第三話 「人として。まずは着替えよう」
伏兵が最後に遺した意趣返しなのか、戦闘の余波で、蛇のいた間へと通じる道が絶たれしまった。
その先に外への出口があると予想していただけに、康介たちはショックを隠せない。
「やってしまった」と痛恨のミスに康介は頭を抱えるが、過ぎたことを後悔しても始まらない。
問題はこれからどうするか、だ。
「出口っぽかったのに、道が塞がっちまったな」
「こういう時にはアレだね。転移魔法の出番だよ」
「転移か。使えないこともないけど、始まりの場所に戻るだけだぞ」
「ふむ。一度行ったことのある場所にしか飛べないということかね」
「ご明察だ。他の道で出るしかないな。取り敢えず、アーネルさんトコに戻ろう」
「そうだね」
戻るついでにご報告。
二人が来た道をそのまま引き返していくと、道の先の広い空間、その真ん中辺り――中空付近に点が見え始め、ソレが徐々に大きくなってくる。
半人半蜘蛛の女王アーネルだ。彼女は前と同じ位置に浮いており、腕を組んで静止していた。目を閉じているので、その姿勢で寝ているのだろうか。まるで時が止まったかのように微動だにしない。
(この距離だと蜘蛛にしか見えないんだよな~)
絡み合った脚の群れが、本能的なおぞましさを康介に感じさせる。康介の実家の蜘蛛さんもこんな感じであった。
その時は益虫なので「頑張ってね」と放置していたが、アーネルの全長はおおよそ五メートルはあるので、流石に刺々しい威圧感が否めない。
そういえば、先程倒した蛇や蜘蛛たちも、二、三メートルは優にあった。この世界の魔物は基本、デカイのかもしれない。
『待っておったぞ』
康介たちが狭い道から解放されると、閉鎖された空間に凛とした声が響き渡る。
アーネルが瞑っていた目を開いた。
康介たちが戻ってくるのが解っていたみたいだ。
「アーネルさん、裏切り者は二体いた」
『……そうか。よもやそこまで……蛇どもめが』
康介の報告を聞いて、アーネルが憎々しげに唇を噛み締める。
余程腹に据えかねたようだ。
同族を喰われたのだから、当然の憤りだろう。
「頭を潰したから、ここら一帯の蛇は散り散りになった筈だ。恐らく崩れた道の先へと逃げていった……と思う。あとはアンタらの問題だ。どうしてもというなら条件次第では……」
『――いや。そこまでしてもらう義理はない。世話になったな。礼を言う』
「ならいいさ」
康介は軽く相槌を打ったが、心なしか苦々しい表情を浮かべていた。
先程自分は何を言おうとしてたのか。深く関わるつもりはなかったのに、つい口から余計な一言が出てしまっていた。
密かに闘志を燃やしているアーネルを鑑みても、早まったと康介は思う。彼女にもプライドがあるのだ。
乗りかかった船なので、ついでに蛇を掃除しようかとも康介は思ったが、余計なお世話だったようだ。
(俺らしくないな。……いや。これが他者とのコミュニケーションの"あるべき形"か。人と――家族や友人、幼馴染殿と接するうちに、"人"を取り戻していた……?)
自分から厄介事に首を突っ込もうとするとは、前の世界では考えられなかった感傷だ。
心境の変化、と言えば容易い。
人を形作るのは環境。世界が変われば、人もまた変わらざるを得ない。
今の自分も、前の自分も、どちらとも何ら間違ってはいないのだ。
(だけど。今の俺の方が……心地いい、な)
他人に冷たくするということは、他人からも冷たくされる、ということである。
その覚悟がある"狂人"と呼ばれる類の人間ならともかく、康介は普通の人間でありたい。
支え合って、助け合い、群れでもって個の限界を凌駕する。それが人間という種の強みだ。
最も仲間は前の世界でもいた。
しかし、自分のことは自分だけで解決する傾向が強かった。弱くて死ねば、その者がそこまでの器だったというだけの話。そこに感傷は一切入らなかった。
前の世界ではソレが当たり前。
――今は違う。
「おお、ミッションコンプリートですな、康ちゃん! ……康ちゃん? どうしたの、大丈夫?」
日和が康介の沈黙に首を傾げる。
「ああ。何でもないさ。終わったようだ」
心配。
そんな些細な気遣いが、冷静になって考えると、康介にとってはむず痒くもある。
この安穏を護るためならば、この先どんな無茶でもできるだろう。
ふわふわしたような、暖かくも鋭い不思議な気持ちを、康介は胸の内に秘めていた。
話は淡々と終わり、微妙な空気が流れ始める。
「あ~あ、康ちゃんのリアルバトルを見逃したのは痛手だったよね。しかーっし! 次は私の無双回が始まり――」
理解してないのか、空気を読んだのか、はたまた只のお気楽思考なのか。
日和が身を乗り出して、切った張ったの大立ち回り――エア一人舞台演劇を始め出した。イベントクリア的な達成感から高揚しているのだろう。
とにかく、厄介事は過ぎ去った。
「問題はこれからなんだが……」
そう、問題はこれからの方針。
まずは生きていける環境――人のいる集落を見つけて、一般常識を学び、生活基盤を築いて人間関係を潤滑にして、あとは……。
はしゃぐ日和の横で、康介はこれからどうするか悩んでいた。
……と、アーネルが切り出してきた。
『それにしても、お主らは面妖な格好をしておるのう。前に見た人間はもっと物々しい装備で溢れかえっておったぞ。良くもまあ、それで今まで無事だったものじゃ』
「「あっ」」
康介と日和が同時に声を立てる。
忘れていた。
二人は制服のままだったのだ。
このまま人前に出たらどうなるのか。
「この服装って、セーフ?」
「どうだろう? 案外学生は似たような服かもしれないが、なにせ世界観が把握できてない。近代YABEEEなのか現代BANZAIっぽいのか、未来都市SUGEEEなのか……」
「wiki魔法で調べてないの?」
「俺の魔法でもそこまでは調べられないさ。無難なのは、田舎から出てきたで押し通せる村人風なんだが、ちょっと自信がないな」
「とりあえず着替えとく?」
『お主ら、どういうことじゃ?』
話し合う康介たちに、気になったアーネルが割り込んできた。興味津々の様相をしている。
そういえば言ってなかった。言う必要もなかったが。
『ほう、異世界とな』
「そういうことだ。どんな服なら平気かな? やっぱ無地の上下服とか?」
『むぅ、妾に聞かれてものう。その格好が珍しいとしか言えぬな。そうじゃ! ここは妾自慢の一品を、褒美として其方らに進呈しよう。その娘の護りともなるぞ』
意気揚々と手渡されたのは、蜘蛛の糸で編まれた服一式。
デザインは普通。服があるなら何故アーネルは裸なのだろう、という疑問も湧いてくるが、そこは保留。
しかし……。
「金ピカ?」
金一色だった。輝く服など悪目立ちするだけである。
当然、即却下。さっそく康介は苦情を申し入れた。
『おお、スマン! ソレは妾の糸で編み上げたモノでな。他種族との面会の折に、妾が着ておったのよ。どうだ、美しかろう?』
「もっと地味なのにしてくれ」
『うぬぅ……そうじゃ! 確か、我が子らの作った服がどこかに……』
名案とばかりに、アーネルは糸を伝っていそいそと天井へと戻っていった。
康介と日和が釣られて見上げる。そこがアーネルの塒で、荷物置き場もそこにあるのだろう。
天井から垂れ下がる細い糸がアーネルの巨体を楽々支えているのを見て、「あんな細くてよく切れないよね~」などと日和が口にしていた。彼女にとっては全てが新鮮であり、一つ一つに興味が尽きず、お蜘蛛事情も例外ではない。
長く掛かりそうなので、康介と日和はその場に座り込んだ。
「服か~。肝心なことを忘れていたな。今気付いて良かったよ」
「そう? 私はあんまり気にしないけどな~」
「こんな宇宙人丸出し(かもしれない)の格好で行ったら、異端審問官とかに捕まるぞ(いたらの話だが)。それでもいいのか?」
「うう~、わかった。着替える」
「でも装備か~。確か、昔のがまだしまってあったような……」
アーネルを待つ間、康介は自前の魔法倉庫から過去の想い出の品々を引っ張り出す。
使い古した武器たちを手に取るが……。
「うっ、ちょっと見た目がな」
「これは……酷いね」
康介の狼狽えように日和も武器に目を向けるが、そのあまりの歪さに、彼女もドン引きしていた。
センスゼロの禍々しい武器の数々。美しさの欠片も、品性すらない。別の意味での美しさはあるのだが、プラス評価にはならない。
表に出したら『呪い付き』と後ろ指をさされても仕方がない品々――ソコは魔窟だった。
これしかなかったとはいえ、流石の康介でも自分ことながらに引いてしまう。
(ああ、そうだった……アイツらの美的センスはこんなだったんだ……)
思い返せば、あの世界に武器屋なんてものは存在しなかった。それどころか、宿屋に食材屋、飲食店などの店構えも、何一つとして見つけられなかったのだ。お金という概念がそもそも常識として浸透していなかった。
そして明確な国もなかった。他者との境目は、縄張り意識のアバウト理論。
食料は自給自足。日々、獣を狩り、食べられそうな食材を見つけては調理する。とは言っても、大概は焼くだけの簡単クッキングで、バラエティに富んだ料理は期待できなかった。
他者と食事を分け合う者などは少数派で、むしろ変わり者に分類されていた。
塩や甘味料、希少な香辛料なども、あるにはあったのだが、自分で見つけるか、もしくは持ってる者との物々交換だった。「恵んでください」は恥知らずだけが口する禁句だったのだ。
あの頃の乱れた生活を想い返しては、康介は憂鬱になっていく。
現代に復帰した後の食事に、泣いて歓喜したぐらいである。
(こっちも当然、こうなるよな)
武器以外もロクなものではない。
防具は防具でサイズが合わないし、オールドファッション的な匂いまでする。
更には素材もよろしくない。
近寄り難いオーラを発する赤死龍の鱗服に、全身が毒を含む紫鉄だらけの魔物――牙筵の毒々しい胸当て、グロい蜻蛉猫の毛皮で出来たマントなど、他も似たような感じだ。
日本で購入した服は実生活に必要だったので、実家に置いてきてしまっていた。
予備を魔法倉庫に入れておけば良かった、と今更ながらに康介は後悔する。
「………一式、あとで新調するかな」
「そうしようよ」
死んだ目で呟く康介の独り言に、日和が隣で追従した。康介の肩を労わるように叩く様から、彼女の気遣いが垣間見える。
しばらく二人共ボーっとしていた。
康介が驚異的な視力で糸の本数を数えていて、日和が今後の妄想活劇をシミュレーションしていると――。
『ふふふ、あったぞ。これじゃ。ほれ、着てみぃ』
アーネルがご機嫌で戻ってきた。
手には大きな金の包みを抱えており、降りてくるなりその中から質素な色合いの服を数着ほど取り出した。
塒を漁ってアーネルが見つけた一品。彼女もそれなりの自信があるようだ。
「おっ、マトモ」
「でもこの布地、きめ細かいね。ほら、シルクのような手触りがする。近くで見ると素材の良さが一目瞭然だよ」
「へぇ、どれ……」
促されるままに、康介はそのブツを受け取った。
手元に乗せられたのはグレーの上下服――インナーとズボンのセットと、分厚い靴。靴は靴底に弾力があって、足が痛まないように工夫されているようだ。しっかり造り込まれていた。
同様の材質で造られた厚手のジャケットと黒い外套もあるので、見窄らしくは感じない。
「これか。サイズは丁度良いみたいだ。靴も」
「私はこっちかな。うん、ピッタリ!」
「おまっ、俺の前で堂々と着替えを……いや何でもない」
男らしい勢いで制服を脱いで下着姿になった日和に、苦情を入れかけた康介だったが、本人に恥じらいがないようだったので口を噤むことにした。
ちゃっかり目でボディチェックをしてしまったので、蒸し返したくなかったのがその理由だ。
身長が約160センチの日和の服のサイズは、170センチとちょっとの康介とそこまで変わらない。サイズも丁度良いのがあった。
胸囲も緩めに造られていたので、女性男性に関係なく着衣が可能だった。ただ、屈むと服の中が丸見えになってしまうのが、女性としてはどうなのだろうという多少の問題は残っていた。本人は気にしていなかったが……。
『かなり前の話だが、近くに迷い込んだ人間の格好をモチーフにしたと言っておったか。それなら文句なかろう』
「まっ、これならセーフかな。あとは人里に出てからかな。ありがとう、アーネルさん」
「ありがとね!!」
康介と日和の礼に、アーネルがうんうん頷く。二人の反応に満足したようだ。
……さて、
これからどうするか。問題は何も解決していない。