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命の終演に

作者: 工場長

この小説はテーマ小説「命」の参加作品です。

この企画に参加されている方の作品は、「命小説」と検索すると読む事ができます。是非、ご覧下さい。

 水品隆みずしな たかしと会うのは実に五年ぶりである。二人は学生時代によく行った居酒屋で酒を飲むことにした。


「おいサダ、……奥さんとは仲良くやっているのか」

 水品は私――大河内貞弘おおこうち さだひろ――をサダと呼ぶ。

「ああ、まあ何とかね。年をとって「酒が弱くなった」と言っているけど、まだまだ私より飲むよ」

「そうか……、お……俺の奥さんは最近「間の取り方が悪くなった」って文句を言ってくる。寄席のお客さんより厳しいわ」

 私と水品は高校のときから知り合った仲間である。ともに人を笑わせることに興味を持っていたので、大学時代には「漫才研究会」に入部し、二人で漫才をすることになった。

 そこで妙な自信の付いた私たちは大学を中退し、大手のお笑い事務所に漫才コンビとして入ったが現実は厳しく、仕事は少ない得る収入も少ない客の反応もまちまちという状態が続いた。

 五年たったところで私は笑いの道を断念し、親戚が経営している会社に就職した。しかし、水品は一人で――笑いの世界で言うピン芸人として残る道を選んだ。

 まだピン芸人としての芸風が確立していない水品に与えられる仕事は少なかった。もっとも仕事の数はコンビのときも少なかったが、それよりもさらに減ったのである。しかし、今ではTV番組にはたまにしか出演しないものの、全国各地の寄席や演芸場に呼ばれるほどの人気となった。

 また、芸人としてだけではなく、時々役者としてドラマや舞台に出るという活躍も見せている。

「そりゃあそうだろう、お前の奥さんは元舞台女優じゃないか。間の取り方や話のテンポ、音量など厳しいに決まっている」

 水品とその奥さんは彼がまだ売れていない頃、たまたま彼に舞い込んできた喜劇舞台のゲスト出演の仕事で知り合い、それが縁で付き合いを初め彼が売れ出した頃に結婚した。

 彼女の支えがなかったらいくら水品と言えどもここまで頑張れなかったであろうと思う。

「しかしまあ……なんだね。こうして見るとお互いの選択は……。正しかったんだなぁ。俺はこうして芸人として食っていけているし、お……お前は社長だ」

 水品の言うとおりで、私は二年前に勤めている会社の社長に就任した。それを快く思わない者の中には「縁故で社長だ」と陰口をたたく者もいる。もちろんそんなつもりはないと思っているのだが。

「そう言ってくれるとありがたいよ」

 水品がピン芸人として売れなかった頃は、彼を笑いの世界に残して私一人が楽をしているという良心の呵責みたいなものがあったが、今となっては水品の言うとおりなのだろう。

「お……俺は芸人としての舞台があり、お前は社長としての舞台が用意されていたのだ。そう、人生ってやつは……まるで舞台のようだな」

 水品も年をとって酒が弱くなったようだ。時々言葉を出すのに時間を要している。

「そう、人生って奴は……ぶ……舞台だ。俺はその中で芸人を演じて、お前は大勢の社員を……食わせる社長を演じている。そう、舞台だ」

 そういうと、水品は立ち上がり歌を歌い始めた。

「お、おいちょっと酔いすぎじゃないか」

「大丈夫だろう。ここは個室、誰も見てはいまい」


 はぁ、さっと取れさっと取れ

 幸せ一杯さっと取れ

 明るい笑いをさっと取れ

 お金も一杯さっと取れ

 かわいい嫁さんさっと取れ

 お前の嫁さもさっと取れ

 イケテるねぇちゃんさっと取れ


 水品が舞台に立つと必ず歌う歌である。腰を構え、両手を下からすくい上げるように上に上げながら歌う。最初はいいことを言っているが、歌が進むにつれだんだんと下世話な内容になってくるのが観客の笑いを取る。

 私と漫才をしていた頃からこの歌時々舞台で歌い、一人になってからは必ずといっていいほどこれを繰り返し歌っていたため、この歌は彼の代名詞にもなっている。

 この歌の評判と比例して、彼の仕事の数も人気も上がって行ったのだ。


 水品の終電車が近づいたので、会計を済ませ店を出た。

「俺達も……今年で五十だな」

「ああ、そうだな」

「数えてみたら俺……げ……芸暦三十年だ」

 そういいながら水品はネオンの輝く夜の街を見つめていた。三十年前のこの街と自分を思い出しているのだろうか。私も水品とともにしばらくネオンを見つめ、ともに同じ夢を追いかけていた日々を思い出した。


 「サダは本当に今の彼女のことが大好きなんですよ」 

 「漫才の場でそんなことお客さんに言うな、照れるだろ」

 「月曜日も火曜日もずーっと一緒にいたいそうなんです」

 「そりゃあね、付き合っていますから一緒にいたいですよ」

 「でも水曜日は別の女と一緒にいるんです」

 「あほか!お前!!」


「そんなになるか、……と言うことは俺がいなくなってから二十五年間、お前は一人で笑いの世界で生きていたのだな……」

「そんなことはないさ」

 水品はネオンを見つめたままぼんやりと言った。そうだ奥さんのことを忘れていた、と私は思った。

「コンビを解散した後でもお前がいたから頑張れた部分もある。お前は俺のことをいつも心配してくれた。仕事の時間の許す限りいつも俺の立つ舞台に来てくれた。そのことで俺はお前にものすごく感謝している」

 水品は私のほうを向いてゆっくりと頭を下げた。

「おい、水品……」

「お前だけじゃなく多くの人のおかげで今までやってこられた。そのおかげで人生五十年、芸暦三十年だ」

 再び水品の視線はネオン街のほうへ向けられた。その目が少し潤んでいることに私は気づいた。

「だから今、そのお世話になった皆様へお礼のあいさつ回りをしている」

 多少声が震えている水品を見ながら、彼とよくこの街に来た頃を思い出すと、体中の懐かしさが涙として目にこみ上げてきそうになった。水品もこんな気持ちなのだろうか。

「なんだよ、サダ。そんな悲しそうな顔するな。芸人の俺の前で悲しそうな顔をするな」

 水品は無理に笑顔を作ってそう言うと、またあの歌を歌いだした。


 はぁさっと取れさっと取れ


 歌っているうちに最初は無理をしていた水品の笑顔が自然なものになった。



 水品の奥さんから電話があったのは、それから一月後のことだった。幸いその日は仕事も片付いていたので、彼女の言う病院へと向かった。

 水品の病室の前に奥さんがいた。看病の疲れが顔に浮かんでいる。しかし彼女はその疲れを気にせず、自分より三十センチも高い私の目をしっかりと見ながら彼の病名をはっきりと伝えた。

 

 病名、脳腫瘍 余命は長くてあと半年


 さらに彼女は水品がこの診断を受けてから今日でちょうど半年であることを話した。その時、あの日水品は俺に別れを言いに来たのだと直感した。

 病室に入るとそこにはたくさんの機械に細い管であちこちつながれている水品がいた。

「水品……、お前なんで今までだまっていた……」

 声を聞いて初めて私が来たことを知ったらしい、私のほうへ少し顔を動かすと口元がひくひくと動き、やがてそれが笑みを浮かべた顔に変わった。そして自分の腹の上に置かれているスケッチブックと鉛筆を両手で探しだす。水品はもう話すことはできない。

 奥さんが優しくそれらを彼に渡すと、彼はゆっくりと鉛筆を動かした

「げいにんが、ひとをかなしませるわけにはいかないだろう」

 ひらがなのみで書かれた文字――というか鉛筆の線――を見て私は

「あほか!お前!!」

 と、かつて自分が芸人だったときのように答えた。芸人を演じようと思ったが、こらえきれずに涙が溢れ出した。私はもう芸人ではないのだ。

「なくな、さだわらえ」

 と書いた後でまた彼は鉛筆を動かした。三人にしばらく無言の時間が流れる。数分後やっと何かを書き終えた彼はスケッチブックを奥さんに渡す。奥さんと水品の手が触れる。彼女の手をいとおしそうに撫でた後で彼は私のほうを見て、両手をゆっくりと上げた。スケッチブックにはあの歌が書かれていた。


 はぁさっと取れさっと取れ

 幸せいっぱいさっと取れ

 笑いもいっぱいさっと取れ


「あほか!お前!!」

 そう叫ぶと私もまた歌いだした。少しだけ芸人の頃の自分に戻れたような気がした。



 水品が死んだのはそれから半月後のことである。私はそれを出張先の福岡で知った。最後の瞬間、彼はあの歌のポーズを取っていたという。水品は最後まで芸人であろうとしたのだ。

 通夜は今夜、告別式は明朝行われるという。私は妻に彼の通夜に出席するように伝えると、東京へ戻る手配をした。

 幸い東京行きの最終の新幹線に乗ることができた。これで通夜には間に合わないが、明日の告別式には出席できる。新幹線の中で私はまたあのころの二人を思い出していた。


 「でも水曜日は別の女と一緒にいるんです」

 「あほか!お前!!」

 「お前、どつくなよ!痛いだろうが」

 「あほか、漫才でツッコミがボケをどつかないでどうする」

 「俺じゃなくて水曜日お前と一緒にいる女の子を叩くなよ!」

 「お前ここに連れてきたんかー!」

 「そうだよ、かわいい子じゃないか髪は短いし背も低いし。ごめんね、痛かったよね」

 「頭をなでなでするな!それに俺はそういう子はタイプじゃないわ、というかお前のタイプじゃないか」

 「そうだ、まさに俺のタイプだ」

 「なんでお前のタイプをここで出すんじゃ」

 「この場を借りて俺の彼女を募集するんじゃ。こんな子まってまーす」

 「あほか!もうやってられんわ!!」

 「どうもありがとうございましたー」


 気がつくと私は水品がいつも舞台で歌うあの歌を歌っていた。

「社長……?」

 秘書が怪訝そうに私の顔を見る

「君も歌いなさい」

 と、私は言ったがおそらく彼は歌わないだろう。仮に歌っても途中でやめるはずである。そもそも歌えるわけが無いのだ。なぜなら、いつも途中で終わるあの歌を全て歌えるのは、水品とその奥さんと私だけのはずだから。


 はぁ、さっと取れさっと取れ

 幸せ一杯さっと取れ

 明るい笑いをさっと取れ

 お金も一杯さっと取れ

 かわいい嫁さんさっと取れ

 お前の嫁さもさっと取れ

 イケテるねぇちゃんさっと取れ

 お偉いポジションさっと取れ

 明るい家庭をさっと取れ

 とーれるものならさっと取れ

 どーせなーらとーりましょ

 取れるものすーべてとーりましょ

 どうせ生かされる命なら

 取れるものすーべてとーりましょ

 欲しいものすーべてとーりましょ

 はぁさっと取れさっと取れ



 明日水品は出棺する。

 最後まで芸人を演じた彼に私はこの歌を歌って送ろうと思った。


 はぁさっと取れさっと取れ 

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― 新着の感想 ―
[一言] 病室の情景が目に浮かびます。 そんな風に生きて、別れられるのならどんなにいいだろうと思います。
[一言] こんにちは。拝読させて頂きました。素敵なお話。個人的に好きなタイプのお話です。 文章については、他の方が指摘されてらっしゃるようなので省かせていただきます。ただ1点だけ。最初の文章で3人称だ…
[一言] 親友ってイイなぁと思いました。 道が違っても お互いに成功者となり 認め合えるってステキだなと思いました。 私は書けないので 読む側のカンジしか解りませんが 読みやすい文章でした。途中にあっ…
2007/07/26 11:44 宮薗 きりと
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