共感が消える
朝の医療チェックで、数値に微細なズレが出ていた。
「異常ではありません」
医師はそう言った。
「ただ、感情反応の揺らぎが減っています」
減っている。
その表現が、どこか引っかかった。
訓練場へ向かう途中、廊下の隅で訓練生が座り込んでいた。
膝を抱え、呼吸が乱れている。
「……怖い……」
能力が発現したばかりの新人だった。
発作的な症状は珍しくない。
「大丈夫?」
そう声をかける前に、ユウトは立ち止まった。
どう声をかければいいのか、分からなかった。
相手が苦しんでいることは理解できる。
だが、その痛みに寄り添う感覚が浮かばない。
「医療班を呼ぶ」
それだけ告げて、通り過ぎた。
訓練後、短期出動命令が下る。
対象は暴走寸前の能力者。
居住区の一室で立てこもり、家族が中にいる。
「交渉が優先だ」
三崎教官が告げる。
「刺激を与えるな」
現場は静まり返った住宅街だった。
玄関越しに、震える声が聞こえる。
「……近づくな……!」
中には、父親と幼い子ども。
能力反応は不安定だが、まだ抑制可能な段階。
「お願いです……」
母親が泣きながら縋る。
「主人は、悪い人じゃない……」
ユウトは状況を整理した。
感情が昂るほど、能力出力が上がる。
最短解は、即時無力化。
だがそれは、家族の目の前で行うことになる。
「……待て」
ミコが小さく呟く。
「今なら、話せば――」
「時間がない」
ユウトは前へ出た。
【アナライズ】
能力:情動増幅型発火
能力構造:恐怖・焦燥を燃料に熱量生成
代償:神経細胞の不可逆損傷
弱点:出力集中後の一秒硬直
すべてが見えた。
一秒あれば足りる。
玄関を破り、硬直を突き、無力化。
被害予測、最小。
「待ってください!」
母親の声が背後で割れる。
ユウトは振り返らなかった。
突入。
衝撃。
炎が散り、男は床に倒れ込む。
子どもの泣き声が響いた。
沈黙のあと、能力反応は消えた。
「……終わりです」
そう告げた自分の声が、ひどく平坦だった。
救急搬送される父親を見送りながら、母親は泣き崩れていた。
「おまえは正しいことをした」
三崎教官はそう言った。
「だが……」
言葉は続かなかった。
施設への帰路、ミコが隣に座った。
「ねえ、ユウト」
「何だ」
「今の現場……何も感じなかった?」
考える。
恐怖。
哀しみ。
躊躇。
どれも浮かばない。
「被害は防げた」
「それは分かる。でも……」
ミコの声が震える。
「家族が泣いてた」
ユウトは頷いた。
事実として理解している。
だが、それ以上の情報はなかった。
夜、医療室。
脳波検査のモニターが静止した。
「共感反応……確認できません」
医師が言葉を選ぶ。
「他者感情への同期機能が、消失しています」
その意味が、すぐには理解できなかった。
「今後、他人の痛みを“自分のことのように感じる”ことはありません」
ユウトは、静かに息を吐いた。
悲しくも、怖くもない。
ただ、そういう状態になったのだと分かっただけだ。
廊下を歩く途中、昼に見た新人訓練生とすれ違った。
まだ不安そうな顔をしている。
声をかけようとして、足が止まる。
何を言えばいいのか分からない。
寄り添うという行為が、思考としてしか存在しなかった。
共感は、人を守るための感情だった。
それを失った自分が、これから何を守れるのか。
答えは、まだ出ていなかった。
"ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
この物語は「観測されることで」先へ進みます。
もし少しでも続きを見届けたいと思っていただけたなら、
ブックマークという形で、観測に加わってもらえると嬉しいです。
次話も、アナライズは続きます。"




