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間章

   間 章


 ずいぶん年月が経っているとはいえ、一度経験したことをもう一度するのはそうそう難しいことじゃなかった。

 ただ少し、忘れていたことを思い出すのが面倒なだけで、あとは用心していれば何の困難もなかった。監視のきつい場所を全部引き受けたのだって、荒っぽいことが得意な自分が適任だと判断したから。奴との約束も交わされてしまったし、しょせんは紙でしかないもう一人の友人に背負わせるにはきつい場所だった。

 『月』の信徒は学習能力がないのだろうか……今更疑問に抱くまでもないことだ。前回の計画の際、監獄という監獄はすべて破壊した。それを、そっくりそのまま同じ場所に設置するという愚行は、こちらにとってはありがたいことだ。信徒をまとめるのは幹部の人間だ。あえて再構築したのにも、何かしらの策があるのだろう。

 三つの監獄を回っていまだに外れている。イオリの担当箇所か、自分がこれから行くところに、人間三人がいるはずだ。次の監獄へさっさと向かう。

 幹部レベルの人間が、看守としてここにいる。奴らは信徒と違って、学修能力がある。自分が異物としてここに侵入していたら、すぐに気付くはずだ。こっそりと、見つからないように慎重にいかなければならない。

 幹部のいない隙をうかがって、牢獄を一つ一つ見て行く。

 ようやくあたりが出た。そこには、人間の体が一つ放置されている。砂色の髪は、間違いなくコーデリアのものだ。声をかけても起きることはない。コーデリアの魂は、兎の人形に閉じ込められているのだから。

 鍵束にまとめられた無数の鍵から、すばやく一本を見つけ出し、開けた。魂のない体は、余計に重い。女性だったからよかったものの、これがワトソンだったら自分一人で運べたかどうか。

 急いでその場を立ち去る。人一人背負ってこそこそするのは難しい。人間を救出したら、そのあとは隠れず逃げることに専念すると決めていた。相手は幹部と、痛みも死も恐れぬ信徒だ。穏やかな方法で逃げ切ることができないのは分かっている。

 懐に忍ばせておいた、銃火器や小型の爆弾で、乗り切る。数にも限りがあるから、これから回る監獄と背負ったコーデリアのことを考えると、あまり無駄遣いはしたくない。もったいぶっている暇もないから、使うべき時を見誤らなければいいだけだ。

「そこの白衣の!」

「……やっぱみつかっちった?」

 気付いたのは幹部だった。あと少しで出口だったのに、門が封鎖された。懐から爆弾を一丁取り出し、門に仕掛けた。急いで離れ、追手を威嚇する。

 爆音が、背中に響く。これで門は破壊された。焦げた匂いも煙も気にせず、そこを抜け出す。

 コーデリアの本体は奪還できた。この調子でいけば、ワトソンの本体もすぐに見つけることができるだろう。

 問題なのは、エイナルだ。奴の身内には、幹部レベルの信徒がいた。その血縁ゆえに『月』からは必要以上の敵視を受けていた。家族と言う概念を消したかったのは、こういう家庭の事情も理由のうちに入るかもしれない。家族の問題を外に持ち越すなと言いたい。


 なぜか、その後は滞りなくことが進んだ。すべての監獄を回って得たのはコーデリアの本体だけだったが、となると残りの人間二人はイオリが見つけたということになる。あの子の場所には、人形がいると考えている。

 多少の追手はあったものの、逃げ切れなくなるほどの多さも強さもなかった。幹部とおぼしき人間も威嚇の射撃でひるませるだけで済んだ。

 あっさりと、自分の家に帰って来れた。ベッドにコーデリアの本体を寝かせる。眠っているようにしか見えない。玄関に置かれていた昼分の水を飲んだ。

 ほどなくして、イオリが戻ってきた。ワトソンの本体を背負って。自分よりもひょろい人間が、軽々と男一人抱えて行き乱れることがなかったのは、こいつの命が紙だからだ。紙媒体でつくられた分身は、重さを感じることがないらしい。

「よう」

「ただいま。ワトソンの本体は見つかったよ」

「そか。こっちはコーデリアだ。今はベッドに置いてある」

「……ところで、エリカは?」

 不安は、それだ。あの子のたどる道筋は、自分とイオリほどの難しさはない。数も少ないし看守も信徒レベルでこそこそする気づかいもないほどの箇所だ。人形が二体いたって、ポケットに突っこめば移動の負担にもならない。

 そのあの子が、まだ戻ってきていないのだ。

「ついでに言うとね、あの人も取り戻せていないとなると……」

「捕まっちまったかね」

「そうとしか考えられないと思うよ」

 電話のベルが、鳴った。使いこんだ黒電話で、自分を呼ぶ相手はだいたい察しがつく。ヤエガキがこんなタイミングでかけてくるはずがない。自分がこの家に着いたことを分かっている相手なんて、そうそう存在するもんじゃない。

 黒電話を取った。

「……はいよ」

『小さな女の子を預かっています。引き取りに来ていただきたいのですが』 

 やたらと気障ったらしいその声を、自分が忘れるはずがない。

「……おまえか」

『ついでに、罪人も何人か解放されてしまいましてね。かくまっているようでしたら、引き渡しに乗じてください』

「身代金なら諦めろ。俺の手持ちがどれほど寂しいかわかってるのか」

『決して高くはありません。あなたの身柄と、罪人二人、そして藤堂伊織の身柄が身代金です。金品は必要ありません。応じないようでしたら、あなたの旧友の体は魂もろとも焼却処分します。……エリカの目の前で』

 忘れかけていた、煮えたぎった怒りが目を覚ました。無慈悲に切られた電話の前に立ち尽くす必要はない。

「イオリ」

「なあに?」

 腸が煮えくり返っているというのに、頭と心はずいぶん冷え切っている。普段穏やかな人間が切れると何より恐ろしいとは聞いたことがあるが、それが自分のことだとは思わなかった。

「人間二人、抱えて歩けるか」

「できるよ」

「おまえに渡した武器を寄こせ。代わりに持ってってやる」

「ありがたいね」

 言わずとも、イオリは分かっているのだろう。電話の主が、自分たちの味方ではないことくらい。

 イオリの懐から出された爆弾やら銃器やらナイフやらピアノ線やらは、すべて自分が引き受けた。人間二人を抱えてもらうことにした。

「さて、行くか」

「ん」


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