運動を連続して行えば深刻な病気に発展するかもと、本人には念を押していたはずだったのに」

「もう彼女は、二度と激しい運動はできなくなった」

「どうしてこんなことに・・・」


 そんなような内容の、医師と看護師の会話だけ。


 どうして―――


 どうして、何も言ってくれなかったの。

 それが分かってたら、私、響希ちゃんにあんなこと、させなかった。

 私のために響希ちゃんの病気が悪化するって、分かってたら―――


 ―――テニスなんか、もう1回やろうって思わなかったのに


「ぅか、ちゃ・・・」

「響希ちゃんっ!」


 人工呼吸器のマスク越しに、小さな小さな声で響希ちゃんの声が聞こえた。

 意識を取り戻したんだ。


 すぐにナースコールをして、お医者さんたちがいろいろやってくれたおかげで―――

 響希ちゃんは、普通にしゃべられるようになるまでに回復した。


「みんなには、風花ちゃんにはあたしの身体のことは言わないでって、お願いしてたの・・・」

「どうして!?」


 私はひたすら泣き続けることしか出来なかった。


「どうして、何も言ってくれなかったの!?」


 分かってる。

 こんなの八つ当たりだって。


「分かってたら、私・・・!!」


 それでも。

 今回ばかりは、響希ちゃんに言い寄らずにはいられなかった。

 それだけのことを、私はしてしまったんだから。


「分かってたら、風花ちゃん、テニスやめちゃってたでしょ?」

「当たり前でしょう・・・!? 私は、響希ちゃんが一緒に居てくれれば、それでよかったのに・・・!」

「うん、だと思った」

「じゃあどうして!?」


 全部分かってたなら、どうして!


「あたし、風花ちゃんもテニスも、大好きだから・・・」


 怒鳴るような口調になっていた私に対して、彼女は。


「どっちかなんて、選べなかった」


 まるで耳元で囁くように、笑いながらそう言うんだ。

 ベッドの上で、弱り切って横になっていても。


「風花ちゃん、覚えてる? 最初にあたしがテニス部の部長だって言った時に、すごく苦しそうな顔してたでしょ? あたし、あの風花ちゃんの顔、忘れられなくて」

「ッ・・・」

「テニスで嫌なことがあったんだろうなって、思って。あたし、それが耐えられなかった。あたしが何よりも愛してる風花ちゃんが、あたしの1番好きなテニスを・・・憎んで、ほしく、なかっ」


 そこで響希ちゃんは再び咳き込む。

 看護師さんを呼ぼうとする私を、響希ちゃんは首を横に振って必死で止めた。


「でも、ごめん。あたしのワガママの押し付けだったね。結果的にこんな事になっちゃって・・・もうちょっと、もつかなって思ってたんだけど」

「違う・・・、違うの。響希ちゃんは何も悪くない。全部、私がいけなかった・・・」


 私さえ、私さえ居なければ、こんなことにはならなかった。

 結果的に響希ちゃんを苦しめたのは、私の方だ。

 私があそこから逃げ出さなければ―――


「響希ちゃんに、出逢わなければ―――」


 それを口にした途端。


「風花!!」


 ―――私は初めて、


「・・・怒るよ」


 ―――響希ちゃんに、怒鳴られた



 それから、いろいろな事を考えた。

 テニスを辞めようとも、何度も思った。


 でも―――違う。

 ここでやめたら、私は響希ちゃんを殺したのと同じくらいの罪を背負うことになる。


 ベッドで寝ている彼女を見ていて、思い出したことがあった。


『ごめんごめん、あたし、へたくそだからさ』


 下手だから。

 そう認めながら、必死にサーブを打つ響希ちゃん。


『大好きだから、部長、やってみたいなーって』


 好きだからという理由だけで、部長まで引き受けて。

 まわりより下手でレギュラーでもないのに、病気を抱えるリスクを持っていたのに、上手くなろうとしていた響希ちゃん。


 その、響希ちゃんが―――


(これからのテニス人生すべてを投げ打って、私をあの暗闇から引きずり出してくれた)


 私には今、力がある。

 望めば全国でも通用する実力と、取り戻した"鏡"がある。


 こんな風に考えるのは烏滸(おこ)がましいかもしれない。

 でも、私はこう思う。


 ―――響希ちゃんが、私に力をくれた


 自分の選手人生を捨ててまで、私のために。

 響希ちゃんは私を愛してるからここまでしてくれたと言っていたけど。


 ―――私の方が、そうだ


(響希ちゃんが、私の中にあるのを感じる・・・)


 この世で最も愛する人に注がれた中身が、今の私の中にはある。

 幸福な気持ちで、善意で、愛で満たされた私だから―――


 ―――もう、迷いはしない


「私ね、響希ちゃん・・・、全国へ行きたい」


 そして、決意する。


「響希ちゃんと一緒に、2人で。全国へ行って、私が1番だって証明したい」


 言葉にする。


「私を作った七本響希が、この世で1番すごいんだって・・・みんなに胸を張ってそう言いたい」


 愛する人の、前で。


 ―――これは、誓いの言葉


「私はもう・・・、誰にも、絶対に負けたくないよ」


 愛する人の目を見て、ハッキリと。

 一点の曇りも、迷いも、憂いもなく。

 言い切るんだ。


「うん。頑張ろう」

「私たち、2人で」

「「いちばんになろう」」





 自信満々に向こうの監督と会話して、ベンチから出てきた綾野五十鈴を見る。

 この大声援にだって、私は臆することなんて無い。


 私は独りで戦ってるわけじゃない。

 私は、いつも"ふたり"だ―――


 ―――鏡藤風花は、私たち2人の名前だから

第3部 完

第4部へ続く

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