VS 鷺山 シングルス3 水鳥 対 宮本 5 "白桜の水鳥"
「有紀・・・」
大声援の中でも聞こえてきた、彼女の叫び声。
「文香は独りじゃないッ!」
有紀は精一杯声を振り絞って。
「この声援が聞こえる!? みんな文香を応援してるんだよ!」
それでもその声援にかき消されないように。
「白桜女子中等部の、水鳥文香を!!」
―――っ
「文香はわたし達、白桜の仲間だよ! みんなみんな、文香のこと応援してるんだ。だから、絶対に独りなんかじゃない!!」
白桜の、仲間―――
私は、チームの一員。
ううん。それ以前に白桜という学校のいち生徒だ。
(そうか・・・)
学校の代表になるって事は、つまり。
私は、白桜のみんなに認められたって事なんだ。
歩みを止めて、聞こえてきたもの。
大きな声援、みんなの声。
今さっきまで、うるさいとしか思ってなかったこの声は―――
(私への応援なんだ)
がんばれ、負けるな、まだまだこれから、いけるよ水鳥さん。
1つ1つに、応援してくれる人達の想いが詰まっている。
聞き流してしまえばそれまでかもしれない。だけど、立ち止まって後ろを振り返れば。
―――私には、こんなにも大勢の仲間が居る
一瞬、目を瞑った。
『想定外の強い敵なんぞ、この先いくらでも出てくるぞ』
『1年生からそんないっぱい気にしてると、老けるよ?』
『結局、文香が今どう思うかでしょ? "難しいこと考え過ぎ"』
ヒントは今までに、いくらでもあった。
周りは私にそれを教え続けてくれていたのに。
どこかで私はそれを、受け流していたのかもしれない。
真面目に考えるだけで―――
―――行動に、うつしてこなかった
(もう言葉は要らない)
私は、一つだけ息を吐き出すと。
(考えるのを・・・やめる!!)
すべての考えを棄て、じっと葵の方を見遣った。
◆
殺す・・・!
あのクソ女、ふみちゃんを負かしたら確実にぶっ殺してやる・・・!
(ぎゃーぎゃーうるせえ声で勝手にあたし達2人の世界に侵入ってきやがって・・・)
昔からあの手のうるせえ奴が大嫌いだった。
あの女は特に嫌いだ。
まっすぐで、無駄に熱くて、汚いことなんて見たこともありませんみたいなあの目を見てると、虫唾が走って頭がおかしくなりそうになる。
(テニスの腕でも圧倒的に劣ってる三下風情が、ふみちゃんに口きいてんじゃねぇよ)
あんな奴、あたしは愚かあたしの道具に過ぎない鷺山の1年生にすら勝てないくせに。
雑魚が調子こいてんじゃねえよ。
あたしとふみちゃんは、都内でも屈指の実力者。てめえなんかが踏み込んでいい領域じゃねえわけ。
「ふみちゃんごめんねえ。続きヤろっか」
そこでふと、視線をふみちゃんに戻すと。
「っ!」
異様なものを感じた。
(雰囲気が・・・変わった!?)
ふみちゃんのあたしを見る目が、今までのものと違っている。
直感に過ぎないが、この感覚は間違いないと確信できるのだ。
(なにこの感覚・・・! この、)
"あたしが知らない"ふみちゃんの様子はなんなんだ。
その不安をかき消すように、ジャンピングサーブを打ち込んだ。
雰囲気が変わったからと言って、なんなんだ。
もう試合終了はすぐそこまで来ている。このまま押し切ってしまえば、問題ない!
ふみちゃんが叩き返してきたレシーブ―――
それが、明らかに今までのもとの違っていたのは。
「ぐっ!」
打ち返したあたし自信が、1番よくわかった。
(前に上がるしかねえ!)
勝負ごとには『流れ』がある。
もしここでポイントを取られたら、『流れ』が一気にふみちゃんに傾く。
そんな脅迫めいた予感が、頭を突き抜けた。
あたしが上がるより早く、ふみちゃんが前陣に上がってきていた。
丁度、さっきと同じような位置取り、格好になる。
(―――まだ、『流れ』はあたしの方にあるみたいだねえ!!)
ふみちゃんのボレーを、全力で打ち返す。
あたしに今あるパワー全てを乗せて叩きつけたような乱暴なボレー。
しかし、確実に力がこもったと確信できるような強力なボレー。
これを、この位置から打ち込めば、ふみちゃんは恐怖心で動くこともできな―――
―――気づくと
ボールはあたしの遥か後ろ、ライン際に静かに落ちると。
ぽーんという音と共に、大きく跳ねて、コートの後ろへと転がっていった。
「・・・は?」
何が起きたのか分からなかった。
ふと、正面を向くと。
ふみちゃんが右手はグリップを握ったまま、左手でラケットのフレームを掴み、ちょうど顔全体をラケットのガット面でガードするような形で構えていた。
「顔の前にラケットを構えて・・・ボレーを跳ね返した・・・!?」
今、目の前で起きたことをようやく理解できた。
そんなバカな。そんな事、出来るわけがない。
目の前にラケットを構えて打ち返すのではなく文字通り"跳ね返す"なんて真似。
少しでも恐怖心があったら、出来るわけがない。
いくらラケットを構えてガードしていたとしても、顔の前で跳ねかえるまで、ボールが顔面に直撃するコースで直進してくるのを、見なければならないのだ。
しかも、あたしの放った渾身の強力ボレーを、だ。
あの時の恐怖が、そんな事をさせるわけがない・・・!
「・・・葵。何か勘違いしてるみたいだから一言だけ言っておくわ」
驚くあたしに対して、ふみちゃんはまっすぐとこちらを見つめて。
「もう、貴女の知ってる水鳥文香じゃない」
◆
『迷いを振り切る』
『過去に囚われない』
これは言葉で言うほど簡単なことじゃない。
少なくとも私は、最後までこれを実行することが出来なかった。
多分、これから先も出来ないんじゃないかと思う。
だから。
私は一時的に、『全部のことを考えるのをやめた』のだ。
(―――少なくとも、今この瞬間だけは!!)
目の前のボールを追って、打ち返す。
そして、点を取る!
それだけを考えて行動しよう。
あとの一切は、試合が終わった後に考えればいい。
無我の境地・・・そんな大層なものでは決してない。
でも、そう表現するのが1番しっくりは来るのかもしれない。
すべてのことを考えるのをやめて、ボールを追う事だけに集中する。
多分、こんな事をするのは、ただ楽しいというだけでテニスをやっていた、幼い頃以来―――
「っぁあ!!」
だから、何も考えていないから。
渾身のショットを放った瞬間、私は叫び声を上げていた。
「ゲーム、」
そのボールが、葵のラケットを空振り、通り抜けて行った瞬間。
「水鳥! 5-4!」
今まで暗く、狭かった視界が開けていく感覚がした。
この試合で始めて、私は私のプレーを取り戻せたような気がして。
すごく、気持ちがよかった。




