名前を憶えてあげたぞ~episode2~
館に戻ると、ちょうど家令のアントニウスと会ったので奴隷を購入したことを話した。
「アントニウス、少し時間をくれ」
「どういたしましたか」
「奴隷を買った。カルタニア人だ。両親と娘三人の家族、それから貴族の作法を知っている若い娘二人」
ふだんから表情を見せないアントニウスの眉がピクリと動いた。
「家族の五人は僕のもの。若い娘二人は兄上と姉上へのプレゼントだ」
「作法を知っている二人はたいへんありがたいですが、五人はどうするのですか」
「なかなか賢そうな連中なので、僕の屋敷で働かせる。僕もそのうち独立するから、そのときに使えるようにする」
まもなく完全独立への学びとして離れが僕の屋敷になる。そこで独立した形で差配していくことをアントニウスはわかっている。
「皆には伝えておきます」
「体調の悪い者もいるから、しばらく僕の屋敷に住まわせて、身なりを整えてから兄上と姉上に渡すから」
「二人はそれぞれお渡しになるとして、五人はどうされますか」
「こちらには入れず、僕の屋敷に住まわす」
「教育無しでですか。逃げたりしませんか」
「教育はルーシェに任せる。逃げたらどうなるか理解できる賢そうな連中だ。まあ、逃げ出したら、見た目もいい連中だから男も女も娼館か変態貴族に売ればいいだろう。そうすれば元手も取れる。一応、僕の警護と奴隷の管理のために兵士を二人くれ」
「承知いたしました」
日が傾いてきたころ、館に奴隷商人が護衛の兵たちと共に七人を連れてきた。支払いし、これからもいいのがいたら最初に情報をくれと言って、160アレスを渡した。
「金額が多いようですが」
「多い分は情報を最初に回してくれるであろう手付金だ。それにもともとは160アレスだろう」
「ありがとうございます」
奴隷商人が笑みを浮かべながら帰っていった。
「さあ、まずはテルマエに入って身ぎれいにしろ。新しい服は用意させるから、今着ている服は捨てろ」
「テルマエって公衆浴場? 風呂、風呂に入れるぅ」
「「キャー!」」
今まで静かだったアリッサの姉たちが叫んでいる。
「うるさい。お前らテルマエに入ったことがあるのか」
「…いえ、伝え聞いてただけで、それで楽しみで」
目が少し泳いでいる。
「我がジェノベチアには3つのテルマエがある。上級市民用、一般民衆用、そして我が家のテルマエだ。我が家のテルマエは我が家にかかわる者たちは無料だ。本来、奴隷が入れるものではないが、今日からお前たちは我が家の従者だ。いつでも入れる許可を出してやろう」
「ありがとうございます!…このガキ、本当に生意気。たかが風呂に入るだけなのに…。でも、うれしい」
アリッサが小声でまた祈りを捧げている。最初の感謝の言葉と最後の『うれしい』だけは聴き取れた。そうか、僕に感謝し、僕のために神に祈ったんだな。なかなかいい奴ではないか。
兵士にテルマエに入れた後、今はまだ離れである僕の屋敷に連れて行くように命じた。
さて、夕食の時間だ。夕食は毎日変わるので楽しみの一つだ。
「今日はロブスターが大量に捕れました」
よし、大好物のロブスターだ。夕食はパン、ロブスターの香草焼き、ロブスターのバター焼き、ロブスターとレタスのサラダ、人参とカブのスープ。カエサル領は海に面しており、豊富に海産物が捕れる。もし、独立するときに少しでも領地をもらえるなら小さな漁港をお願いしよう。
満足して部屋に帰ろうとするとルーシェに、奴隷をどうするか聞かれた。
うん、すっかり忘れていた。
「待たせたな。食事は済んでいるのか」
「まだでございます」
「リーシェ、厨房に行って食事を七人分、離れに持って来るように言ってこい。ああ、奴隷用ではなく従者用の食事だぞ。それと多めにするように言え」
「はい」
こいつらの食事のマナーなども知りたかったので、従者用の食堂での食事の様子を見てやろう。まもなく、パンとロブスターの香草焼き、人参とカブのスープが厨房から届いた。香草焼きは少し焦げているものだ。
「うわあ、イセエビ!」
「カルタニアではロブスターのことをイセエビというのか?」
「…いえ、私たちの田舎のごく一部でそう呼んでいるだけです」
「そうか。これはロブスターというものだ。美味いぞ」
「…知ってるから」
アリッサが食事前の祈りを行ったようだ。どうでもいいが、アリッサの声が小さすぎて聴き取れない。今度からもっと大きな声で言うようにさせるか。
七人とも十分にきれいな食べ方だ。貴族につながる娘二人はともかく、この家族は品のある食べ方だ。アリッサも八歳とは思えない。
この家族は五人とも黒髪に同じような黒い瞳に浅黒い肌。典型的なカルタニア人だ。父親は知性的な顔立ち。母親は優し気な美人。一番上の娘は母親に似たきれいな子。真ん中の娘は他の四人とはちょっと違う顔立ちで少し気が強そうな子。アリッサは目が好奇心でいっぱいという感じのかわいい子だ。
娘二人は十三歳と十五歳。二人ともカルタニアの貴族の血らしく、栗色の髪に青みがかった瞳だ。
そういえば、アリッサ以外の者の名を知らないな。食事が終わったら尋ねよう。それにしてもよく食べる連中だ。奴隷になってからこれまでろくな食べ物を食べていなかったのだろう。残ったら明日の朝食にさせるつもりだったがきれいに無くなった。
「貴族につながる二人はともかく、お前たちの家族はずいぶん食べ方がきれいだな。お前たちは貴族につながる者なのか」
父親が代表して答える。
「いえ、違います。私たちは上級市民で、私が鉱山技師で妻が医学を少々嗜んでいます」
「ほう、医者か」
「医者というにはおこがましいかもしれませんが、高貴な方の中には男性に肌を触らせたくない方も多いので。それなりに豊かな生活はできておりました」
「そうか。ところでお前たちの名を言え」
「スケチャ・ハンノキでございます」
「妻のヒトゥ・ハンノキでございます」
「長女のサーラ・ハンノキでございます」
「次女のエレナ・ハンノキでございます」
「三女のアリッサ・ハンノキでございます」
「マーゴ家に繋がるトリッポの娘、ルシア・トリッポでございます」
「ハミル家に繋がるミスラの娘、アデラ・ミスラでございます」
「スケサン、ヒット、サーラ、エレナ、アリッサ、ルシア、アデラだな」
アリッサの家族五人の顏が一瞬にして真っ赤になった。どうやら一回で名前を憶えられて感動したのだろう。三人の娘たちは涙を流し、身体を震わせている。
「スケチャとヒトゥでございます」
些細な間違いと言うか、同じに聞こえるぞ。
「わかった。スケチャとヒトウだな。カルタニア独特の名か。発音が難しいな」
三人の娘は歯を食いしばり涙を流し始めた。ご主人様が親の名を覚えてくれたのだ。感動しているのだろう。
「スケチャたちはここにいろ。ルシアとアデラは僕についてこい。お前たちが仕える兄上と姉上に顏だけでも見せる」
離れを出てすぐに家族の押し殺した泣き声が聞こえてきた。あの家族は美味い食事をもらい、これからの奴隷生活に安どしたのだろう。そして、うれしさのあまり泣いて抱き合っているだ。僕も本当にいいことをした。
「ひっ…、助さんだって。黄門様か! ひっひっ、苦しい~」
「ママのこと、真面目な顔をしてヒットだって。野球ってこの世界にあるのかな。吹き出しそうになっちゃったわ」
「最後は秘湯だよ。助さん、ヒットに秘湯。私、笑いをこらえすぎて死ぬかと思った」
「俺は笑いをこらえすぎて、頭の血管が切れるかと思ったよ」
「パパのこと、これから助さんって呼んでいい?」
「俺、格さんの方が好きだったんだけど」
「助さん、格さんって、よくわかんない」
「再放送とかでやってたでしょ」
「夕方? BS? どっちにしろ、TVは見てないし」
「真面目な顔して、助さん、ヒット。そして、俺はお前らの名を覚えたぞって、どや顔」
「「うけるぅ」」
大声を出すのははばかられたので、小声で涙を流しながら笑うハンノキ一家。
彼らは全員、日本からの転生者であった。
緩い時代設定です。読んでいただき、ありがとうございます。




