都大会 準決勝 第1試合 『黒永学院 対 初瀬田中学』
コートと外の世界を分ける金網フェンスが、やたら高く感じた。
まるで異世界への扉のよう。こんな感覚になるのは久しぶりだ。何年ぶり・・・、いや違う。分かりきっていたことだ。
およそ、1年ぶりだと。
「風花」
隣に寄り添う彼女は、そんな私の気持ちをくみ取ったのか、若干曇った表情でこちらを見上げている。
「心配ないわ。・・・少し、武者震いがしただけだもの」
そう、この感覚は―――
相手からのプレッシャーだ。
("関東最強の選手"、綾野五十鈴・・・)
思い出す、1年前の全国大会。
彼女は2年生ながらも当時の3年生にまったく劣らないプレーを披露し、結局1度も負けることはなかった。
"圧倒的"
その言葉でしか形容できないほどの実力―――
「・・・」
隣の彼女とを繋ぐ指の1本1本に、力が入る。
1つ1つ、互いの指の間に潜らせるように絡めた指に、向こうからの緊張も伝わってくるようだった。
私の、
「行きましょう、響希ちゃん」
恋人とを繋いでいた指を、
「がんばれ、風花。あたしが一緒についてる風花は、絶対に負けない!」
惜しむようにその1つ1つを解いていき、
「いけー! 鏡藤先輩!!」
「副部長ーーー!」
がっちりと手を繋ぎ直す。
今度は恋人としてではなく、選手とコーチとして。
金網フェンスの扉を押して、私たちは異世界へと入門する。
ここから先は―――戦場だ。
敵は関東最強のシングルスプレイヤー―――
「「綾野おぉぉーーー!!」」
「「きゃああああ」」
「「黒永! 黒永!」」
初瀬田の応援団をかき消すような、爆音量の大声援。
―――分かりやすくていい
こいつを倒せば、この声すべてを黙らせることができる。
黒永に勝てば、初瀬田は白桜にも、緑ヶ原にも負けないと確信できる。
「去年は全国で会ったね」
ネットの前まで歩いていくと。
「今年は都大会で会えるなんて、嬉しいよ。九州の二華、その1輪」
そこに居た彼女は。
「ここまでずっとつまらなかったの。風花ちゃん、貴女という"強い子"をぶっ倒して、これで私はもっともっと強くなって全国へ行ける」
迷いなど一縷も挟むことなく。
「私は女王だもん☆ 女王は、どこにも逃げないよっ☆」
剥き出しの敵意を、私にぶつけてきた。
◆
「初瀬田の戦術を、黒永は見抜いていたみたいですね」
大会側から提供されたオーダー表を見て、感心した。
(さすが、あの人だ)
戦力で劣る初瀬田が黒永に勝つために執る方法。
それは1つしか無い。
戦力を最初の3試合に集めての、一点突破―――
「初瀬田はダブルスの強さとエース鏡藤さんの力で勝ってきたようなもの。だとしたら、この戦法は実に理に適ってることになるけれど、それを黒永が見過ごすわけがない」
先輩もオーダー表を見て感嘆していた。
黒永の対抗策、それは。
綾野五十鈴をシングルス3・・・鏡藤風花にぶつけるというものだった。
「五十鈴ちゃんをシングルス3に回しても、シングルス1を部長である美憂ちゃんに担当させることで後顧の憂いなく鏡藤さんを潰すことができる・・・黒永にしか出来ない戦い方ですね」
東京四天王と呼ばれるシングルスプレイヤーのうち、2人が所属しているから出来た戦法。
通常なら綾野さんをシングルス1から外すことなど有り得ないが、穂高さんが居るからこそ、それが可能になる。部長がシングルス1を守れば、エースを自由に動かしてもチームの軸は決してブレない。
(恐ろしい選手層だよ、これ)
さすがは全国制覇を射程圏内に入れている学校だ。
逆に言えば、これほどの選手層と個々の力強さがなければ、全国優勝は獲れない。
この試合は、黒永にとっても全国レベルのプレイヤーとのぶつかり合いを見据えた試金石ともなる戦いになるだろう。
「やるか、やられるか・・・、ふうぅぅ~~!! 最高ですねこのピリピリ感!」
「奇声を上げるな! また変質者だと思われたらどうすんの」
「会場がこんだけ盛り上がってるんですから多少、騒いでも大丈夫ですよ! イェー、JCの滴る汗と透け」
言葉の続きを叫ぼうとした瞬間に、ごちんという嫌な重低音がして、意識が一瞬暗転した。
◆
「お互い、全国を知る者同士の戦い・・・!」
観戦だって分かってるのに、手のひらに汗が滲んでくる。
生唾を飲みこむ。
だってあの人・・・綾野さんの戦いを見るのは、これが初めてだから。
「鏡藤さんのサービスッスね」
鏡藤さんは小さめのトスを上げ、サーブを繰り出す。
「速ッ・・・!」
その速度に驚いた。
明らかに、今まで見てきた対戦相手のそれではない。
スピードだけなら宮本葵のジャンピングサーブを遥かに凌ぐサーブ。
それを返す綾野さんは―――
(―――!)
・・・見惚れた。
それを返した綾野さんのレシーブは、まるでテニスの入門書から図解を取り出してそのまま現実にしたような、教科書通り・・・ううん、教科書をコピーしたような綺麗さ。
丁寧さを究めれば美しくすら成り得るんだと、初めて感じた。
強力なレシーブが鏡藤さんのコートへ。
しかし、その強力さを、まるで受け流すように―――
しなやかに、軽やかに、優雅に。
ショットが綾野さんのコートへ返っていく。
まるで。
「踊ってるみたい・・・」
鏡藤さんのテニスには、雅さすら感じる。
上品なテニス、それでいて決して相手を見下すような傲慢さは無い―――
綾野さんの速くて鋭いショットを、まるで受け流すように、威力を殺すように、軽く返していく。
「すごいッスね、軽く流してるみたいッス」
「あれが噂に名高い"鏡藤の鏡"ですね」
万理とこのみ先輩も、思わず息を呑む。
「綾野のショットの威力を完全に殺してる。あれをやられると暖簾に腕押ししてるみたいに、手ごたえが無いでしょうね」
「力勝負にもっていかせないだけの技量―――。天性のセンスだけじゃない。あんな技、それこそ死ぬほど練習しなきゃ身につかんスよ」
あれをもうカウンターと呼んでいいものなのか。
相手ショットのパワーを吸収し打ち消すだけでなく、綾野さんのショットの回転を利用してそれを自分のショットの力に転嫁する。
途方もない技術の磨き上げが必要なのは言うまでもなく、瞬時に相手が繰り出すショットに有効な打ち方、球種を選択する判断能力も問われる―――
(そして多分、このプレースタイルは)
綾野さんが、前に出て力勝負を仕掛けた。
(相手が力で押して来れば来るほど、有効な戦術・・・!)
前陣で思い切り長いストロークを放つ。それを拾った鏡藤さんのクロスショットを、更に叩き落とすように前から押しまくる。
「させない―――」
しかし。
「圧倒的な力を発揮する前に」
鏡藤さんのラケットはすべてを受け止めてあらゆるパワーを吸い込んでいくようだった。
前陣に上がった綾野さんが絶対に返せない位置―――
―――綾野さんが思い切り腕を真上に伸ばしても、わずか届かない
ライン際ギリギリのところに、ロブ気味の山なりショットが、突き刺さる。
「試合を終わらせます」
そう言って優雅にくるりと回転する鏡藤さんは、やはり"踊っているよう"だった。
「ゲーム、鏡藤。1-0」
ポニーテールに束ねられた黒髪、おっとりしながらもどこか凛とした雰囲気を感じる顔立ち、まるでどこかのお姫様のような気品ある立ち振る舞い。
着物でくるくると回りながら、舞踊でも舞っているかのような優雅さと、一目で分かるテニスの技量の高さ。
―――コートを支配する
それが王者の証だと言うのなら、この試合で先に一歩リードしたのは、鏡藤さんの方だった。




