三章‐3
「よくよく考えて見れば」
「今度は何……?」
「俺の手伝いしないで君は君のやることに集中してれば、早く見つかったわけか」
責めるような口調ではないのはわかるが、エリカは言わせておくままにしない。
「その前に、ヨハンがどこに何をしまっておいたかちゃんと覚えていれば、わたしも余計な気を使わずにわたしのやることに集中してたわ」
「冗談抜きですんません」
「いいわよ、もう……。それより、それは何なの?」
ヨハンのずぼらさよりも、エリカはその紙に興味が向いていた。
「ああ、これはね、何てことはない、イオリの名前を書いたモンだ」
「イオリ? イオリってそう書くの?」
「あいつの故郷は文字が三種類あってねえ。……いや種類は問題じゃない。イオリの故郷には面白い信仰が伝わっててね。文字に魂が宿るっていう考えがある」
「言霊信仰ね」
「そう。よく知ってるねえ。で、これもそれと同じように、この文字には魂ってもんがあるんだ。『藤堂伊織』ってえ、イオリの名前が書かれてる。もう一つ、名前ってのは命みたいなもんだっていう考えもあるらしくてさ、心を込めて書いた自分の名前は、自分の分身にもなるんだと」
「それは、イオリの分身?」
「うん。これがあれば、遠く離れてるイオリとご対面できるってこった」
「電話もいらなくなりそうね」
「ミもフタもないことゆわない。……とにかく、見つかってよかった。ありがとうな。引き続き、それ読んで中身を頭に叩き込んでてね」
ヨハンは微笑んで部屋を片付けに行った。イオリの名が書かれた紙は、ヨハンの手によって大切に勉強机に置かれた。向こうの机も散らかり具合は満点だったが、ヨハンは机の上にあるものをすべて床にぶちまけた。おかげでいったん机はきれいになり、紙は見失うことがなかった。
よっぽど、大切なのね。エリカはそう思う。見つかったのは、自分の研究記録という、保存場所として適切なのかはなはだ疑問の浮かぶ所だが、イオリの紙は傷んでいなかった。少し力を入れれば破れそうな儚い紙を、記録という、常に更新するゆえたびたび手に取る場所へ入れた。研究を重ねるたびに、イオリの名を見ることができる。研究がうまくいかないときや、『月』の本拠地と言う異端の土地での生活に苦痛を覚えたとき、記録をそっと取り出して、イオリの分身を見て自分を励ましていたのだろうか。そんなことを考えめぐらせながら、エリカは記録に没頭しなおす。
記録によれば、外の世界の方で『月』の全滅を計画したことは何度かあったらしい。しかし、人道的に問題があるとして常に流れている。実行に移されたのは最後の計画だけだった。数回立案された計画のうちの一つの創案者に、ヨハンの名前が記されていた。思わず、エリカはそれをヨハンに訊ねた。
「ヨハン。この、全滅計画の項なんだけど」
「なんでしょーか」
「一度目の計画創案者に、あなたの名前が載ってるの。これって同姓同名の別人? それともあなたで合ってる?」
「あ、それ? 俺の名前」
ヨハンはあっさりと簡潔に答えた。
全滅計画の詳細はきちんと残っている。禍根を残さないよう、『月』の信徒たちはすべて殺害するという提案は、ヨハンによってなされていた。当然のこと、世界中から非難を浴びている。それらを裏付けるのが、新聞記事だった。新聞は社によって意見が異なるとワトソンから聞いている。一つのことがらに対する意見は、多種多様である。だが、この件に関してはみな満場一致で反対の意見を述べている。
「まあ、その案がもとで学会を追われたんだけどね」
「ヨハンは学者さんなの?」
「肩書上はね。実質は政府から金をむしり取って好き放題研究してるプーです」
全部で四度出された計画の詳細は、計画に関する事項という書類の写しが残っている。一度目のヨハンの計画と比べて、それ以降の案はどれも緩やかだ。幹部のみを、口実を適当に作って処刑する。教信者も含めて殺す。生まれて何年以下の信徒は殺さない。おおかたはそんなものだが、書いてあるのはそれだけだ。
一方、ヨハンの計画は事細かに説明が加えられていて、さすがのエリカも読むのには時間がかかった。
――『月』という教団は、我々が思っている以上の脅威である。それを放置し続ければ、いずれは『月』が世界を支配する。楽園時代と言う、人間が神に追放される以前の時代を、『月』は望んでいる。全世界が、楽園時代になることが、あの教団の最終目的である。そんな愚かなことがあってはならない。これを許すことは、人間の尊厳を奪うに等しい。
『月』の幹部のみでは許されない。信徒となった人間はすべて処分すべきである。幼少期から洗脳教育を受けた子供は、成人したら第二第三の『月』を立ち上げる。いくら幹部を始末したところで、また新しい幹部が入れ替わる。その新しい幹部を処分して、また新しく幹部が生まれ、という堂々巡りでは何の解決もできない。
人道的な問題や、同情心などは一切捨てるべきである。すべて、法的根拠に基づいて、あるいは世界的脅威になりかねない危険分子を排除することを念頭に置いて、この計画を実行に移すべきと考える。……ヨハンの計画には、そんなことが前文として掲載されていた。エリカは、この計画に賛成すべきなのか反対すべきなのかわからない。今は、こんな計画をヨハンが政府に提出したということを頭に叩き込むだけだ。
「……あら?」
四度目の計画立案者には、エイナルの名前が記載されていた。エリカは思わず立ち上がって、大声で訊ねてしまった。
「ヨハン! ヨハン!」
「はいはいなんでしょね」
「四度目のほうは、おじさまが?」
「そうそう。君のおじさまが立てたの。同姓同名の別人じゃないよ」
四度目の計画をじっくり読んでみた。よくよく見れば、同じと思っていた二度目三度目の計画とは異なっていた。
幹部たちの処分は身柄拘束でとどまっているのは二度目三度目のものと変わらない。が、ほかの信徒たちの身柄は、政府でも民間でも構わないから引き取って再教育するということに行を割いている。
――『月』の教団に所属するとはいえ、生まれて間もない子供に罪はない。しかし、これから幹部たちのような罪を犯すことは容易に予想できる。罪のない者を裁くのは許されることではない。犯罪予備軍と認定できるとはいえ、子供たちはまだその罪に身を落としてはいない。ならば、彼らを正しい道に戻し、教育しなおせばよいのである。
幼少期に行われた洗脳は、簡単に解けるものではない。時間も金も、個人で負担できる単位を容易に超えるだろう。しかし、金銭的・時間的な犠牲を払ってでも、この再教育はなすべきことである。……エリカは四度目の計画書に目を通し終えた。
この計画が出されたのは十一年ほど前で、しかもこの計画はその翌年に実行されている。もっとも、政府も世界もこの計画に関与はせず、立案したエイナルと数人しか参加していないらしかった。
「ヨハン、四度目の計画に参加した人についてはないの?」
「ん、リスト入ってない?」
「それらしいものは見当たらないけど……」
「ああ、もしかしたらまた栞代わりに本なんかに挟んじゃってるかもしんない。参加者リストも一枚の紙だからさ。手ごろな紙があると栞代わりにしてそのまんまにしちゃうのが、俺のダメなとこでねえ」
「……人の悪癖に口をはさむ気はないのだけれど、そういうずぼらな性格は少し見直さないとそのうちまずくなると思う」
「同意」
ヨハンは笑ってそう言った。エリカはため息をついて、記録を読むのに没頭した。




