VS 鷺山 シングルス3 水鳥 対 宮本 3 "負けるのか?"
「ゲーム、宮本」
ゲームを重ねるごとに。
試合時間が経過していくごとに。
「3-2!」
『わあああああ』
耳を劈く声援が、大きくなっていく。
「ふみちゃん」
その大声援の中、ベンチへ引き上げていく直前に。
「いつまで"もつ"かな」
葵はそう言って、満点の笑顔を浮かべた。
「・・・さあね」
そんな事、私自信だって分からない。
まだまだ無限に力が湧いてくる気もするし、次の瞬間には足が止まりそうな気もする。
―――葵のプレーには一切のブレが無い
私の心臓を狙うような強力ショットを繰り返す、必殺のテニス。
"水鳥文香という選手のプレースタイル"の弱点を悉く突いた、力強さを前面に押し出したパワーテニス。
そして、『私を倒す』と言う圧倒的な強い意志。
(・・・辛い)
今、口からその言葉が出かけて寸でのところで飲みこんだ。
実際に言葉にしちゃいけない。それだけは絶対にダメだ。
だけど、そう思わざるを得ないような苦しい状況。それは何も変わっていなかった。
「水鳥、アンタ大丈夫っ?」
普段はほとんど顔色を変えない野木先輩が、目を見開いて水を差出し、片手で私の身体を支えてくれた。
「・・・」
私は何も言わず、黙って手渡された水を飲む。
―――大丈夫なんて言えない
―――大丈夫じゃ、ないから
「水鳥」
そこで、今まで黙っていた監督が声をかけてくれた。
「相手は想像以上にタフだな。あの気力・・・鬼気迫るものがある」
「・・・はい」
私はこくんと頷く。
それくらいしか、私に出来ることなんて無かったからだ。
実際、葵はすご―――
「お前、負けるのか?」
―――その言葉を聞いた瞬間
「ッ!」
疲れ切った身体が、奮い立った。
「想定外の強い敵なんぞ、この先いくらでも出てくるぞ。そのたびにお前は負けるのか?」
・・・。
・・・。
・・・・・・私は、
「私は、」
ああ、分かった。
葵の実力を認めてしまい、どこか諦めていた自分の気持ちの弱さが。
―――水鳥文香は、
「勝つためにテニスをしています・・・!」
辛い練習、とんでもない重圧、プレッシャー、それらを自分に課しているのは。
普通の女子中学生としての生活なんて、棄てた理由は。
試合に勝つため。強くなるためだ。
「水鳥・・・」
「ありがとうございました、先輩。水、またお願いします」
呆然としている野木先輩に、空になったペットボトルを手渡す。
「監督」
そして、ベンチで腕組みをしてこちらを見上げている、私たちのボスに。
―――もう一度言う
「私は勝ちます」
―――この言葉を、もう一度
「負けません!」
言葉にしたら、それはすとんと胸の奥へと落ちてきて。
少しだけ、気分が軽くなった。
「疲弊しているのは相手も同じだ。宮本とお前の実力は五分・・・、その意気で戦ってこい!」
「はい!!」
柄にもなく、大声で叫んでしまう。
すると。
それとほぼ同時に、コートをぐるりと囲む観客たちから、拍手が起きた。
「いけー! 水鳥ちゃん!!」
「よく言ったよ! その意気その意気!」
「強気で攻め続けろー!」
私はその声援を背に、コートへと向かう。
(葵と向き合うって決めたのに)
そして、私は思うんだ。
(どこかでまだ、私は貴女から逃げていた)
宮本葵―――
私の過去が生み出してしまった歪みと。
(貴女の善意も悪意も、全て受け止める)
真正面から衝突しなければ、葵を捲ることは不可能だと。
「ふみちゃん、少し変わったね」
「・・・」
「でも、まだだよ。まだ足りない。あたしをヤリたいなら、もっともっとふみちゃんの汚いとこ、見せてよ。ねえ!!」
葵を、この子をここまで歪ませてしまった原因。
それを考えなければ、葵とは向き合えないのだと―――
◆
あたしは、周りから孤立していた。
別にハブられていたとか、いじめられていたとかじゃない。
気づけば、周囲から人が消えていたのだ。
その理由は容易に思いつく。
それは―――
「葵ちゃん、またテスト全教科100点ね。えらいわ」
「宮本さんって足速いよねー。男子でも全然勝てないんじゃない?」
「勉強も運動も出来て、」
『完璧な子だよねー』
周囲はこぞってその言葉を使いたがった。
あたしは何でも出来て、完璧な人間だと。
(じゃあ、)
じゃあどうして。
(あたしはいつも独りなの・・・)
完璧な人間なら、友達付き合いや人間関係だって完璧なはずだ。
あたしはもう少しちやほやされたって、もてはやされたって良い。それなのに。
「あのね、お母さん。テスト、また100点だったよ」
あたしが母親にそう話しかけると、あの人は決まって。
「あ、あらそうなの。すごいわね葵は」
引きつった笑顔でそんな事を言うんだ。
褒めてくれないわけじゃない。ご褒美にと言って好きなものも買ってくれた気がする。
しかし、あの人があたしにほとんど興味が無いことなんて、子供のあたしにも筒抜けだった。
「・・・」
黙って給食を食べる。
積極的に話しかけるタイプではなかったので、食事中は静かだ。
いや、違う。食事中も静かなんだ。
みんな、どこかあたしと距離を置いていた。
完璧な人間、なんでも出来るすごい子。それなら、どうして誰もあたしの友達になってくれないんだろう。
そう思うと腹が立って、こっちからも積極的に話しかけるような事はしなくなっていた。
それが積み重なっていくと、あたしは周囲から隔絶されたように独りきりになっていたのだ。
「何がいけないんだろう・・・」
こんなに頑張っているのに、どうして誰も。
誰もあたしの事を見てくれないんだろう。
どうせこのまま独りなら―――
―――あたしなんか、居ても居なくても
―――同じなんじゃないのか
あたしはそんな考えに至った。
それは春の出来事。
新学期が始まり、4年生に進級した日。
ぼうっと頬杖をつきながら窓の外の桜を見ていた。
(こんな綺麗な桜の中、"あたしを終わらせる"には丁度いいかな・・・)
自分の人生の終焉を考えながら。
担任教師が教室に入ってきても、あたしはずっと綺麗なピンク色に咲き誇った桜を見続けていて。
そのことに、気づかなかったんだ。
「水鳥文香」
聞きなれない声が、聞こえた。
「私は慣れあいをするつもりはないわ。それでも良いならよろしく」
あたしは顔をぱっと教室の前面に向ける。
―――セミロングの綺麗な銀色の髪
―――それがさらさらと、窓から差し込む日光で
―――眩しいくらいに輝いていた
担任の取り繕うようなフォローが入って、それでも彼女は目を瞑ってすまし顔。
なんて。
なんて美しいんだろう。
直感的に思った。
彼女は何も恐れていない。
あたしが1番怖いものを、何とも思っていないんだ。
それどころか、俗世間のようなものを嫌悪するかのような鋭く切れ長な目と、大きな瞳。
「水鳥さん」
休み時間になると、あたしは一目散に彼女の下へと駆けて行っていた。
もうその時の意識や記憶なんてない。
まるで本能かのように。そこに行くことをDNAに刻まれていたかのように、あたしは彼女の机へ足を向かわせていたのだ。
「・・・貴女を、教えて欲しい」
貴女の全てを教えて欲しい。
貴女の全てを知りたい。
そして、あたしの全てを、貴女に話したいんだ。




