五章-4
周囲を軽く見まわすが、自分以外に信徒らしき人はいない。この場で声をかけられるのは、エリカしかいないのだ。何より、こうして肩を掴まれているではないか。
動揺している。心臓の音がうるさいくらいに聞こえる。ばれたのだ。
「な……なんでしょうか」
エリカは平常心を強く意識し、後ろをふり返った。
淡い金髪が麗しい、青年だった。恋愛には程遠いエリカですら、その微笑に見とれてしまう。信徒の者であるはずなのに、淡色のコートの下からははっきりとした色が覗ける。
「お嬢様!」
ワトソンの声にはっとした。人形がここにいることは避けたいことなのに、それを充分理解しているワトソンが叫んだのだ。
「逃げて!」
エリカは肩に置かれた手を振り払い、逃げようとした。しかし、ワトソンの声である程度素性が知られたため、相手も簡単に逃がしてくれそうになかった。
エリカの痩せた腕を、その青年が強くつかんだ。
「困りますね、逃げられてはたまらない」
「離して!」
「人形の言うことを聞くわけですか」
「人形は人形でもわたしの家族なのよ!」
青年はふーっとため息をついて、エリカを自分の懐へ引っ張りこんっだ。やせ気味で力のないエリカの抵抗は虚しいものに終わった。青年の胸に抱きこまれて身動きが取れない。両手で彼の胸をどかどか叩くが、効果はなかった。
「お嬢様っ!」
青年はエリカのポケットをさぐる。あっさりと、ワトソンが見つかる。声を出せば、当然の結果だ。それをつまんでぷらぷらさせる。
「ワトソン! 返してよ」
「ああ、君ですか。どうりで覚えのある耳障りな声なはずだ」
「おまえ……!」
ワトソンの声には憤怒が満ちている。
「まあ、人形には何もできませんしね。できたとしても対処する方法もわきまえてます。心の優しいぼくは君も一緒に連れていって差し上げます」
青年はエリカを片手で抱きかかえ、人形をつまんだ手はそのままだ。人形をぷらぷらと振り回しながら、抵抗するエリカを簡単に捕まえ、どこかへと歩く。
「離してってば!」
「えー? 嫌です。君を探していましたから」
「わたしは! おじさまを助けるの! あなたに付き合ってる暇はないのよ!」
「そのおじさまはぼくが預かっています。一緒に見ませんか?」
言葉に詰まる。
「おじさまって……知ってるの?」
「そりゃ知ってますよ。エイナルのことでしょう? 彼とは古い仲です。ついでに、あなたが彼の救出をそそのかしたヨハンとイオリとも旧知の仲です」
「そそのかしたわけじゃないわ」
「そうですかね? あなたがけしかけなければ、彼はここで身の安全だけは保障されました。あなたがいなければね」
笑顔でやたらと痛いことを言う。
「ダメです! そいつの言うことを信じてはいけない!」
「猫の答えは聞いていません。ついでに、あなたの答えも聞く気はありません」
猫の人形を放り投げ一度踏みつけたのち、青年はエリカにそう言った。踏みつけられたワトソンはまた拾い上げられ、ぽんぽんとお手玉代わりにされたり、青年の手中で握り潰されたりと悲惨な目に遭い続けた。人形でなければ、その苦痛は耐えられなかっただろう。
――失敗した。
あと少しで、自分の役目が成功したのに。あと少しだったのに。
エリカは、目の前が真っ白になった。




