長い1日は始まった
「朝!!」
初夏でもまだ涼しい、早朝。
わたしはいつも通り、寮の玄関前で手を腰に当てながら仁王立ちしていた。
「おはよう、藍原さん」
「あ、先輩」
後ろから聞こえるお美しい声。
瞬時に燐先輩だと分かり、振り返って元気よく挨拶をする。
「おはようございます!」
すると先輩は少し驚いた様子で。
「・・・いつもと変わらないわね」
と呟いた。
「え、なんでですか?」
「昨日はよく眠れた?」
「はい! 寝る子は育つ、ぐっすりと快眠できましたが!」
試合の疲れやらなんやらで、いつもよりよく眠れたくらいだ。
「ふふ。それでこそ藍原さんね」
先輩は言いながら少しだけくすりと表情を和らげて。
「緊張して眠れなかった・・・なんて、心配する必要はなかったみたいね」
しまった。
先輩はそういう繊細な心配をしてくれていたんだ。
「た、多少は眠れなかったですけどね~」
すこし声が上ずりながら、斜め上を見ながら慌てて訂正。
「その様子なら平気ね」
「ううぅ~・・・」
先輩に心配してもらいたかった。
弱いところを見せて、激励してもらいたかった。ちょっと失敗したかなあ。
そんな事を考えながら、準備運動をしていると。
「・・・ん、私たちは第2試合か」
先輩が何かを思い出したかのようにそう呟く。
「第2試合?」
「準決勝はまず第1試合を行って、その後に第2試合・・・白桜と緑ヶ原の試合が行われるの」
今までは会場が違ったり、同時に行われたりしてたけど、準決勝は違うらしい。
同じ会場で、順番に行われる。
「第1試合って・・・」
そこで、ふと思い出す。
『もし戦うことになったら手加減しないゾ☆』
クリーム色の猫っ毛が特徴的な、あの人のことを―――
「黒永・・・」
都内ナンバー1、最強を誇る名門校。先輩たちから話は聞いた。
その学校の頂点に君臨する、綾野五十鈴のことを―――
「対戦校は初瀬田。都大会常連の学校だけど、そこまで強くはなかった学校」
「その学校がベスト4まで勝ち上がってきたんですか?」
「今年の初瀬田はいつもと違うの・・・」
そこで先輩は、一瞬の間、準備運動をストップさせて表情を強張らせ。
「チームの柱たる、絶対エースが存在する」
わたしの方を一点に見つめると。
「藍原さん、貴女には第1試合をよく見ていて欲しいの。都内最強、そして私たちにとって最大の障壁となる黒永の―――ううん」
先輩は言いかけた言葉を訂正する。
「綾野選手の戦いを―――」
◆
「第1試合、黒永学院vs初瀬田。第2試合、白桜女子vs緑ヶ原―――」
私はカメラの三脚をセットし、しっかりと固定しながら大会プログラムを読み上げ。
「運命の1日が始まりますね!」
言って、ずれかけていた赤フレームのおしゃれメガネの位置を手直しする。
「都内最強、絶対王者の黒永に対するは、都大会常連ながらも上位進出とは無縁だった初瀬田・・・」
先輩もスマホと自分の書いたメモを何度も見て、情報を確認している様子だった。
(この人と大会取材するのも、今日を終えたらあと1日―――)
都大会はいよいよ佳境を迎えようとしていた。
その号砲となるのが、黒永と初瀬田の一戦。まだ両校関係者が来る前のコートだが、既に観客が相当数集まりつつある。中には同業他社や、そして。
(ありゃプロのスカウトだな。あっちは高校のスカウト)
そういうような、"次のステージ"の関係者すらも、散見することが出来た。
「初瀬田が上にいけなかったのはずば抜けた選手が居なかったからですよね」
「ええ。元々総合力には一定の評価があったのだけど、エースと呼べる選手がなかなか出てこなかった。それは東京の有力選手が名門私立にいってしまって、初瀬田みたいな中途半端なチームには人材が集まりにくいという問題が障害になっていたから。でも―――」
「今年は居る」
第1試合の目玉は"そこ"だ。
「初瀬田中学3年、鏡藤風花―――」
「・・・中学テニス界の有名人ですよね」
そう。
この選手は。
「去年まで九州屈指の名門に籍を置いていた、あの鏡藤風花で間違いないんですか? まあ、このレベルの超絶美少女JCを私が見間違うわけないんですけど」
「・・・後半は聞かなかったことにしといてあげる」
先輩ははあ~、と深くため息をつきながら言うと。
「ええ。去年までは向こうで2年生レギュラーとして活躍していたのに、突如姿を消した鏡藤さんが、まさか東京の初瀬田なんて全国的には無名の学校に転校してるなんてね」
そう言って、じっとコート内を見つめる。
「何があったかは知らないけど、彼女は戻る道を選んだ。全国へと進む、この舞台へ」
「全国大会まで行けば古巣とも当たるでしょうに・・・」
理由も公にされず、名門から逃げるように謎の転校。
恐らく、決して明るくない事情があったのだろう。にも関わらず、鏡藤は戻ってきた。
まったく衰えないどころか、更に強くなり。
自分を中心としたチームを引き連れて。
「先輩はどう思いますか」
「? 鏡藤さんが転校した理由? 戻ってきた理由?」
「いや、そうじゃなくて」
その瞬間。
私は急いでファインダーを覗き込んだ。
―――来た。
この団体の声。
JC達のきゃっきゃした声ではなく、大量の足音と野次馬の声援だけが聞こえてくるこの感覚。
間違いない。
「黒永が、五十鈴ちゃんを鏡藤さんにぶつけてくるかどうかって、そういう話ですよ」
エースとエース、チームを背負う者同士の戦い。
それも並大抵の選手じゃない。全国レベルで見ても屈指の好カードとなり得るエースのぶつかり合い。
―――そういう胸揺さぶるものを見たくて
「黒永だー!」
「五十鈴ちゃん、今日は試合出るよね!」
「美憂さまー!!」
コートの向こう側に。
―――私は、この仕事を選んだんだ
絶対王者―――黒の軍団が、現れた。




