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私はエースになりたがっている!  作者: 坂本一輝
第3部 都大会編 1
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分析・緑ヶ原

「水鳥の様子はどうだ」


 ぱたんと監督室の扉を私が閉めると同時に、監督は上着の夏用スーツを脱ぎながらそう切り出す。

 私はというと、先ほどまで医務室に居た彼女の様子を思い出していた。


「心身ともに消耗激しく、疲れ切っている様子でした。今は普通に振る舞っていますが・・・一晩寝たら明日は起き上がれないかも」

「それだけの試合だった。だが、今日の試合は水鳥を選手として大きく成長させたはずだ」

「過去の因縁とも一応の決着をつけたようでしたしね」


 いつものように机を挟んで向かい合わせになっているソファチェアに、どちらかともなく腰かけて、監督と対面する。2人作戦会議の様式美みたいなものだ。


 厳しい表情をしている監督だけれど、私は覚えている。

 水鳥さん勝利の瞬間、この人が小さく右手を握りしめて、ガッツポーズしていたことを。


(滅多に出ない篠岡監督の"リアクション"・・・それが出るほどの試合だった)


 天才―――

 そう呼ばれる選手が、白桜には毎年何人も入学してくる。

 しかし、その中でも"本当の天才"は、1年に1人・・・現れるかどうか。


(久我さん、新倉さん、そして水鳥さん。やはり今年も出てきたわね、"本当の天才"が)


 今日の試合は、過去の久我さんと新倉さんを彷彿とさせるものだった。

 あの2人も最初の夏の大会で、こういう試合を制して"本当の天才"の1人になった選手だ。


「率直に聞く。水鳥は明日―――」

「無理ですね」

「そうか」

「はい」


 今までの会話で察していたのだろう。

 監督は小さくそう零し、私も無機質な返答をすることしか出来なかった。


 あの激戦を戦い抜いた翌日、身体に疲労が残らないわけがない。

 恐らく普通にプレーすることすら難しいはず。


 となれば、問題は―――水鳥さんの、代役。


「明日の準決勝、シングルス3は藍原を起用する」

「あ、藍原さんを!?」


 その口から出たとんでもない言葉に、思わず大きな声を出してしまう。


「私はてっきり、野木さんに任せるのかと思っていました」


 3年生だし、経験も豊富。

 水鳥さんの代役が務まるかは別の話として、彼女しか居ないと私の中では認識していたのだけれど。


「もう既に藍原、野木にはその旨を伝えてある」

「・・・大丈夫でしょうか」


 だから、少しだけ不安になる。


「都大会も準決勝、この大舞台で公式戦で1度もシングルスを経験していない藍原さんを抜擢するのは・・・」


 緊張で固くなるタイプには見えないとはいえ、どうなるかはふたを開けてみるまで分からないのが事実。


「正直、私も悩んだ。野木に任せるパターンも考えたさ。だが・・・」


 監督は何かを思い出すように、少し表情を和らげる。


「藍原有紀、あいつの成長スピードには目を見張るものがある。もしここで藍原にシングルスも任せられるメドが立ったなら、これから全国までの道、頼もしい戦力になるはずだ」


 そして彼女は、それにこんな話を付け足した。


「今日、藍原に尋ねてみた。お前はどんなプレイヤーになりたいのか、と。もしあいつが以前と同じように『このチームのエースになって全国で通用する選手になることだ』と答えていたら、明日の試合は野木に任せようと思っていた」

「藍原さんは何と答えたんですか・・・?」

「地に足の着いた、現実的な目標を掲げていたよ。夢などという実現性のないふわふわしたものではなく、今、自分に足りていないものを足していき、現状で出来る精一杯をやろうとしている気概があった」


 あの藍原さんが・・・。

 少しだけ、ううん、すごく驚いた。


 彼女は単純にテニスが上手くなっただけではなく、精神的なものや考え方を含めて、この数か月でそこまで成長したのか。


(まさに"成長期"・・・、ううん。これはもう成長って言葉より)


 ―――進化

 こっちの方が、しっくり来る。


「しかし、相手は緑ヶ原です。厳しい戦いになるのは間違いないですね」

「ああ」


 監督は一つ、頷いて。挟んで向かい合わせになっている机、その上に置いてあったタブレット端末に手を伸ばした。


「正味な話、今まで対戦してきた学校にはまず負けないだろうという自信があった。決して油断できる相手ではなかったが、私の作戦ミスさえなければ、白桜のチーム力で負けるはずがない・・・と。しかし」

「ここからは違いますね」


 ここから―――即ち、準決勝の対戦相手、緑ヶ原と。

 恐らく決勝戦でぶつかることになるであろう、黒永のことだ。


「ああ。負ける可能性がある戦いに、身を投じることになる」


 監督の表情が険しいものになり、タブレットを見つめる眉間にしわが寄った。


「今年の緑ヶ原の大きな特徴として、ダブルスが非常に強力なことが挙げられますね」


 私も自分のタブレットで緑ヶ原の戦歴をチェックする。


「春の大会まではダブルス1を担っていた双子の小嶺(こみね)姉妹がダブルス2へ、そしてそれを押し退けるかたちでダブルス1の席に座ったのが―――」

「東京四天王の1人、最上(もがみ)と新1年生のペアか」


 そう、最上さんは春大後にダブルスへ転向したのだ。

 東京都の中でもシングルスの腕前でBEST4にまで入る、いわば"絶対的エース"を、わざわざ。


「最上さんとペアを組むのは楠木(くすのき)八重(やえ)という選手です。かなり小柄ですが非常に俊敏で、小回りが利くタイプですね」

「長身の最上と小柄な楠木のペア、うちで言うところの熊原・仁科ペアと同じだな」


 ふむ、と口に手を当て思案しながら監督は零す。


「そうですね。小嶺姉妹の方は抜群のコンビネーションプレーが売りのペアですから、こちらは山雲さん、河内さんペアに似てるとも言えます」

「同じような育成プランでダブルスを作り上げてきた・・・」

「恐らく」


 偶然の一致だろうけれど、少し不気味だ。

 白桜と同レベルの戦略を立てられる指導者が居る、という事が。


「そして今年の緑ヶ原を象徴するのが・・・」


 私はタブレットのディスプレイに表示された、1人の選手の姓名(なまえ)を見遣った。


「1年生にしてここまで大車輪の活躍をしている、新倉雛(にいくらひな)選手―――」


 そう、"新倉"という苗字を。


「新倉燐さんの、実の妹さんです」

「スカウト班が口説き落とせなかったと意気消沈していた選手だな」


 燐さんの実妹ということで、白桜スカウトは熱心に彼女を勧誘したらしいけれど、聞く耳すら持ってもらえなかったという。

 スカウトに失敗したと聞いた時は、私も監督も肝を冷やした。

 今年の1年生世代は東京に良い素材が集中していたから、東京の名門・強豪校がそれを奪い合うように、激しいスカウト合戦が行われたのだ。


 結果として、白桜は水鳥さんのスカウトに成功し、一定の評価は得たわけだけれど。


(血縁という最強のコネを持っていたなら、彼女にも来てほしかった・・・)


 この夏の大会での大活躍を見てしまうと、尚更。


「一応シングルス1を担当する2年生の梶本(かじもと)が今の緑ヶ原のエースなんだろうが、1番信頼されているのは新倉雛で間違いないだろう」


 信頼されている。

 それは緑ヶ原の監督に、という話だろう。


 あれ。

 そういえば、あそこの監督って誰だっけ。

 ド忘れてしまって、手元のタブレットで確認する。


「緑ヶ原の監督・・・、かなり高齢な方ですね。内田監督のような歴戦の指揮官なんでしょうか」

「いや、その人はあくまでテニス部の顧問だ。表向きには監督という事になっているが、ほとんど(ポーズ)だけだろう」

「えっ。そうなんですか?」


 それは初耳だった。


「じゃ、じゃあ・・・、誰が緑ヶ原の監督役を・・・?」


 この人が顧問の役割しかしていないなら。

 白桜と同じ戦略でダブルスを組んだり、新倉雛さんを信頼しているというのは一体誰なのだろう。


「偵察した3年生の話では」


 監督は言いながらタブレットを操作し、とある画面を表示させ、私に見せてくれた。


神宮寺(じんぐうじ)珠姫(たまき)。チーム内で"姫"と呼ばれている2年生プレイヤーだ」

「に、2年生の選手が監督役を・・・!?」

「俄かには信じがたいがな」


 監督はふう、とため息のようなものをつく。


「そんな事が中学生に可能なんですか!? 部長が大きな権力を持っている黒永ですら、総監督のあの人が居て、上からしっかり指示しているから成り立っているようなものなのに」


 中学生が同じ中学生に指示を出して、それをみんなが聞いて部がまわる・・・。

 緑ヶ原、思った以上にトリッキーなチームなのかもしれない。


「それが実際に出来ていて、都大会の準決勝まで勝ち上がってきているという事実がある。緑ヶ原は生徒の自主性を重視する校風らしいから、それも影響しているんだろう」


 監督は半分、よく分からないことを話しているような口調で言う。

 恐らく、この人も、ううん、この人だからこそ。それが無茶苦茶だということを誰よりも理解しているんだ。


「問題は」


 監督は片目を開き、もう一度タブレットの方に目をやる。


「この神宮寺珠姫という選手の、プレイヤーとしての実力が未知数なこと・・・」


 それが1番怖い、と彼女は続けた。


 都大会準決勝前夜―――

 やがて長くなりきった昼が終わり、夜のとばりが白桜女子の敷地内を支配しようとしていた。

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