宮本葵 前編
◆
結果から言えば、あたし達はジュニアの大会で5年生や6年生に混じった中でもそこそこ善戦し、都のベスト8まで勝ち進んだ。
しかし。
そこで大きな壁にぶち当たる。
「ゲームアンドマッチ、」
正直、思った。
「微風、那木ペア」
世の中には、本当に凄い人が居るんだと。
「6-0」
―――手も足も出なかった
後々になって聞けば、彼女たちは6年生。あたし達より2つも年上の選手だったらしい。
それも、全国でもプレー経験のある強豪ペアだったとか。
(しょうがないよね・・・)
試合直後、あたしはそう思った。
自分を納得させるためにはそういう言い訳が必要だったのかもしれない。
「ふみちゃ」
ドンマイ、ドンマイ。
今回は負けちゃったけど、あたし達本来はシングルスプレイヤーだし。
大体、6年生ってほとんど中学生みたいなもんだよね。
―――あたしは、そんな声をかけようとしたんだ
「!」
その時。
宮本葵は、自分の運命を左右することになる光景を見た。
「―――っ」
ふみちゃんは下唇を噛み締め、顔を真っ赤にしながら、小さく震えていた。
恐らく泣くのを我慢しているのだろう。斜め上を向いて、目から粒が落ちないよう必死になっていたのだ。
少しでもバランスを欠けば涙が零れてしまうような、ぐらぐらに揺れているジェンガを見ている気分だった。
―――例えば
―――あたしが少しでも背中を強く叩けば
ふみちゃんは確実に我慢できなくなって泣いてしまうだろう。
ううん。そんな直接的な事をしなくても、悔しかったねだとか、あたしも泣きそうだよとか言えば、泣いてしまうのではないだろうか。
(・・・あれ)
おかしいな。
―――なんであたし、"ふみちゃんを泣かせること"を考えているんだろう
ふみちゃんは大切な親友。あたしの大好きな人。とっても大切な人。
それなのに。
どうして、あたしは。
―――今、こんなにも心臓が高鳴って、バクバクいっているんだろう
興奮。気分の高揚。
この気持ちをなんと言ったらいいのか分からない。
でも、悪くないんだ。それどころか、良い。だいぶ良い。かなり良い。
身体中をゾクゾクと言う電撃が走って、それが一気に頭にフィードバックされる感覚。
全身の鳥肌が一瞬だけ立つ感覚というか。
(・・・すげえ)
この感覚、すげえよ。
ちょっと言葉遣いが乱雑になっちゃったけど、それが1番しっくり来るんだ。
"すごい"ではなく、"すげえ"。
その違いが、堪らなかった。
ふみちゃんの顔を見てからしばらく、こんな事ばかりが頭の中をぐるんぐるんと駆け巡った。
その間、自分が負けたとか、相手が強かっただとか、そんな事はどこかに消し飛んでいたのだ。
別に負けたことに快感を覚えたわけじゃない。負ければ普通に悔しいし、面白くない。
そう考えれば。
あたしがこうなった原因は、ふみちゃんのあの表情を見たからなんだと、その結論に辿りつくことに時間はかからなかったし、結論に至ってしまえば、あたしはそれを一瞬の間に理解できていた。
(ふみちゃん)
あたしの1番好きな人。
1番大切な人。
あたしの人生で唯一手に入れた、かけがえのない、たった1人の親友。
―――壊しちゃいたいなあ
大事に大事に育んできたもの。誰にも触らせない部分。
まるで砂糖菓子みたいに脆いもの。力を入れたら折れてしまいそうな儚さ。
そんな繊細なもの、いつ壊れるか分からないよね?
どうせいつかは壊れちゃうなら。
(あたしが壊したい)
この世に永遠は存在しない。
そんなの誰にだって分かっていること。
だったら、そんないつ来るかも分からない崩壊に脅えるより。
(大切なものがぶち壊れる、その一瞬を)
―――楽しんだ方が、得なんじゃないのか
その為にはどんな苦労だって、苦労じゃない。
だって、その一瞬こそが1番甘くて美味しい部分なんだから。
手間をかけた料理を作るのと一緒。本当に美味しい料理は料理人の腕だけじゃ成り立たない。
素材の良さ。それだって重要になってくる。
だから、さ。
―――あたしにとって、ふみちゃんを壊しちゃうことが
―――きっと何よりもの、快感になるはずなんだ!
その瞬間、あたしは思い切り腕を振り抜いていた。
元々、パワーはある方だった。ジュニア塾の先生にも、強いボレーが打てることを褒められていたんだ。
あたしがしたこと、それは。
ネット前に立っていたふみちゃんの顔面めがけて。
身体にある力をフルで使い、全力のボレーをぶち込んだ。
―――それだけのこと、だった
「水鳥さん!!」
周りの声が遠くなっていく。
たくさんの人がふみちゃんに駆け寄って行って、その時の表情も、なんか。
必死こいてて笑えたっていうか。
段々、水中に居るかのように。水が音を遮っていくかのように、音が聞こえなくなっていく。
多分、身体が必要のない情報を遮断したんだと思う。
だって。
(―――最っっっ高!!)
今までに感じたことの無い快感に、頭の回路が焼き切れてダメになってしまうかと思うくらいだった。
全身が総毛立つなんてもんじゃない。この感覚は、そんな言葉じゃ説明しきれない。
全身を覆う心地よさ、目の前の景色が開けていく不思議な光景、妙に冷静になっていく頭の中。
そして、身体の芯から込み上げてくるこのゾクゾクと心臓のバクバク。
ああ、すごい。すごいすごいすごいしゅごいってこれ。ヤバいよ。
こんなの覚えたら、あたしダメになっちゃう。
―――それでも良いから
今はこの感覚に、溺れていたかった。
◆
結局、あの事は練習中の事故として処理された。
あたしだってバカじゃない。『わざと狙って打った』なんて、そんな事を言うわけがないじゃない。
でも、ふみちゃんにはバレちゃってたみたい。
それ以後、ふみちゃんは露骨にあたしを避けるようになった。
前みたいに2人で一緒に居ることも極端に少なくなったんだ。
そりゃそうだよね。
あたしが、その関係を壊したんだから。
全てがぶっ壊れるその一瞬を楽しみたくて、あたしはそれを行ったんだ。
(でも、今でもふみちゃんが大好きな気持ちは変わらないよ)
大事だし、たった1人の親友だと思ってる。
ただ、もう以前みたいな付き合い方は出来ないよね。分かってる。
次の春。
進級した5年生の教室に、ふみちゃんの姿は無かった。
あたしも驚いたよ。
転校するなんて、そんな話まったく聞いてなかったから。
後々、いろんな人に話を聞けば、ふみちゃんの家は元々転校の多い家だそうで、1年で学校が変わるのもこれが初めてじゃないと言う。
(・・・待ってよ)
嫌だよ、ふみちゃん。
勝手に居なくならないでよ。あたしに何も言わないで居なくなったのは、さすがにひどくない? 一言くらいあってもよかったんじゃないの? あたし達、親友だったよね?
「ねえ!?」
放課後、誰も居なくなった教室で叫ぶ。
どうせ誰も居ないんだ。ちょっとくらい大声出してもいいだろう。
「・・・逃がさない」
親友のあたしに黙ってトンズラは、さすがのあたしもブチ切れちゃった。
絶対に逃がさないよ、ふみちゃん。
どっか行ったって言っても、どうせ東京都内には居るんでしょ?
見つけて見せる。絶対に見つけてやる。
どんな手段を使っても見つけて、もう1回、ふみちゃんのあの表情を見るんだ。
どうしたらあんな表情してくれるかな。今度は何をしたらふみちゃんをああいう風に出来るんだろう。
待っててねふみちゃん。
もう1回、壊すからね。
今度は、『跡形も無く吹き飛ばしちゃう』かもしれないけどね。
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