"ふみちゃん"
◆
「貴女、バカにされてるのよ」
彼女の第一声がそれだったことに、当時のあたしは相当の衝撃を受けた。
水鳥さんはそれだけ言うと、そのきらきらセミロングの銀髪をすっと手で梳いて、どこか満足げに机の上で腕を組む。
「え、どういうこと・・・?」
訳も分からず、そしてあまりに強い言葉に、あたしは尻ごみをしてしまう。
自分から話しかけたのに、おっかなびっくり、ごにょごにょとした語気で、恐る恐る水鳥さんに理由を聞き返した。
「親にも教師にもクラスメイトにも、軽くあしらわれてる。あいつは"完璧"って言って煽てときゃ黙るだろって」
青天の霹靂。
こんな事を言われたのは勿論はじめてだし、考えもしなかった答えだった。
「貴女が本当に完璧なら、周りからホイホイ寄ってくるもの。そうじゃないって事は、貴女の方が周りとズレてる」
あたしはそれを聞いて。
「ぁっ・・・っ」
絶句に近い形で黙ってしまった。
そう、だったの?
みんなあたしの事、バカにしてたの?
「でもね、宮本さん」
「うん・・・」
その事があまりにショックで、あたしは俯いてしまう。
たとえそれが嘘だろうが本当だろうが、出会って1日と経ってない転校生に、こうまでバッサリ一刀両断されているあたしの人間関係。
今まで信じてきていたものが、何も信じられなくなっていく感覚。
視界が真っ黒な影と混ざって、そのまま黒くなっていき、何も見えなくなっていくようだった。
「貴女は"特別"よ」
「え・・・」
とくべつ・・・?
それはどういう意味で、だろうか。
「周りにどう思われていようと、貴女の才能は貴女だけのもの。自分で勝ち取った結果は、貴女が生み出したもの」
「うん・・・?」
分かるような、分からないような。
そんなふわふわとした感覚。
「そんなに孤立するのが嫌なら、私がなってあげる」
しかし。
「貴女の友達に」
水鳥さんはそこで初めて、笑うとまではいかないまでも、表情を柔らかくした。
―――その言葉は大きかった
―――宮本葵にとって、それほど大きな言葉は無い
「い、いいの・・・!?」
「私も友達ゼロは嫌だしね。朝の自己紹介で反感買っちゃったっぽいし、今日一日過ごしてみて、貴女しか近寄ってきてくれる子が居なかったんだもの」
彼女は言って、両掌を上に向けおどける。
「言ったでしょう。貴女は"特別"だって」
「うん」
あたしは一度頷き。
「うん・・・っ!」
その感触を確かめるように何度も頷いた。
嬉しい。嬉しい。嬉しい。嬉しい。嬉しい。嬉しい。嬉しい。
生きていてこんなに嬉しいことがあるだろうか。
生きているって、こんなに素晴らしいことだったのだろうか。
すごい。
すごいよ、水鳥さん。
貴女のその一言で、あたしはどこまでも昇っていけそうなほどの、希望を見つけられたんだから。
◆
放課後になる。
これからまだまだ水鳥さんと一緒に過ごせる。だってあたしは特別だから。
他の子と違って、授業の終わりが関係の終わりじゃない。陽が沈むまで、ずっと一緒に居られるんだ。
「水鳥さ・・・」
「ああ、ごめんなさい。私、放課後はすぐ帰らないといけないから」
その瞬間。
目の前の世界が反転した。
嫌な冷たさが、身体中を駆け巡る。
「ど、どうして・・・?」
"特別"じゃ、なかったの?
嫌だ。水鳥さんに見捨てられるのだけは、絶対に。
「私ね、テニスのジュニアチームに所属してるの。習い事ってところかしら」
「ジュニアチーム・・・」
「そういうことだから」
習い事、か。それじゃあ。
「あたしも連れてって!」
別れる理由には、ならないよね。
「え? 貴女もテニスやってるの?」
「ううん。やったこともない」
「はあ?」
このときの水鳥さんは、本当に呆れた表情をしていた。
何をバカなことを、と一蹴されるのだって覚悟であたしは言ったんだ。
「だから、始める。塾の見学・・・、今から行っても問題ないよね?」
「宮本さん、貴女・・・」
水鳥さんは驚いてはいたけれど。
「良いわ。一緒に着いていらっしゃい。一旦、私の家に行くからね?」
あたしを否定することはしなかった。
それどころか、嬉しそうに受け入れてくれたのだ。
(ああ・・・)
胸がぎゅっとなって、それでも中はじんわりと温かくなっていく感覚。
こんなの、初めて。
心の中にある幸せが飛び出てしまうんじゃないかってくらい、胸の中がぎゅーっと締まる。
(水鳥さん、水鳥さん、水鳥さん)
貴女と一緒に居るだけで。
貴女の事を考えるだけで。
こんな幸せな気持ちになれる。
これって、凄いことだよね。
だって、こんな事、今まで一度だってなかったんだから。
◆
テニスはすごく面白かった。
最初のうちは戸惑ったけど、慣れてしまえば自分がどんどん上達していくのが分かった。
元々運動は大の得意だったんだ。感覚さえ掴めれば、あとはそこを伸ばしていくだけ。
それでも。
「3-1。また私の勝ちね」
ふみちゃんには、1度として勝てなかった。
「ふみちゃんは強いなあ」
「当たり前よ。初めて半年も経たない素人に負けるほど、ヤワな練習はしてないわ」
「あたし、もう素人じゃないよお」
「私に言わせれば素人なのよ」
言って、どちらかともなく笑う。
この半年間で、ふみちゃんとも大分仲良くなれた。
何より、ふみちゃんって言うあだ名で呼ぶ仲になったのだ。
ふみちゃんは2人きりの時、本当にたまにだけど、あたしの事を「あーちゃん」って呼んでくれるけれど、普段は「葵」と、あたしの事を名前で呼んでくれる。
(良いんだ。そんな表面上のことは、どうだって)
こうして2人で居るだけで。
あたしはふみちゃんの事を考えるだけで。
楽しくて楽しくて、たまらないんだから。
そんなある日。
「次の秋季大会だけど、文香さん、葵さん」
「はい」
ジュニアスクールの先生から、意外な言葉を投げかけられた。
「あなた達、ダブルスで出てみない?」
「えっ」
「ダブルス・・・?」
あたしもふみちゃんも頭に全く無かった選択肢を言われて、聞き返してしまう。
「2人共すごく仲が良いし、息もぴったりだと思うの。それにダブルスってやったことないでしょ? もしかしたら才能あるかもしれないわよ。新しい可能性を広げるつもりで、どう?」
ちらり、とふみちゃんの方に目を遣る。
ふみちゃんは悩んでいたようだった。珍しく表情を顰めて、恐らく本気で返事に困っている。
(やってみようよ、ふみちゃん)
(葵・・・?)
(あたし、ふみちゃんとなら上手くやれそうな気がする)
勿論、根拠なんて何もない。
それでも、ふみちゃんと一緒に何かを為すなんて、ロマンティックじゃないか。
二人の共同作業、二人三脚・・・そんな風に考えると、それだけでドキドキして身体が熱くなる。
(・・・分かったわ)
あたしの自信満々な様子に押されたのか、ふみちゃんはコーチに。
「やります」
「じゃあ今日からしばらくダブルスの練習をしてみよっか。結構シングルスとは勝手が違うから、覚えることいっぱいあると思うけど」
「ふみちゃんとなら、なんでも平気だよ。ねー」
にっこりと笑いながら、ふみちゃんの顔を覗き込む。
「ふ、ふんっ。葵が私の動きについて来られるかしらっ」
ふみちゃんはそう言ってぷいっと顔を逸らす。
あ、恥ずかしがってそっぽを向いちゃった。
(ふみちゃんにはあたしだけを見てて欲しいんだけどな・・・)
まあ、いいや。
これからは練習中もずっと一緒だし。
頑張って2人でダブルス覚えて、大会優勝しよう。
あたしとふみちゃんになら、出来るよ。




