四章-3
「ヨハン、ほかに詰め込むべき知識はある?」
「研究記録を全部読んだなら、言うことなし」
「わかった。それじゃ、悪いんだけど、櫛があったら貸してほしいの」
洗面所から持ってきてくれた櫛で、エリカは自分の髪を整える。いつもはコーデリアに結んでもらっていたため、自分で好きな髪形を作ることができない。適当に一つに結んで、ポニーテールにした。
「これでよし」
「似合う」
「そう?」
リオンの一単語にエリカは笑う。
ヨハンはというと、電話をすでに終え、イオリの名前が書かれた紙を、勉強机に静かに置いた。何が始まるのか不思議に思った子供二人は、それをじっと見守った。
突如、紙から白い煙が立ち込めた。驚いたエリカはとっさに両腕で顔を庇う。隣のリオンは無反応だった。
煙が晴れると、勉強机にはヨハンの大切にしていた紙はなく、代わりにヨハンと同じ年ほどの青年が机に腰かけていた。
「よう」
ヨハンはその青年に親しげな声をかけた。青年はふっと微笑んで「うん」と答える。
青年の髪はエリカ同様黒い。鶯色の着物をゆったりと着ている。胸元に、紙が揺らめいていた。『藤堂伊織』という名の書かれた、紙が。
「あなたは、もしかしてイオリ?」
エリカはその青年を見上げた。
「うん。お目にかかるのは初めてだね。私がイオリです。……厳密には、イオリの分身なんだけど」
「胸に張られてる紙を通して、イオリの姿をこっちに映し出せる。実体はあるし触れる。だけど多少の制限はある」
「そうそう。この紙が破られたり焼かれたりしたら、こっちに来てるからだが消えちゃうんだ」
「イオリ本体は外の世界にとどまってるの?」
「その通り。こっちのはあくまで仮で、紙が命のようなものだから」
借り物のイオリは机から降りた。
「モノには触れるし、命が紙並みってこと以外は普通の人間と何ら変わらないから、人手にはなるよ。もっとも、私にも得手不得手があるけどね」
「ううん。充分だわ。ありがとう、イオリ、ヨハン」
人手が増え、喜んでいたエリカは、はっとしてリオンの方を向く。
「そうだ。リオンは大丈夫なの? わたしが引き留めて、教団に怪しまれない?」
「平気。急いで帰れば問題ないから」
リオンはかつらをかぶり直し、フードを目深にかぶる。玄関のドアを開ける直前で、エリカの方を見た。
「それから、もしも僕の素性が向こうにバレたら、ちょっと勝手に動くと思う。教団がそのせいで動揺しても、気にしないでほしい」
「ちょっとってどれくらい?」
エリカが不安そうに尋ね、リオンはうーんと少し考えてあっさり答えた。
「幹部レベルの信徒さんを三人ほど銃殺?」




