二章-2
『月』という教団は、最初は信仰団体ではなかった。『月』の教祖である人間が、貧しい者や苦しんでいる者を助けるために行動していったことが根源である。教祖も、教団を立ち上げる気はさらさらなかった。ただ、一人でも多くの人を、自分のできるかぎりで救うことができたらという行動さえできていればそれで満足していた。
はじめのうちは、教祖を快く思わない連中がほとんどであった。が、だんだんと理解者が出てきて、時には共に救いを行動に移す同志も現れた。いつしか理解者や同志は増え、二十人を越える賛同者が、教祖のもとに集まった。
ところが、そんなある日、賛同者の一人が、教祖の言葉に疑問を投じた。それは至極まっとうな意見で、教祖もその言葉を受け入れた。
しかし、教祖ではなく賛同者がその言葉を許さなかった。言葉を発したものはほかの賛同者から激しい暴行を受け、ついには死んだ。
教祖は嘆き悲しんだ。自分のことを理解してくれる人間が、同じ志の仲間に殺されてしまったのだから。しかも、自分の名の下の粛清とも言えたから、なおのことショックだった。
教祖の知らないうちに、賛同者は増え、ついには百万単位を超える人数が集まった。教祖の知らないうちに、自分は「教祖」としてあがめられ、「神」とも呼べるような立場に立たされていた。教祖の知らないうちに、「神」に逆らった不届き者が粛清された。
『月』は、世界各地でカルト教団との指定を受けている。世界人口の約五分の一は、『月』に属する信徒であるという一国政府の発表の上がったのは、およそ二十年ほど前のことだ。
そんな『月』には、奇妙な教えが存在する。
それは、富めるも貧しいもない、老いも若いもない、幸せも不幸せもない、すべて平等にあれ、というものだった。もちろん、教祖はそんなことを一言も言っていない。
この教えをひどく拡大解釈をしてできたのが、ヨハンとエリカが現在いる『月』の住居だ。
ここは、世界の町すべてと比べても、異色だった。
まずここには何もない。あらゆる無駄が排除されている。食事も、辛い物を取りすぎると脳に異常をきたすということや、食べる物の違いで人にも違いが生じてしまうということから、人の手によって作られる料理がない。一日二枚のビスケットと少しの水だけが、定時に配給される。
色もない。赤は興奮作用があるとか青には鎮静効果があるという色の作用から、人を惑わすということで色素を取り払った。色がわずかににじみ出ているのは、目の痛むのを防ぐため。
娯楽はない。娯楽の影響のために、犯罪にひた走るやもしれぬという、何の根拠もない出任せから、すべて取り払われた。
さらに、家族という概念がない。『月』にすれば、家族は『月』の信徒すべてが家族なのだから、それ以外の家族はまがい物だということらしい。
最近では、性別も取り払われた。男女差があるから、違いが生まれる。ここでは、女性が出産をしない。みな人工的で機械的な手段でもって赤子を造る。ゆえに男女差の必要性が薄まり、近年代に生まれた信徒たちには生殖器が欠落している。
やがて『月』は世界レベルで問題になる。数の暴力により、『月』の信徒である人間が国や政界を牛耳るようになった。危機感を覚えたまともな人間は、『月』教団を排除することを考えた。
そこで世界各国での会議の末、『月』の信徒たちだけの住む住居を造った。信徒たちはそこで暮らし、一切の関係を世界から断ち切るようにとの勧告を下した。
これは、失敗であったとヨハンは確信している。『月』の幹部クラスの連中は、世界中の人間一人残らず全員が、『月』の信徒になることを望んでいる。住居を与えられてそこでおとなしくしているわけがない。現に、住居地ではないはずの、エイナル達の屋敷に土足で踏み入れた。ノートの記録を見ると、彼らは世界各地で息をひそめながら、すべてを『月』で満たすことに余念がない。
カルト指定したうちに、有力な国が総力を挙げて早い所滅ぼせばよかったのだ。ノートにそんな考えが書き殴られていた。
少女が迷い込んだ世界のなりたちです。