彼女は選ばれた
アリスの誕生日の一件からサニアはアリスの事をいつも以上に気にかけていた。
職場が同じであればもっとわかりやすかったし、住む家を別にしないで今でも一緒だったなら、もっと早い段階で気付けたとは思う。
アリスは何かあった時のためにとサニアに合鍵を渡していたのもあって、最近見かけていないな、となったサニアはその合鍵を使いアリスの借りている部屋に足を踏み入れた。
部屋の中は、綺麗に整頓されていた。
けれども、以前来た時と異なってすっかり生活感というものが無い。
アリス、と名前を呼んでみたけれど、部屋の中はしんとしたままだった。
テーブルの上に封筒が二つ置かれていたのを見て、サニアはそちらへと近づいた。
一つはサニア宛。もう一つはアロルド宛だった。
迷う事なくサニアは自分宛の封筒を手に取って開封する。
そこには、サニアに対する謝罪の言葉が連ねられていた。
今までずっと頑張ってきたけど、もう頑張れそうにないという事。
サニアには迷惑をかけるけど、この部屋の荷物全てを処分しておいてほしい事。
旅に出て、もう二度と戻ってこない事。
そういった文面の合間合間で手間や面倒をかける事に対してアリスは謝罪していた。
そうして最後の方で、サニアに会えてよかった、とか今までありがとうだとかの感謝の言葉で手紙は終わっていた。
読み終えたサニアは、そのまま手紙を封筒の中に戻した。
そうしてアリスの望んだとおりに、サニアは早々に家の中の物を処分する事にした。
捨てておいて、という意味合いなのだろうけれど、しかし全部を一度にゴミ捨て場に持っていくのは大変だし、そもそも回収日でもないために売れそうな物を先に見繕ってさくっと売り払う事にする。
正直これだけでもそこそこの時間がかかってしまったけれど、アリスは元々そこまで私物を持たなかったから処分に困るような物というようなものは出なかった。
売るか捨てるか。
捨てたくても捨てるに捨てられない……みたいな扱いに困る物はなかった。
そうして最後に、サニアはアロルド宛の手紙を手に取り、一瞬見ないで捨ててやろうかとも思ったけれど。
まぁ、届けるくらいはしてやるかと思い直した。
どのみちアロルドは巡回の時に冒険者ギルドに足を運ぶのだ。こちらから会いにいかなくても、向こうからやってくる。
すぐに渡す必要もないだろうと思ったからこそ、アロルドが来たときでいいやと後回しにした。
その結果、アロルドにアリスからの手紙が渡ったのはすっかりアリスが借りていた部屋の中を片付け切ってからだ。
手紙には部屋の契約を今月でやめたと書かれていたのもあって、それまでに片付けておいてほしいという一文もあったが、まぁ、サニアにかかれば数日で片付いたので何も問題はなかった。
アロルド宛の手紙をサニアは見ていない。
正直しれっと中身を見たって許されるんじゃないかと思ったが、サニアの手紙の内容から、アロルド宛の手紙の内容だって想像がつく。
だから手紙を渡した後、アロルドがそれを読んでどんな反応をしたところでどうでも良かった。
今更足掻いたところで手遅れなのは言うまでもないのだから。
アリスは旅に出る、なんて書いていたけれど、それが言葉通りの意味ではないという事はわかっている。
だって、部屋の中の荷物は何も減ってなんていなかった。
アリスは何も持たずに出ていったのだ。
旅に出るなら最低限、そういった荷物を持っていって当然だろうに。
もっというのなら、アリスは有り金全て家の中に置いていった。
ごみ処理の依頼料、と考えるべきかはわからないが、ともあれ何も持たずに出ていった時点で旅に出るという言葉の意味だって察せられる。
アリスの最後の手紙を読んだアロルドが今更何か行動に出たところで、完全に手遅れ。
アロルドが手紙を受け取って出ていったのを見送って、それからサニアは速やかに支度を整えた。
ギルドマスターに仕事を辞める旨を伝え、そうしてさっさと建物を後にする。
アリスがどこに行ったかなんて、サニアには容易に理解できていたからこそ、ふふ、と無意識に笑みが漏れた。
アリスが歩んだ痕跡を辿りながらサニアは進んでいた。
街の外は本来ならば、何の武装もしないで移動するのはとても危険であるけれど。
しかしきっとアリスはそんな事も理解していなかったのだろう。
本来ならば、戦えそうにない年若い娘が歩いていたら盗賊あたりに目をつけられて慰みものにされるか、どこぞに売り飛ばされるかだ。
けれど今の今までそういった事が一度もなかったからこそ、アリスはきっと何も持たずに外に出た。
まぁ、仮に武装して護身用のナイフくらい所持していたとしても、アリスが危険な目に遭う事はない。
そういったものが近づけないようにしたのだから。
遠くの方で魔物がこちらの様子を窺っているのが見えたけれど、それだってサニアにとってはどうでもいい事でしかなかった。
普通であれば、いつ襲い掛かってくるかわからない魔物に怯え、警戒するところなのかもしれないが。
ふふ、とまたも笑みが勝手に零れ落ちて、鼻歌も出る。今のサニアは明らかに誰が見ても上機嫌であるとわかるものだった。
本来ならば、友人がいなくなったも同然なのだからもう少し、寂しいとか悲しいとか、そういう雰囲気を漂わせていたっておかしくないはずなのに。
いや、街の中では一応それなりの態度だったが、今ここでサニアの事を見る者など誰もいないからこそ、サニアは上機嫌である事を隠しもしなかった。
それなりに長かった。
サニアにしてみれば然程長い時間というわけでもなかったが、しかし普通の人間にとってはそれなりに長い時間だと思われる程度には。
アリスとの付き合いは続いていたのだ。
長引かせていた、と言ってもいい。
サニアは別に孤児というわけではなかった。
ただ、その方が都合がいいからそのように振舞っていただけだ。
サニアの足が一切歩む速度を落とさないままだからか、前方にいた魔物は慌てて身を翻して逃げていく。
サニアから殺気が漏れたりしているわけではないが、魔物は本能で理解していた。
殺気なんてなくたって、サニアが殺そうと思えば魔物たちは簡単に命を奪われてしまうのだという事を。
サニアが恐ろしい存在であるという事に気付いていないのは、人間たちくらいなものである。
勘の鋭い者ならば、多少警戒したかもしれない。
だがそれが人類にとっての脅威であるという警戒であると気付けた者は今まで誰一人としていなかった。
サニアは美人だ。傾国の美貌があるといっても過言ではない。
普段はある程度それらを打ち消すように隠しているが、それでももしサニアの真の姿を見る事ができた者がいたならば、その美しさに呼吸すら止めて魅入ったかもしれないのだ。
もっと言うのなら、サニアは人間ですらなかった。
人間からすれば魔物とそう大差ない存在である。
親に捨てられた可哀そうな孤児であるサニアなんて人間はいない。
いるのは、そういう風に振舞ってアリスを狙っていた悪魔である。
軽やかな足取りでアリスが身を投げた崖までやってきたサニアは、そこに未だアリスの魂が彷徨っているのを目視して満足そうに目を細めた。
悪魔と一言で言っても種類がある。
人間と同じような生活をする者もいれば、そうではない者まで実に様々。
サニアは人間の魂を食事とするタイプの悪魔だった。
そうは言っても、別に多くを必要とするわけではない。
数年に一度とかなので、大量に人間を殺戮する必要もなかった。
ただ、食べる魂は選ぶ。
それ以外は人間に紛れて人のようにしているから、人間のする食事をするが、そちらは正直やる必要がなかった。
数年に一度、美味しい魂を食べる事ができればそれでいい。
そのためだけに、サニアは人間にとってはそれなりに長い年月を待ち続けた。
目をつけていた魂が手に入るまで。
アリスが死ぬまで。
人間の魂なら何でもいいと言うわけでもない。
幸せに暮らして天寿を全うした魂が好みの悪魔もいれば、欲望にまみれてそりゃもうギトギトしてそうな魂を好む悪魔もいる。
サニアはそういった中で、不幸な人生を歩んで絶望して死んだ魂が好みだった。
不幸であれば何でもいいわけでもない。
不幸でありながら、ほんの少しの希望を見出して、しかし結果裏切られ絶望の果てに死ぬような魂が好物なのだ。
そういう意味ではアリスは実にサニアの好みの魂だった。
親に愛されたくても愛されない子はいくらでもいる。
孤児院の子供たちは大体それだ。
けれど、同じような境遇の子供が周りにいて、そんな子供たちの面倒を見てくれるシスターたちによって愛というものを少しずつでも知る孤児たちは、サニアの好みからはかけ離れていく。
親がいなくたって自分を愛してくれる人はいる、と幼い頃から知る機会がある孤児たちは、その後自力で幸せを掴もうとするので、サニアの好みである時期は捨てられた直後、それも物心ついてるくらいの年齢の子に限るのだが、しかしそれだけでは絶望の度合いが低い。
そういった魂を食べたところで、味わいがとても軽いのだ。仄かな苦みとそれすら長続きしない軽さ。
正直食べたところで食べた気がしない。
だがアリスは違った。
彼女には親がいたにも関わらず、その親はアリスを愛してなんていない。それどころか邪魔者扱い。
幼い頃のアリスには、親だけが全てだった。
アリスの世界に唯一絶対の存在として君臨していた母は、しかしアリスを愛さない。心のどこかでそれを理解しながらも受け入れられず愛されようと藻掻くアリスは、まさにサニアにとってのご馳走だった。
姿をアリスと同じ年齢くらいに変えて、周囲の人間の意識を操作しつつ孤児院に潜り込みアリスに近づいて、親からろくに教育もされなかったせいで近所の鼻つまみ者になっていたアリスに常識を教えて自分という存在を信用させた。
自分だけがアリスの味方だと思わせて、共に成長して一緒にいてもおかしくはないとアリスの幼馴染として、友人としての立場を得た。
そういった存在が一人でもできたアリスは、夢想する。いつか、他の人のようにもっとたくさんの友達ができて、近所の人からも白い目を向けられず、いつか、母がアリスに目を向けてくれるのではないかと。
だがそんな日はこなかった。
サニアが少し母の意識を誘導させて、アリスを売り飛ばすようにした。
アリスの母はアリスを愛してなどいなかったけれど、しかしそこで殺す程の度胸までは持ち合わせていなかった。しぶしぶ放置状態とはいえ生かして家に置くくらいの良心はあったけれど、アリスを愛する気持ちはない。愛するつもりも可愛いと思う事もない子供が家にいて、そうして食料を食べ散らかし部屋の中を汚すから、余計に可愛いと思えず苛立ちばかりが募っていって、アリスはよく叩かれていた。
あの頃のアリスは躾けられていない動物みたいなものだったが、それでも愛に飢えていたのもあって教えれば覚えただろうけれど、母はそれすら拒んでいた。
隠す事なくアリスの事を邪魔者だと思っていたアリスの母の意識を悪党に売り飛ばすように向けるのなんて、サニアからすれば簡単な話だ。
そうして、売られたが最後ロクな目に遭わないとわかりきっている相手に売り飛ばされかけたアリスは恐怖から逃げ出した。サニアは偶然あの時アリスと出会ったわけではない。わかった上で待っていたのだ。
そうしてアリスの事情に巻き込まれたような振りをして、アリスを連れて逃げ出した。
常識を学んで多少マトモになっていたアリスがあのまま故郷に留まっていれば、いつか他の誰かが手を差し伸べたかもしれない。けれどそんな事をサニアは望んでいなかった。
既に救いの手はサニアが差し伸べたのだ。それが本当に救いでなくとも。
なので、本当の救いの手など差し伸べられては困る。
あの後、アリスの母がどうなったかなんてサニアにとってはどうでも良かった。
前金に手をつけてしまった彼女が、あの男に代わりに嬲られようとも、死んだ方がマシだという目に遭わされたところで、サニアにとっては取るに足らない出来事である。
アリスの母がアリスの事をどうでも良いと思うのと同じように、サニアにとってアリスの母はどうなったっていい存在だったから。
あの男の手下がアリスを捕まえようとしていたとしても、サニアがいれば捕まる事はない。あの時すぐ近くに追手は確かにいたけれど、しかしサニアの力で彼らの目にはアリスが見えていなかったのだから。そしてアリスは追手に気付いていなかった。
追手を避けるように逃げる振りをしていたが、実際サニアは堂々とアリスを連れて出ていったに過ぎない。
見知らぬ土地で心機一転頑張ろうとしていたアリスだが、突然大勢の人と関わる事にはやはりまだ恐れていたから、そこもサニアにとっては簡単だった。
アリスの見た目は母親譲りだけあってとても良かった。
母親に叩かれてきたため、周囲の顔色を窺う癖がついて、常におどおどしていた。
見る人によっては自分が守ってあげなくては……! と庇護欲を抱く事もあるが、逆に見ていてイライラするという者もいた。アリスにそんなつもりがなくたって、彼女の見た目と相まってあえてそういう風に振舞っているように見えている者もいただろう。
サニアは冒険者ギルドで働き始めた時、一部の冒険者たちをアリスの方へと誘導した。
押せば自分でも彼女を落とせるのではないか、と思わせるように。
明確に断言しなくても、それとなくそう思わせてアリスを口説かせるように。
その冒険者たちの事をそれとなく良いと思っている受付嬢がいるのを知った上で。
彼女たちは冤罪をアリスにかぶせようと最初から思っていたわけではない。
ただ、いくつかの見落としとアリスに対する嫌悪感、そこからくる苛立ちが組み合わさった結果、アリスが何かミスをしたのだと思い込むように仕組んだに過ぎない。
まだ対人関係に慣れてすらいないアリスが大勢に詰め寄られれば、狼狽えてマトモな受け答えができるはずもない事をサニアはよく理解していた。あの頃のアリスの情緒はまだ幼いままで、そんな状態で複数人の大人に怖い顔をして詰め寄られれば泣き出すだろう事も、サニアの計算通りだった。
けれどもアリスの失敗だと思われていた事はどれも冤罪。いや、冤罪というより単なる勘違いだ。きっとあの子がやったに違いない、そんな思い込みからくるもの。
一人だけがそう思ったなら心の中に秘めて冷静に本当にそうなのかを確認しようとしたかもしれないが、複数の人間が同時に同じような事を考えれば、自分以外もそう思っているのだからきっとそうに違いないと思い込む。
サニアはそれとなくそう仕向けただけに過ぎない。
そうしてやっぱり普通の人のようにできなかったと落ち込むアリスを連れて再び外に出た。
サニアがいるから魔物は寄ってこない。
盗賊だとかの悪党も、サニアが力を使えば目を逸らす事なんて簡単だった。
安全な旅路。そしてたどり着いた街。
あまり長い事旅を続ける事はサニアにとってメリットがない。アリスには幸せになれるかもしれないと思わせた上で絶望してもらわないといけないのだから。
希望の後に抱く絶望の、なんと甘美な事か。
それを知っているからこそサニアはアリスと関わる人間を慎重に選んだ。
受付嬢たちからの悪意によって人を恐れたアリスは、率先して新たな街で誰かと関わろうとしていなかったから、穏やかに過ごせるだろう相手のところに預けて、自分は以前と同じように冒険者ギルドの受付嬢として大勢の人間を観察した。
そして目についたのがアロルドだ。
彼は冒険者などではなかったが、街の治安を担う組織に所属し周囲からの信頼が厚い。
真面目で困っている人を放っておけない性質。彼を知る人からすれば彼は間違いなく善人と言われる類だ。
燃え盛るような情熱的な恋をする事はなくても、共にいれば穏やかに過ごせるだろう相手。
刺激的な恋愛を望む女性からすれば物足りないと思われるけれど、そうでない相手からすれば理想の相手になるだろう男性。
サニアは彼の事を調べた上で、アリスと引き合わせた。
アロルドは間違いなくアリスに惚れる。
そしてアリスもアロルドに惹かれるだろう。
サニアはアロルドの生活環境を知った上で、あえて良くないタイミングで会わせた。そうする事ですれ違いを誘発させて、破局を狙ったのだ。
実際サニアの思い通りに事は進んだ。
ラリサがいる以上アロルドは見捨てられない。
ラリサがまだ成人を迎える事のない少女である事も――仮に、成人していたとしてもそれならそれでアロルドが本当に好きなのはラリサなのではないか、とアリスに疑念を植え付けるだけだったので、正直そこはどちらでも問題なかったけれど、とにかくラリサによってアロルドとアリスが会う機会を減らす事になったのもサニアにとっては望んだ展開である。
ラリサに関してサニアは何もしていないけれど、しかし驚くくらいサニアに有利に事を進めてくれた。
アリスの誕生日、あの日アロルドがラリサを連れて外出して、あまつさえアクセサリーショップに入っていく瞬間を見せてくれた時なんて、内心で喝采を上げたいくらいだった。
あれがなければ、後日それとなく「言おうか迷ってたけど……」なんて深刻ぶってアロルドらしき人が女の人と一緒にいた、なんて言おうと思っていたくらいだ。それが真実でなくとも。仮にあとからアロルドがそんな事をしていないとわかっても、見間違いだったと言い逃れる事は容易である。
アリスにアロルドへの疑いを芽吹かせれば充分だった。
けれどアロルドは。
サニアの想像を超えてサニアが望む以上の働きをしてくれたらしい。
いつまでも弱いままではダメだと思ったアリスが努力して普通の人のようになろうとしても、心というのは簡単に成長するものではない。表向き強くなれたように見えても、結局肝心の根っこの部分は脆いままだ。
幼い頃、母を求めてしかし母からは拒絶されていたのもあって、アリスは愛を求めていた。
愛の形は何でも良かったのだと思う。
ただ、誰かにとって必要な存在だと思われたい。
それがアリスにとっての願いだ。
アロルドに惹かれたアリスが、その誰かにアロルドを望んだのは当然の事だけど、しかしアロルドはアリスを愛しているようには思えなくて。
いいや、実際彼はアリスを愛していた。
ただ、その想いを育てるにあたって、タイミングが最悪なだけで。
サニアがアロルドとアリス、二人を引き合わせるのをもう少し後にしていれば、ラリサの治療法が見え始めたあたりであったなら、まだ余裕をもって二人は関係を深めていけたと思う。
だが、サニアにとってそれは望む展開ではないために。
二人は想い合いながらも、その想いを育む事ができない状態だった。
お互いが悪いわけではない。
ただひたすらに、周囲の状況によるものだ。本人が努力してどうなるものでもなかった。
幼い頃からずっと頑張り続けたアリスの心が折れたとなった時、サニアは歓喜したのだ。
ようやく時期が来たと。
少ない家財道具を何もかも置いたまま、着の身着のまま街を出たアリスが行きつく先は、以前サニアが話した海の見える場所だろうとなんとなく想像がついた。
陸路を延々と歩いたところで、途中親切な人に拾われる可能性はあった。
アロルドと中々会えない事を零したアリスに、海が見下ろせる崖から見る景色が気晴らしになると思う、なんて言っておいたから。長い時間をかけてアリスの心に植え付けておいたもののおかげで、アリスの行き先なんて慌てて追いかけて探す必要がないくらいにわかりやすかったし、予想通りに海へ向かったと知った以上、サニアが向かわない理由はない。
昔からコツコツと育てていた実がようやく育ったのだ。
収穫の時がやって来た。
軽やかな足取りで海の見える崖までくれば、サニアの目にはいくつかの魂が漂っているのが見えた。
その中で一際美味しそうな魂が、ふらふらと彷徨っている。
「あは」
自ら命を捨てたアリスは、天国にも地獄にも行く事はない。
……そもそも、天国も地獄も人間たちが勝手に信じているものだから、実際に存在はしていないとサニアは知っている。普通に死んだ魂は、そのまま徐々に消えていってそれで終わりだ。
時折前世の記憶が、なんていうのは、次に構築された魂に以前の情報が残ってしまっただけに過ぎない。完全に消えたはずの残滓が残った結果であり、そういった事例は少ないがあるとされている。
死んで間もないアリスの魂はまだしっかりと原型を保っており、だからこそサニアの口元には自然と笑みが浮かんだ。
自分がどこへ行くべきかわからないとばかりに同じ場所を行ったり来たりしているアリスの魂に近づいて、そっと手を伸ばす。
手を伸ばした、その先にはアリスの魂。
伸ばされた手に気付いたのか、アリスの魂はその手に恐る恐る乗った。
そんな魂を優しく握って包み込むようにして自分の方へ引き寄せて。
あ、と口を開ける。
そうしてアリスの魂は――
ごくん。
サニアの喉が嚥下する。
「ご馳走様でした。うん、美味しかった」
自然と笑みが浮かぶ。
やっぱりじっくり育てただけあって格別だったわ、なんて思いながら。
さて、次はどの魂にしようか、なんて。
どうせしばらくは食べなくても問題はないけれど、折角なら美味しいものがいい。そのためには、予め美味しそうなのを見繕わなくちゃ。
ふと、アロルドの事を思い出したが、あれの絶望はアリスと比べて薄い。
それに、自分の胃袋の中で再会させるつもりもない。考えただけで胸やけを起こしそうになる。
ともあれ、サニアの長い食事の時間はこうして一先ずの終わりを迎えた。
彼女が伸ばした手の、その先に次に捕まるのは――