宮本葵 後編
◆
ふみちゃんを負かすためだけに、あたしはテニスを続けた。
テニスをしていれば確実にふみちゃんともう一度会える。姿を消した最愛の人を捕まえる唯一の方法がこれなら、あたしはどんなに辛い練習でも耐えることが出来たんだ。
まず、自分のプレースタイルを対ふみちゃんに想定・特化したものへと改造することから始めた。
『対オールラウンダー戦術の徹底』。
あたしの場合はパワーテニスを伸ばすことだった。力で押し切れるだけのパワーがあれば、有効なオールラウンダー殺しになる。
『ふみちゃん最大の武器であるレシーブ対策』。
強力なレシーブに対抗するには、強力なサーブをぶつければ良い。あたしなりの最強サーブを作り出してみせる。
『持続力に絶対的な自信を持つふみちゃんの勝ちパターン(ラリー戦)を潰す』。
これは前陣速攻のプレーをぶつければ良い。必要なのは瞬発力とスピード、そして何よりバネとなるパワーだ。
小5から2年間かけて、あたしはこれらを全てマスターした。
「勝てる・・・これなら」
確実にふみちゃんを倒すことができる。
何故なら、"ふみちゃん以外と戦うことを想定していないから"。
ただ1人・・・ふみちゃんだけに勝てれば、後はどうでもいい。
―――ふみちゃんの進学先は、大体目星がついている
都内最強のテニス名門校・黒永学院か、スポーツエリート育成を目的とした白桜女子中等部。東京都の中学テニス界では、この2校が抜けている。このいずれかに、進学するはず。
(だから、この2校は"ダメ"だ)
ふみちゃんと同じ学校に進学したら意味が無い。
負かして、あの顔を見ることが出来なくなるんだ。
全てを奪い取って絶望させるには、公式戦でふみちゃんを負かす必要がある。
そしてこの2校と同じ地区の学校もダメ。
名門は地区予選なんか本気を出してこないだろうし、下手したら主力を温存する可能性もある。
それじゃあ何の意味もない。
―――ある日、あたしは見つけた
「鷺山中がスポーツ推薦を開始、か・・・」
黒永とも白桜とも違う地区。
そして全国から才能のあるプレイヤーが集まるであろう環境。
―――ここしかない
直感的にそう思った。
スポーツ推薦とはいえある程度の学力が要求される鷺山だけれど、普通入学に比べれば圧倒的に楽に入れるし、第一あたしは勉強だって得意なものの部類に入る。
「葵、最近帰りが遅いんじゃないの?」
母親からそんな声をかけられたのは、練習から帰ってきて疲れていた時のことだった。
「テニスの練習が大変なのは分かるけど、女の子がこんなに遅くまで・・・お母さん心配で」
どうしよう。
さすがに。
「うるせーぞババア!!」
我慢できなかった。
「今まで散々あたしに無関心決め込んどいて今更母親ヅラすんのか!? あたしが1番構って欲しかった時に何もしなかったてめぇがよぉ!!」
「あ、葵! なんて口の利き方・・・」
「あたしに指図すんなつってんだよババア! 鷺山に行くために塾まで通ってんだ、何の文句があんだ! ああ!?」
無性に腹が立った。
あたしのことを散々バカにして、鷺山に進学するって言ったら手のひら返してきた奴と、まともに会話なんてする気がなかったというのもある。
「鷺山行きゃあさぞかし近所でも鼻高々だろ! どうせあたしの事なんかより世間体の方が大切だもんなあ!」
これ以降、母親とはロクに口も聞かなくなった。
互いに話しても何も得るものが無いと、分かったのだろう。
「これでよし・・・、と」
姿見の前で自分の全身を見る。
鷺山中のセーラー服を着た、ゆるふわ金髪の少女。
これが、今のあたしだ。
黒だった髪を金色に染めたのは、銀髪のふみちゃんの隣に居れば映えるから。
ふわふわのウェーブをかけたのは、あのさらさらキラキラの長髪の、対になるため。
ウェーブをかけるのに毎日1時間はかかるけれど、そんなのは粗末なこと。
(あたしは・・・変わった!)
見た目を変えて、その想いは確信になったのだ。
鷺山に入学した後、あたしはまず部内の上級生に片っ端から喧嘩を売った。
連中は普通入学だからテニスも上手くない。年上ってだけで偉そうだし、あんな連中に温情でレギュラーを奪われたら、チームそのものが弱体化する。
そしてあたしは1年生には良い顔をし続けた。
部内や学校内で孤立するのは困る。色々とやりづらくなるからだ。あたしは1人になる弱さを誰よりも知っている。同時に、多数になることの強さも知っている。
1年生の中心になって、地方から上京してきてバラバラだった連中をまとめ上げた。少し優しくしてやりゃあ、あたしを慕ってくれるんだから安いもんだ。
(こいつらは道具だよ・・・。ふみちゃんとヤるための、武器)
あたしにとって、ふみちゃん以外の一切の存在は全てどうでもいいんだ。
だから、使える奴は使う。ただし、仲間とかチームメイトとかそういうヌルい関係じゃなくて、道具としてだ。団体戦を1人で勝ち抜くことは出来ない。ナントカとハサミは使いようってね。
すべてはふみちゃんのため、ふみちゃんへの愛を貫くため。
それ以外の全てを道具にして、記号にして、あたしは"それ"をやり通すんだ。
―――準備は整っている
―――あたしの心からの想いを、受け止めてね
―――ふみちゃん
◆
私が出会った頃の葵は、どこにでも居そうな女の子だった。
ただ、他人と違ったのは、彼女は並外れた能力を持っているのに自己主張があまりに下手で、誰からも相手にされていなかったことだ。
私はそんな彼女を元気づけたつもりだった。
テニスを一緒にやりたいと葵が言った時も、少しでも葵が楽しんでくれるのならと、そう考えていたのだ。
葵はその才能通り、めきめき力をつけていって、わずか半年足らずで私から1ゲーム獲るほどに成長していった。
―――だけど
ある時から、葵の様子がおかしくなっていった。
露骨に私を避けるようになったのだ。
練習中に事故があった時、今までの葵なら血相を欠いて心配してくれるはずが、私の心配どころかふて腐れるような態度をとったのには驚いた。
何が彼女を変えてしまったのか、私には分からない。
ただ、1つ確かな事は。
私との出会いが葵にとってマイナスに作用してしまったという事だ。
私はそれが辛かった。
だから、私からも葵を避けはじめた。
正直、怖かったのだ。あの頃の葵は、何を考えているのか全く分からなくて。
だから。
転校が決まった時も。引越しの時も。
葵には一言も、何も一つ、告げなかった。
―――いま考えると、酷いことをしたと思う
あの河原で再開した時の葵の態度を見れば、葵はまだ私の事を親友だと思ってくれているみたいだった。
だったら、あの時。黙って転校したのはまずかった。
葵に辛い思いをさせてしまったと、そんな事は想像にたやすい。
それが原因かどうかは分からないが、彼女は変わってしまった。
ううん、違う。恐らく過去の私の態度が、彼女を変えてしまったんだと思う。
その変化は良い方ではなく、確実に悪い方へ・・・歪んだ方へ。
だから、私は彼女を止めたい。
ここから先に進ませるわけにはいかない。
私が葵を歪ませてしまったのなら―――せめて、その責任くらいは取らなくちゃ。
幼馴染のあーちゃんとしてではなく、鷺山中のシングルス3、宮本葵として。
私は、彼女に勝つ―――
◆
葵が徹底して展開してくる水鳥文香殺し。
10の大剣に対して1つの短刀で相手をしているような戦い方。
それは段々と、私の体力と短刀を綻ばせていく。
―――それは徐々に
「ッ!!」
コートの隅に突き刺さったボレーに、追いつけない。
―――私と葵の間に
「ゲーム、宮本」
葵がその瞬間、自らの金髪を右手で梳くと。
「5-3!!」
―――埋められない差を作っていく
まだ昇りきっていない太陽の光が真上からそれを照らし、金色の光芒が見えるように輝いた。
「くっ!」
私は下唇をぎゅっと噛み締めた。
とうとう、サービスゲームをブレイクされたのだ。
今までは何とかキープを続けてきたが、それももはや限界のようだった。
「さあ、ふみちゃん」
大声援の中、葵の嬉しそうな声が。
「次で終わりだねぇ」
楽しそうな表情が、私の視界を暗く、狭くさせていっていく。
―――次は葵のサービスゲーム
―――葵との決戦は、とうとう最大の山場を迎えようとしていた




