四章-4
深夜になり、エリカはビスケットを咀嚼しながらこれからのことをヨハンとイオリと考えた。エイナル達の救出計画は、四度目の全滅計画を基軸に行うとのことだった。
「全滅計画に則してってことは……その、戦うこともあるってことよね?」
覚悟を決めていなかったわけではないが、エリカは現実感が湧かず、恐る恐るヨハンに聞く。
「最悪の場合は戦闘もしなくちゃならないってことですよ、君。もちろんそうならないよう慎重に行くし、俺とイオリでどうにかするし」
「それに、四度目の全滅計画の参加者だしね、私たち」
イオリが笑ってさらりと言った言葉に、エリカは驚いた。
「全滅計画を実際に自分たちでやったの?」
エリカの少し荒い声に、イオリは首を傾げヨハンを横目でにらんだ。
「……ちゃんと教えてなかったの、ヨハン?」
「いや~、参加者リストが記録の中から抜け落ちてたっぽくってねえ。ホラ、俺ってさあ、手近な紙を栞代わりにする癖があるじゃん?」
「君の呆れる癖はどうでもいいよ」
「うん、確かにどうでもいいね。いや、俺の癖のことは置いといて、四度目の全滅計画の概要は分かってるよね?」
ヨハンの問いにエリカはうなずいた。
「その計画を立てたのはエイナルで、指揮したのもあいつ。俺とイオリと、ワトソン、コーデリアはその下で動いてた」
「……ほかに参加した人はいないの?」
「いんや。俺たちだけ。結果は最悪だったけどね」
ヨハンは肩をすくめた。
「あいつの計画では、幹部のみを殺害し、ほかの信徒たちは保護して、あらかじめ用意しておいた世界各国の施設に入れて再教育するってことだった。だけど幹部の中に切れ者がいたのとそれ以外の信徒が思いのほか重症なアタマだったのと俺たちの方が圧倒的に数からして負けてたのが問題でねえ。死人のほとんどは信徒だった。幹部は生き残ったけどな」
「……やめときなさい、もう」
隣で姿勢正しく座っていたイオリが、静かにいさめた。
「そうだな。詳しく話すべきは、そこじゃねえわな」
ヨハンは頭をがりがりと掻いた。
「さて、計画は明日実行するよん。リオンは連絡役として、俺らの計画の数に数えない方がいい。あくまで俺たちだけでやると割り切っていこうか」
「三人。多いのか少ないのかわからないわね」
「一人百人分働けば三百人力ですよお嬢さん」
「想像つかないわ。百人分働くには具体的に何をすればいいの?」
「一人で信徒百人殺す」
「ヨハン? それ以上小さい女の子に余計な知識を詰め込むなら、友人として折檻せざるを得ないと思うんだけど?」
「すんませんでした」
「えーと……この三人でまずどうするの?」
話を振った自分に少し罪悪感を抱きつつ、エリカは聞いた。
「おう。まず目指すは従者二人だ。ワトソンとコーデリアは今、人形にされてる。本体の人間の体は幹部が持ってる。人形と本体を救出するのが最優先。エイナルおじさんは最後だ」
「どうして?」
「誤解しないでくれよ? 俺は別にエイナルおじさんがむかつくから時間切れを想定しつつ後回しにしてるわけじゃないよ? ワトソンとコーデリアは戦力になるからな。先に二人を助ければ、また戦力が見込めて、役立たずのアホを助ける確率もぐっと上がる」
ヨハンの説明に納得した。しかし、エリカは一つ気になることがあった。
「あの、こっちに連れて来られる前にちらっと聞いたんだけど……ワトソンとコーデリアは、人間の状態でいられるのは一時間だけだって」
「なるほど」
ヨハンは腕を組む。
「人形ごと助ける必要があるわけね。どっちにしても助ける量は変わらないか」
「あの人の従者お二人さんが監禁されている場所は、前回と同じ……かな」
イオリは口元を意味ありげに袖で隠した。ヨハンは「だろうね~」と気の抜けた相槌を打つ。
「二人の居場所の予想はつく。“ここ”だ、って一つには絞れないけどね。候補を順番に回るよ」
「幹部たちに見つからないようにするには、どういう努力をしたらいい?」
「信徒に溶け込むこと。いくらアタマの冴えてる幹部でも、白色の人間を見たら信徒だと認識する。バレる時はバレるけど、できることはやっとけばいい。それから、計画の際はみんなひとりで行動するよ。記録見て分かってるだろうけど、『月』には家族とか友人とかっていう集団の概念を持たない。意味もなく群れてると潜入してるって気づかれちゃうからね。それから、一つ一つの場所にかける時間は九十分。これ以上過ぎたら別の場所の時間をその分減らす。えーと、服は俺の支給品があるとして……髪はどうすっか」
「白い布でもかぶればいいんじゃないかな? エミリオって子はコートで誤魔化していたみたいけど」
「フード付きの服でどうにかしようか」
「あの、わたしも気になることがあるの。信徒の子供が定時になったらここへごはんを届けに来るでしょう? その子たちに不在が知られたらまずいんじゃない?」
「大丈夫。信徒は考えなしだ。幹部に報告するって考えをしない。あれ、いないや、まあそんな日もあるんじゃね、コレはここに置いて帰ろ、って感じで」
「そ、そんなものなの……?」
大雑把な策にエリカは拍子抜けする。それを励ますように、イオリが微笑んだ。
「大丈夫。ヨハンの研究から、そういう結果が導き出せている。信頼できるデータからの考えだよ」
「分かった。わたしは、あとは何を覚えればいい?」
「地図を出す。実行するときにも持たせるけど、なるべく道筋を覚えてちょうだいよ」
ヨハンは三枚の地図を机に広げた。それぞれ赤いラインでルートが示されている。どれも、三通りの道筋で、最後にはこの家に繋がっている。
「このルートに沿って、従者二人が監禁されてる場所を一個一個確認すること。そん時、なるべく気づかれないようにしながら、なるべく早くを心がける。いなけりゃいないで次へ行く。いたら救助。質問は?」
「監禁されているってことは、出られないってことでしょう? どうやって助け出すの」
「ハイコレ重要アイテム」
ヨハンは鍵束をエリカに放り投げた。
「ルート上の牢獄内の鍵、のスペアだよ」
「どの牢獄に入れられてるかもわからないのに?」
「だてにここを研究してないよ、ヨハン兄さんは。いろいろと探すと面白いことがわかるのさ。あいつら、反逆者や裏切り者を収容するスペースはいつも同じ。牢獄自体小さいから手間もそれほどかからない」
「そ、そんな簡単でまかり通るの……? 幹部はとても頭がいいんでしょう?」
「看守はみんなそれ以外の信徒だよ。監視がきついのは従者の本体と、エイナルだな」
「人形はそれほどでもないの?」
「『月』の信徒は“人形”ってものに一番の恐怖を示す。だからそっちの監視は、たとえ言いつけられてもゆるゆるだ」
人形に対して恐怖心を抱くというのは、一種の洗脳だ。信徒は『月』に対して裏切り行為を働くと、魂を体から抜かれ、人形に埋め込まれるという罰がある。人形は寿命がない。永遠に、人形として生きなければならず、人間として天寿をまっとうすることが許されない。
『月』の教義では、全世界が楽園時代に帰ることを大切にしている。もちろん自分も、その楽園に戻ることが理想だ。それを打ち砕かれるのは、何よりの恐怖だろう。ヨハンはその教義を喋って挙句に鼻で笑う。
「洗脳ってのは怖いもんだけど、アホだね。こーんな布と綿の物体のどこに怖がるポイントがあるっつーんですか」
「おおむね同意はするけど、計画を全部話してから話の腰を折ってね」
イオリはいさめた。
「へいへい。まあそんな感じで、君はこっちのルートをたどってね」
エリカは渡された地図をじっと見る。ヨハンとイオリの分の地図と比べると、ずいぶん短くなだらかな赤線を引かれている。
「君んとこはなるべく危険じゃない安全地帯を選んであるけど、用心は忘れちゃだめだよ」
「それは分かってるけど、ヨハンとイオリは? わたしが安全なぶん危険なんじゃない?」
「へーきへーき。計画をいっぺんやってて、その上ここの地理も覚えてる俺たちが適任だからね。鍵だけじゃうまくいかないこともあるのよ。実力行使が必要になってくるときもある。そういう物騒なことは俺たちで引き受ける」
「二人とも危ない目に遭うかもしれないのに、わたしが一番安全なのは……」
エリカは弱い声で言う。
「大丈夫だよ」
イオリが優しく答えた。
「こういう荒事は、私たちの方が適任なんだ。今回の作戦のベースになってる計画を一度経験してるヨハンと私の方がいい。成功率をあげる為でもあるし、何より、ここにいるヨハンはあの人からエリカのことを頼まれてるからね」
「……うん。だったら、二人とも、絶対に無理はしないでね?」
「わかってますよ」
ヨハンはいつの間にかいじくっていた人形を放り投げた。
「さて、明日に備えて寝るよ~。信徒が食事をもらってからそれ食って五分後に行動開始ね。最初は俺、次に君、最後はイオリ。前の人間が出てった十分後に出てね。他に質問は?」
「……ないわ」
「皆無」
「よし。じゃ君、ベッドで寝なさい」
「寝るけど、ヨハンとイオリはどこで寝るの?」
「床」
ヨハンは下をちょいちょいと指さす。
「ダメよ! それじゃ疲れは取れないわ」
「でもベッド一つしかないし。あ、ちなみにイオリは寝る必要ないからね。紙だし」
「なら一緒に寝ましょう」
「いやいやあのね? 嫁入り前の娘が野郎と床を共にしちゃいかんでしょう」
「明日の作戦実行に支障をきたすような健康状態にならないことが、今一番気にすべきことよ」
「つってもねえ……レディ志望の女の子は気にしなくちゃならんでしょう」
ヨハンは困り顔でイオリに助けを求める。
「ん~……若い男女が一緒の床ってのは、私もちょっとな。じゃあヨハン、私の膝を枕にして寝なさい。それなら問題ないから」
「おおありに思えるのは俺の気のせいですかイオリさん」
「将来有望な若者を犠牲にして私たちがのうのうとしているわけにはいかないからね」
「いや、俺たちも結構な若者ですよね……?」
「細かいことは気にしない。エリカ、ヨハンのことは心配しないで、明日に備えてゆっくり休みなさい」
「うん……。ありがとう。くれぐれも無理はしないでね?」
エリカは困り顔で寝室へ去って行った。
淡色で温かみもふわふわ感もなにもないベッドで寝るのはもう慣れた。今までの恵まれた環境を振り返ると、ホームシックになっても体調を崩してもおかしくないと思っていた。しかし、質素の過ぎる生活にあっさりと溶け込んでしまったことを、エリカは少し疑問に思っていた。
ヨハンやイオリにこの場所のことや外の世界のことを教えてもらってはいるものの、まだ晴れない疑問はあった。今はそれどころではない、みんなを助けるんだという強い意志でもってそれらを心から打ち払っていた。
――待ってて。すぐに、助けるからね。
エリカは目を閉じた。




