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旅立ちとは言えなくても



「そういえば、魔物ってあまり遭遇した事なかったわ……」


 アリスがそんな事を呟いたのは、街を出て何やら遠くの方を駆けていく生き物を見かけたからだった。


 遠目なので、あれが本当に魔物かはわからないが、恐らくは魔物なんじゃないかしら……とは思っている。

 思えば故郷を飛び出した時も、この街に来るまでの間でも。

 サニアと一緒にいた時は魔物も盗賊だとかの物騒な相手とも遭遇しなかったな、と思って、そういうところは運が良いのね……なんて思う。


 なんだか何もかもに疲れ果てたアリスは、まず仕事を辞めた。


 やたらと難しいお薬の依頼があったから少し前までは大変だったけれど、それが一段落していつも通りに戻った今なら辞めても問題ないだろうと判断したのもある。

 まだ忙しい日々が続いていたら、流石にそんな中でアリスも辞めますとは言い出せなかったに違いない。


 老夫婦はアリスが辞める事を惜しんでくれたけれど、でも引き留める事はしなかった。

 後悔しない道を選びなさい、元気でね。

 そんな風に送り出してくれた。


 他にも細々と言われたけれど、要約すればそういう内容だった。


 何が何でもいなくなられたら困るというわけではない。

 アリスはそんな風にぼんやりと考えながら、老夫婦に今までお世話になりましたと頭を下げてその場を立ち去ったのである。


 ここで老夫婦にもし引き留められていたのなら。


 そうしたら、何かが変わっていただろうか。


 考えたところで意味がない。

 だってアリスは引き留められる事なんてなかったのだから。


 乾いた大地を進んでいく。


 街から少し離れると海がある。

 とはいっても、そちらは街道が整備されているわけでもないし、港があるでもないのでそこを通る旅人はまずもっていない。

 盗賊などの悪党がアジトを作るにしても、山の中の洞窟だとか、そういう何かがあるでもない開けた場所だ。

 隠れる事にも向いていないし、人が滅多に通る事もないとなれば悪党もそこを拠点に……などするはずがなかった。


 それならまだ街の中で潜んでいる方がマシである。



 そんな、周囲に誰かがいるような事もない場所をアリスは一人黙々と進んでいた。


 気持ちは重く沈んでいるが、しかし足取りは軽かった。

 進んで、そうして海を見下ろせる場所までやってきた。

 ざざぁん、と波の音が大きく響く。

 崖になっているので、もし落ちたら命はないだろう。



 街までは届かない潮風は、なんだか慣れなくて新鮮ですらあった。


 しばしぼうっと海を眺めていたアリスは、一歩、前へと踏み出す。


 数歩このまま進めば間違いなく落ちる。

 けれどもアリスはお構いなしに進んでいって、途中でくるりと身体を反転させた。

 そのまま後ろ向きのまま崖へと進む。


 空を見上げた。


 アリスの気分とは裏腹に、清々しいまでの青空。

 雲一つない快晴。

 背後から聞こえる波の音と、遠くから海鳥の鳴く声も聞こえた。



 ――思えば、虚しい人生だった。


 生まれた時から愛される事がなかった。

 普通の子が羨ましかった。


 親のいないサニアですら、アリスにとっては羨ましかった。


 捨てられたサニアだけど、彼女の親がどういう人物かは誰も知らないのだ。

 サニアの事をいらないと捨てた可能性は確かに高いけれど、しかし生まれて早々親が死に、残されたサニアを誰かが自分には育てられないと孤児院の前に置き去りにした可能性だってあるのだ。

 もしサニアの親がそういうものであったなら、生きていればサニアはきっと親に愛され育ったのだろう。


 そんな想像ができる可能性のあるサニアの事すらも、アリスは羨ましかった。


 アリスの親は生きているけれど、アリスの事を愛してはくれなかったから。


 女の子であるというだけで、愛される事はなくなってしまった。

 そういえば、故郷からは逃げ出したけれど、あの後母はどうなったのだろう、と今更のように思う。

 あの男にアリスを売る事にした、と言っていたが結局アリスは逃げて、こうして今ここにいる。

 あの男が母に何かしたのか、それともあの後文句を言われるだけで済んだのかまでは知らない。


 けれどもう、どうでもよかった。


 一歩、後ろへ。


 空を見上げたまま歩くなんて、そういえばあまりやった事がなかったな……なんて思う。


 ざざぁん、と波の音が一際大きく聞こえる。


 そのまま一歩、また一歩と後ろへ下がる。


 アリスはアリスなりに頑張って生きてきた。

 生きてきたけれど、これ以上頑張ろうという気持ちにはなれなくなってしまった。

 少し休んでこれからまた頑張ろう、なんて思う気持ちにもなれそうにない。

 頑張る気持ちを持とうとするのも疲れてしまったのだ。



 普通の人のように、親から愛されて育って誰かを好きになって、好きな誰かと一緒になって……そんなよく聞くような普通で平凡な人生を歩みたかった。

 母が父を愛したみたいに、アリスも誰かを好きになれば母の気持ちを理解できるだろうかと思いもした。


 恐らくは、少しだけ理解できたのかもしれない。


 アロルドの事を好きになって、その気持ちが大きくなってもっとアロルドに好きになってほしいと思うようになっていったけれど、しかし物理的に会える時間は減っていった。

 手紙を送っても返事がこなくて、何度だって手紙を送りたくなったけれどあまり大量に送ると困るだろうと思ってアロルドの返信に合わせてアリスも手紙の量を減らす形になっていった。


 本当は、もっと一杯アロルドに話したい事があったし、アロルドの話だって聞きたかった。


 けれど、もう疲れたのだ。


 ラリサの事は可愛そうな少女だと思う。

 けれどラリサは両親から愛されている。親が死んでもその愛は残っている。

 それに、アロルドが何かと気にかけてくれている。


 アリスがどれだけ望んでも手に入らないものを、ラリサはもっているのだ。

 羨ましいと思った。

 今も、羨ましいと思っている。


 アロルドがラリサを紹介して会わせようとしなかった事は、アリスにとって素直に救いだった。


 もし会えば、きっと嫉妬する。

 アロルドがラリサの事を恋愛対象として思っていなかったとしても、ラリサがアロルドの事を年の離れた兄のようなものだとしか思っていなくても、きっとアリスはそれでも嫉妬した。

 そうしていつか、ラリサにみっともなく八つ当たりをしたかもしれない。

 だから、直接会わせられるような事がなくて良かったと思っている。


 空を見上げたまま、一歩後ろへ。


 けれど、ラリサの病気がこのままである以上、アロルドはラリサを見捨てないしそうなればアリスは後回しだ。

 アロルドは確かにアリスの事を好きだと言ってくれたけれど、でもそれは何をおいても優先する存在ではない。


 好きな人の一番は、自分ではない。


 あぁ、と吐息が漏れる。


 一歩後ろに下がって、直後がくんと身体が後ろへ引かれるような感覚がして。


 視界に青が広がる。

 落ちていく。

 後ろに倒れるような形で落ちた事で、アリスの片手は自然と上に伸ばされた。


 ここにはアリス以外誰もいない。

 故に、アリスの手を掴んで引き戻してくれる誰かはいない。


 空が遠ざかる。

 波の音が近づいてくる。



 愛されたかった。


 それは過ぎた望みだったのだろうか。


 誰かにとっての一番大切な人になりたかった。

 多くを望んだわけじゃない。

 誰かの――アリスにとって大切な人の一番になりたかった。


「アロルド」


 アリスの口から自然とその名前が零れ落ちた。



 アロルドがもしここにいたのなら、彼は何とこたえてくれただろうか。


 そんな風に考えるも答えなんてでるわけがなく。




 どぼん。



 アリスの身体は海に叩きつけられ沈んでいった。

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あーあー……
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