霧
俺は母さんに車で送られ、家に帰ってきた。
築三十年のボロい家だ。
「診療所のご飯の味薄かったでしょ? ご飯用意して冷蔵庫に入れてあるから、久しぶりに味のあるご飯を楽しみなさい」
車から降りる直前、母さんにそう言われる。
俺は玄関の引き戸の扉を開け、家に入る。
玄関で靴を脱ぎ、脱衣所の洗面台で手洗いうがいをし、台所に移動する。
冷蔵庫を開けると、俺の皿に料理が盛られ、ラップがかけられた状態で置かれていた。
レンジで温め、箸を棚から取り出し、準備を終える。
「いただきます」
台所に入ってきた母親にと言い、食事を始めた。
本日の献立は野菜炒めだった。
野菜炒めに手を付ける前に、みそ汁を一口飲む。
「......美味い」
診療所のみそ汁は味が薄かったので、家のみそ汁がとても美味く感じた。
食欲をそそられた俺は、すぐに夕食を平らげてしまった。
食事を終えた俺は、風呂に入ることにした。
脱衣所で服を脱ぎ、風呂場に移動する。
そして、体を洗い、湯船に浸かった。
全身の力を抜き、リラックスする。
「はぁ......。やっと普通の生活ができるな......」
入院生活が終わり、明日から普通の生活ができることが嬉しくて仕方がなかった。
「よし、明日から勉強頑張るぞ」
俺は頬を軽く叩き、気合いを入れた。
湯船から出て、脱衣所に移動し、花柄のタオルで体を拭く。
拭き終わった後は、トランクス、パジャマのズボン、服の順で着替えていく。
「よし」
着替え終えた俺は、自室に直行した。
自室に入った俺は、明日に備えてすぐに寝ることにした。
部屋の電気を消し、ベッドに寝転がる。
そして、布団を体にかける。
「うーん。少しスースーするような......」
入院中の下着が診療所で用意されていたブリーフで、久しぶりにトランクスを履いたせいか、少しだけ気になって寝付けなかった。
そのため、これからのことを少し考えてみることにした。
「そういえば、七瀬が家に来てくれるのか......」
まだ不安があるということで、通学から下校まで常に七瀬の付き添いが必須となる。
少し過剰なような気もするが、気を失ったことがあるので、心配されているのだろう。
「なんで七瀬はこんなに俺のことを気にしてくれるんだろうな......。もしかして......」
もしかして、七瀬は俺のことが好きなのではないかと思った。
それで、今回の入院が話すきっかけになると思い、お見舞いに来たとか。
「って、何考えてるんだ俺は......」
同級生の妄想をして少し恥ずかしくなってしまった。
だが、なんだかんだ色々なことを考えてしまい、気が付いた時には寝てしまった。
次の日の朝。
起きた俺は、母さんが用意した朝食を食べに台所へ向かった。
本日の朝食は白米、みそ汁、目玉焼き、サラダだった。
「頂きます」
まずはみそ汁を飲む。
久しぶりに食べた診療所食以外の食事は、しっかりと味があり、美味しかった。
味のある食事は俺の食欲を促進し、気が付いたら完食していた。
俺は食器を水につけ、脱衣所の洗面台の前へ向かう。
適当に歯を磨き、制服に着替える。
着替えてる途中、家のインターホンが鳴った。
母さんが家のドアを開けると、七瀬の声が聞こえてきた。
俺は着替えるスピードを上げ、すぐさま玄関へ向かった。
「おはよー。よく眠れた?」
「んー、まあまあかな......」
俺と七瀬が話していると、母さんが割り込んできた。
「......七瀬ちゃん。正道のことをよろしくね」
「はい! 任せてください!」
「じゃ、いってくるよ」
俺は母さんにそう言い、玄関のドアを開けて外に出た。
目の前は土の道、畑、林。
いつも見慣れていた光景だが、久しぶりに家から出たせいか、懐かしく感じた。
「じゃ、行こうか!」
七瀬は俺の前に手を出す。
「な、なんで手を繋がないといけないんだよ」
「だって、途中で倒れたりしたら危ないでしょ」
「でも、手を繋ぐのは恥ずかしい......」
「いいじゃん! どうせ家から学校まで人なんてほとんどいないんだし!」
そう言われ、無理やり手を繋がれた。
そして、七瀬が先に進む形で学校に向かうことになった。
いつもは学校に行くために、使われていない畑や林、数軒の家しか存在しない退屈な道を、三十分かけて一人で歩いていた。
だが、今日は違う。
七瀬がいるので、退屈することはなかった。
今日は霧が発生しており、遠くの景色は見えなかった。
だが、そんな風景も幻想的で、美しかった。
「霧......。霧かぁ.....」
七瀬が突然つぶやき始めた。
「ど、どうしたんだ?」
「私たちの人生もさ、霧が発生した今みたいに、先が見えないよね」
「なんだよ突然」
「いや、霧を見てたら、ふと思って......。今は学校っていうはっきりした目標があるから進めるけど、人生でも今日みたいに進んでいけるかなぁって......」
「......でもさ、将来の夢とかはあるだろ? だったら、それを目標にして歩けば進んでいけるんじゃないか?」
俺は、少し考え、それっぽいことを言ってみた。
「あー。確かに......。じゃあ安心だね!」
「安心ってわけではないと思うけど......。ちなみに、七瀬の夢って何だ?」
何となく七瀬に聞いてみた。
「......笑わない?」
「......内容による」
「......実は私ね。将来演劇の役者になって食っていきたいんだ」
「演劇ねぇ......。大変なんじゃないのか? 演技の練習は勿論、体力を付けたりもしないといけないし......」
「うん......。でも、どうしてもなりたいんだ。演者として有名になって、この地元を人気にしたい」
七瀬は少し恥ずかしそうに言った。
「七瀬、いいやつなんだな。しかも、ちゃんと将来も考えてて......」
「そう?」
「俺なんて、とりあえず勉強してここから出ていくことしか考えてなかったし......」
だからこそ、中学二年生の今から必死に勉強して偏差値が高い高校へ合格し、それと引き換えにこの田舎を出るつもりだったのだ。
自分を育ててくれた田舎を捨てようとしている自分と比較すると、七瀬はとてもいいやつだ。
「ちなみに、演劇の練習ってしてるのか?」
「実はちょっと......」
「へぇ。うまくなったら見せてくれよ」
「うん......!」
こんな感じで他愛もない会話をしていると、気が付いた頃には学校の前までたどり着いていた。
「学校も久しぶりだなぁ......」
木製で一階建ての校舎を眺めながら言う。
「そういえば、俺がいない間お前一人だったんだろ? 寂しくなかったのか?」
この地域は過疎化が進み、中学生以下は俺と七瀬しかいなかった。
そのため、俺が入院している間は、先生と七瀬の一対一の授業、そして、一人で寂しい休み時間を送っていただろう。
「流石に私のことを不憫に思ったのか、先生がずっといてくれたよ。それに、正道がいた時だって全然話してなかったから、先生がいなかったとしても全く問題なかったと思うよ。多分」
「......言われてみればそうだな」
「でも、いないよりはいた方がいいからね。正道が来てくれて嬉しいよ」
「はは、そう言われると照れるな......」
俺は無意識に頭を手で掻いた。
「今までは恥ずかしくて話しかけられなかったけどさ。私たちも仲良くなったわけだし、これからはいっぱいお話しようね!」
七瀬はニコッと笑う。
その顔を見て、俺の鼓動が少しだけ早くなった。




