VS 鷺山 シングルス3 水鳥 対 宮本 7 "オールラウンダー"
ふと、自然に葵と目が合った。
向こうのベンチで何やらモメていのたは、私からでも十分見て取れた。
試合中に内紛・・・、状況的には最悪なはずなのに。
「退路を断ってきたよ」
何故かそう話す葵はどこか楽しげで。
「さぁふみちゃん、一緒にイこう。ここから先は2人で地獄まで一方通行だよ」
そして先ほどまでとは違い。
どこかで腹をくくったような、そんな清々しさすら感じる雰囲気を発していた。
「・・・私は貴女に付き合って地獄へ行くつもりなんて毛頭ない」
でも。
「行くなら1人で勝手にどうぞ。私にはまだ、ここでやり残したことが山ほどあるもの」
そんなこと、もう関係ない。
私は考えないことを始めたんだ。その辺のモヤモヤは全部、後回しだ。
今、すべきことは。
「この試合・・・絶対に勝つ」
その一点のみだ。
◆
2人の様子を交互に見比べる。
共通しているのは、2人共ものすごく落ち着いているということ。
(ここまで戦ってきて・・・体力切れをしないのは本当にすごい)
宮本葵が右手で高くトスを上げる。
わたしは、その様子をじっと見つめていた。
―――高くトスを上げ、それをジャンプしてまで高い打点で叩き、相手コースに落とすような感覚でサーブする
瞳のレンズがぎゅっと絞られる感覚。
"そこ"一点のみに、全神経が集中するような不思議な感覚がした。
文香はそれを自慢の強力レシーブで跳ね返す。
宮本葵が速攻を仕掛けようにも、あの強力なレシーブを長いストロークで返されたら、おいそれと前には出られない。
「これでラリー戦に持っていければ、水鳥の勝ちなんですがね」
隣で試合を見つめていたこのみ先輩が呟く。
―――この試合がここまで長引いているのは、そのパターンに持っていけないからだ
それに対して宮本葵は対抗するような強いショットを返してくる。
あまりに強いそのショットに、文香の打球が弱まった。
その僅かな隙を。
「1-0、宮本」
彼女は決して見逃さない。
「ああ~! このままじゃタイブレークもサービス側が点取り続けて、永遠に終わらんッスよ!」
万理がぐしゃぐしゃと髪の毛をかきむしりながら悲鳴に近い声を上げる。
タイブレークのルールは7点先取で勝利。
しかし、6-6になった場合は"2ポイント差が付くまで"試合は終わらない。
そして万理の悲鳴はこの会場に居る観客全員が共有するものでもあった。
―――何かキッカケが無いと、この試合は永遠に終わらないんじゃないか
そんな有り得ない事を考えてしまうまでに。
「1-1」
「2-1、水鳥」
「2-2」
あの2人はどちら共、まるで一歩も引かないのだ。
一歩でも、いや1ミリでも後ろに下がったら負けてしまうのが、分かっているかのように。
(文香が邪念を全てシャットアウトしても、まだ勝てないなんて・・・)
あの宮本葵の強さは本物だ。
そして、それを誰よりも感じているのは文香自身だろう。
・・・どうしたら、突破口が拓ける?
「経験なの」
「え?」
気づくと海老名先輩が、何かを呟いてぎゅっと拳を握りしめていた。
「タイブレークまでもつれこむと、もう自分が信じられるものってほとんど無くなるの」
「特にシングルスの場合はまさに孤独との戦いになるッスね」
誰も助けてくれない、声もかけてくれない。
そして信じられるものも出し尽くした総力戦。
「そこでただ1つ、まだ信じられるとしたら」
そして先輩はその拳を、自らのもう1つの手のひらでぎゅっと包み込み。
「タイブレークを戦ったことがあるという、経験―――」
まるで教会で神に祈りを捧げるように、目を瞑った。
そう。
文香がこの最果てに来るのは―――
◆
葵。
もうずいぶん長いこと試合してきたよね。
途中まで貴女のプレーを考えに考え抜いて。
そして途中から、考えるのをやめて貴女のプレーをただ見て、それに反応してきて。
―――私には
―――わかったことがある
(レシーブしてくるフラット気味の強い打球には!)
手元で沈むスピンショットを返し、貴女を前に誘導する。
(それを打ち返してくるスライス気味の外へ逃げていく打球には!)
今度は力強く、後ろに伸びるトップスピン気味の強い打球を切り返す。
(そして次に来る私を前陣へと誘導する緩いショットには!)
力で勝負せず、下からすくい上げるようにロブショットをラインギリギリに送る。
―――考えるだけじゃ分からなかった
―――感じるだけじゃ掴めなかった
今の、私には。
宮本葵の打ち返してくるショットをどう処理することが最も効果的か、反射的に打ち返すことが出来る。
―――全領域対応選手。
その真髄を、私は実感として掴みかけている。
普段の私なら、普通の相手なら、普通の試合時間なら。
間違いなくここに至る事は出来なかっただろう。
でも。
『宮本葵』が相手だから、私は今、この戦い方が出来ている。
―――葵、貴女は
考えるよりも早く、身体が反応し、葵のボレーをライン際ギリギリに落とすスピンショットで打ち返した。
(私の知ってる、宮本葵のままだわ!)
葵のラケットの僅か上を通過していった強いショットはブレーキがかかったようにライン際で減速すると、そこから落ちていって。
「4-2、水鳥!」
小さな弧を描くように、山なりの軌道で葵のコートへと突き刺さった。




