外の世界
施設のゲートが開いた瞬間、空気の匂いが変わった。
金属と消毒液の混ざった閉鎖空間の匂いではなく、排気ガスと湿った土の匂いが鼻に届く。
「……外って、こんな匂いだったか」
ソラが小さく呟いた。
ユウトは答えなかった。
記憶の中にあるはずの“外の世界”が、ひどく曖昧だったからだ。
任務内容は能力犯罪の兆候調査。
戦闘想定は低。
だが人の多い区域での活動になるため、細心の注意が求められていた。
「今回は単独行動禁止だ」
三崎教官の声が、輸送車内に響く。
「市街地では、能力者より一般人の方が危険に晒される」
ミコが頷く。
「感情反応、多数。恐怖と不安が混ざってる」
「普通の人だ」
ソラが窓の外を見ながら言った。
「俺たちと違って、代償も覚悟もない」
街は騒がしかった。
信号音、車のクラクション、雑踏のざわめき。
施設よりはるかに音が多いのに、不思議と落ち着いて感じる。
桐谷のときとは違う。
ここでは、感覚が暴れない。
人々は能力の存在を知らないか、知っていても遠い出来事として受け止めている。
子どもが走り、店の呼び込みが声を張り上げ、誰かが笑っていた。
「……平和だな」
ソラの言葉に、誰も否定しなかった。
その平和の中心で、ユウトは足を止めた。
人の流れが、ひどく遅く見えた。
動きも、判断も、反応も。
危険が近づいていることに、誰も気づいていない。
「北側、能力反応」
アオイの声がイヤーピース越しに届く。
「微弱だけど、増幅傾向」
路地裏へ向かう途中、悲鳴が聞こえた。
「助けて!」
振り返ると、倒れた女性と、その前に立つ男がいた。
手元で空気が歪み、小さな衝撃が断続的に発生している。
未熟な能力者。
暴発寸前。
「一般人が近すぎる」
レンが結界を張ろうとした、その前にユウトは走り出していた。
「待て!」
声は聞こえた。
だが足は止まらない。
【アナライズ】
能力:空圧振動
能力構造:掌部から局所衝撃を連続放出
代償:筋繊維断裂の進行
弱点:出力集中時の反動硬直
最短距離。
最短時間。
男の背後へ回り込み、腕を叩く。
能力が暴発し、衝撃が地面へ逃げた。
倒れ込む男。
戦闘は、数秒で終わった。
「大丈夫ですか!」
真白が女性に駆け寄る。
泣きながら何度も頭を下げられ、周囲から安堵の声が漏れる。
「ありがとう……ありがとうございます……」
ユウトは、その言葉を聞いていた。
感謝されている。
助けた。
守った。
それが正しい行為だと、理解できる。
だが胸は、やはり静かなままだ。
「……ユウト」
ミコが近づいてくる。
「今の判断、早すぎた」
「結果は問題ない」
「そうじゃない」
ミコは周囲を見渡した。
「一般人はね、速さについてこれない」
怯えた視線。
ざわめく群衆。
能力者が走っただけで、恐怖が連鎖する。
「あなたが守ったのは事実。でも同時に、怖がらせてもいる」
ユウトは言葉を失った。
救助と恐怖が、同時に成立する。
そんな前提を、考えたことがなかった。
帰路の輸送車。
窓の外で、街の灯りが流れていく。
誰もが日常へ戻り、何事もなかったように歩いている。
「外の世界ってさ」
ソラがぽつりと言った。
「俺たちが速くなりすぎると、壊れちまうんだな」
ユウトは答えなかった。
理解はできる。
だが、それでも。
自分が止まる理由は、まだ見つからない。
守るためには、速くある必要がある。
遅れれば、誰かが死ぬ。
その計算だけが、頭の中に残り続けていた。
"ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
この物語は「観測されることで」先へ進みます。
もし少しでも続きを見届けたいと思っていただけたなら、
ブックマークという形で、観測に加わってもらえると嬉しいです。
次話も、アナライズは続きます。"




