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忍、交錯す――朧の夜、影の真実

 店の営業も終盤に差し掛かり、そろそろ“体験ホスト”の任務も一区切り――

 そんな空気を感じ始めていた時だった。


「新規のお客様、入店でーす!」


 扉の向こうから現れたのは、どこか慣れない様子の女――

 年の頃は黄昏たちとそう変わらぬくらいだろうか。

 服装はそこそこ気合いが入っていたが、場慣れしている感じはまったくなかった。

(…? 妙に挙動が硬いな)


 黄昏がちらりとその客を見た瞬間――向こうと目が合った。


 その瞬間。


「…………ッ!?!?!?!?」


 客の女が、凍った。


 そしてそのまま顔を真っ赤にして、目を潤ませながら、

 口をパクパクさせて、カウンターの陰に隠れそうな勢いでうろたえ始めた。


「ハ…ハワワワワ……!?!?!?」


(な、なんだこの反応は……?)


 スタッフが接客ホストを選ぶよう促すと、女は震える指で、まさかの――


「……た、黄昏くんで、お願いします……!」


(なに!?)


 驚きつつも、黄昏は淡々とした表情を崩さぬまま席に向かう。


(なるほど、会場で見たことあるな。私のファン……いや、任務か? それとも……)


 客の名簿には仮名で「ミキ」とだけ書かれていた。


 一方、「ミキ」と名乗るその女――

 本名・朧は、別ルートから方部螺組の裏を探るため潜入してきた捜査員。

 だが、まさか、かねてより密かに“推していた”黄昏本人と、こんな形で対面するとは思ってもいなかった。


(や、やばい……マジモンや……!リアルたっそんが、目の前にぃぃ……ッ!)


 任務 < 推し、という構図が成立しそうなほどにテンパる朧。

 しかしプロとしての意地か、ぎこちないながらも話しかける。


「こ、ここのお店って……体験で働いてるって、本当なん?」


「そうなんです。慣れない業務でお店に迷惑もかけちゃってますが……MVの撮影も兼ねてるんです。君は最近よくライブに来てくれてますね?」


「は、はいっ……! あのっ、そのっ……私、あの、ミキっていいます! こ、今夜は……ご指名……光栄です……っ!」


(……完全に素のファンの反応だな。情報を引き出す感じでもない)


 と、黄昏は一度そう判断した――が。


 この“ミキ”という女。視線の動き、座り位置、無意識の観察――

 細かい動きの節々に、プロの“気配”を感じた。


(……潜入捜査官、か)


 その瞬間から、黄昏の中で切り替わる。


 演技の仮面をまといながら、朧――ミキの懐へと、音もなく忍び込む。



 まばゆい照明が煌めく中、グラスに氷が落ちる軽快な音が響く。


「すごい……なんか、見惚れてまうわ……」


 ミキ――朧は、黄昏の所作をじっと見つめていた。


 氷の角を素早く落とし、静かにグラスを冷やす。

 その後、彼女の前に滑らせるように置かれたのは、

 黄金色の液体と、繊細な気泡が踊るハイボール。


「指名してくれたお礼に、一杯ご馳走するよ。

 せっかくだから、今夜くらいは肩の力、抜いて」


「えっ、え、ええんですか……!?」


 嬉しさと戸惑いが同時に浮かぶ彼女の顔。

 黄昏はその表情を見つめながら、微笑んで続ける。


「体験ホストの僕に、お金は使わなくていいからさ。

 今日は、君が楽しむための夜にしよう。――それが僕の役目だから」


「……っ、そ、そないなこと言われたら……ホンマに夢みたいや……」


 彼女はグラスを両手で包み込むように持ち上げ、そっと口をつけた。

 ひと口、ふた口――そして、目を見張る。


「……な、なにこれ……お、おいし……っ。えっ?うち、こんな美味いハイボールはじめてやわ……!」


 黄昏は口元に微かな笑みを浮かべた。

 ハイボールの味は計算通り――完璧だった。


(――やはり。彼女は“潜入捜査官”だ)


 ここに来るまでの動き。仕草。視線。

 そして、“情報を探るような間”。


 すべてが、訓練された動きだった。


 だが今、彼女は一人の“ファン”であり、同時に“任務”の最中だ。

 ならば――こちらも、“演技”で応えるまで。


 黄昏は、ほんの少しだけ声を低め、言葉に一拍、重みを乗せる。


「ここには、いろんな思惑を抱えてやってくる人がいる。

 でもその一方で……ほんの少し、優しさに飢えてる人も、いるんだと思う」


「……あんた……ホンマ、ホストなん?なんか、ちゃう気ぃするんやけど……」


 ミキがハッと顔を上げる。


「だから、もし君が今日ここに来たのが偶然でも、運命でも……

 その気持ちに、俺なりの答えを返したいと思ってる。

 ……それが、僕の“ホスト”としての役目なんだ」


「……黄昏くん、すごいな……。なんか、胸ぎゅーってなるわ……」


「それは俺がすごいんじゃなくて、君がちゃんと受け取ってくれるからさ」


 そう言って、黄昏は彼女のグラスにそっと注ぎ足した。


 数刻――ワインと笑い声に包まれた空間の中、朧は完全に“お客様の顔”になっていた。


「いやぁ……ホストクラブって、もっとガチ恋営業とか怖いとこや思てたけど……」

 グラスを揺らしながら、朧――いやミキはふにゃっと笑う。

「黄昏くんみたいな人、おるんやなぁ……はぁぁ、なんか癒されるぅ……」



 数分――それだけの時間で、人の本質が見えることがある。


「せやけど、黄昏くんてほんま…思ってたよりも、めっちゃ真面目な人やなぁ」


 彼女は笑ってグラスを傾ける。

 だが、その視線は決して酔ってなどいない。油断しているように見えて、その実、俺の目の動き、手元、言葉の選び方を一つ残らず観察していた。


 まるで、試されているようだった。


(この女……)


 ただのファンを演じるには、観察が鋭すぎる。

 言葉の間を縫うように、核心に迫ろうとする会話の運び――プロの“それ”だ。

 俺の正体を知らないはずなのに、どこかで嗅ぎつけている。

 いや、そうでなくても彼女の言葉の端々に滲む“探る意志”が、何よりの証拠だった。


 けれど、俺も黙って試されるつもりはない。


「ミキさんって……普段、どんなお仕事を?」


「え? う、うちは普通に…事務とか?」


「ふうん。ここに入ってから一度も視線を泳がせてない。

 他のホストの位置も、自然に把握してる。

 それに――僕の言葉の選び方まで見てるように感じがして」


「……!」


 朧の肩が、一瞬だけピクリと震えた。


 だが彼女はすぐに笑顔に戻る。

「ほんま、黄昏くんってすごいな。なんでそんなに、なんでもお見通しやねん」


「……すみません、推理小説が好きなのでつい」


 言葉を濁しながら、俺は彼女の“視線の奥”を見た。

 ――そこにあったのは、演技ではなかった。


 正義感。使命。誰かを救おうとする覚悟。


 彼女は、夜に潜る“仕事”をしていても、見失っていない。

 守るべき市民という存在を――ちゃんと理解している目だった。


 だからこそ、私は決めた。


(この女に、託してもいい)


 そんな想いが、自然と胸に浮かんでいた。



 黄昏は空いたグラスを軽く下げながら、何気ない会話の流れにそっと混ぜた。


「ところで……最近、『ナイト・マリアージュ』って店、聞いたことある?」


「ん? あるで。ウチの友達、前に行ってみた言うてたわ。なんか、系列店やろ?」


「うん。あそこ、少し……雰囲気が違うって話を聞いててさ。

 客層もだけど、ホストの動きも妙に外に流れるというか、変な連携があるというか……」


 黄昏の声は穏やかだが、言葉の一つひとつには隠しきれない警戒が滲む。


「……もしかすると、バックに普通じゃない勢力が動いてるかもしれない」


「……っ!」


 ミキの表情が一瞬で切り替わった。

 笑顔の裏に、ほんの一瞬、任務の顔がのぞく。

 けれど次の瞬間にはまた、彼女らしい興奮が弾ける。


「えっ、ちょ、ええネタやん!? そんなん聞いたらウチ、テンション上がってまうで……!

 黄昏くん、情報ありがとっ! こりゃ、もう……お礼せな!」


 勢いよく、ボトルメニューを取り出しかけた彼女を、黄昏がそっと止めた。


「ミキさん」


 その声には、先ほどまでと違う、ほんの少しの真剣さが宿っていた。


「……そんなことにお金を使うなら、またライブに来てください。

 それが、僕にとって一番のご褒美だから」


「…………はわわわわわわわッ/////」


 ミキは言葉にならない声をあげ、シャンパンメニューをぱたんと閉じた。


「そ、そないなこと言われたら……う、ウチもう、ほんまに、落ちる……!」


 頬を真っ赤に染めながら、膝に力が入らない様子の朧。


 彼女の中で、“任務”と“感情”が微妙に混ざり始める音が、静かに鳴っていた。


 黄昏は静かに立ち上がると、空いたグラスをそっと片付けながら、いつものように微笑んだ。


「また、お待ちしてます――お嬢さん」


(あとは、彼女がこの夜の“真実”を掴んでくれることを、信じるだけだ)


 ————————————————————————————


 薄暗いブリーフィングルームに、俺たち《NINJA☆Stars》のメンバーが揃った。


 ホストクラブ「ヴィジランテ・ルージュ」での潜入任務は一旦の区切りを迎え、次の一手を打つため、情報の整理が必要だった。


「俺の方は収穫ありだ」

 黄昏――俺は、そう切り出すと、静かにあの夜の出来事を語った。


 あの女――表向きは“ミキ”と名乗っていたが、話しぶりや視線の鋭さから見て、明らかに俺たちと同じ匂いがした。


「多分、別組織の潜入捜査官だろう。こっちの動きには気づいてないみたいだが、俺が少し情報を渡して泳がせた」


 その瞬間、椅子にだらしなく座っていた玲がピクリと反応した。


「……大胆なことするな〜。でも、嫌いじゃないね。

 黄昏、君って意外とギャンブラー?」


 にやりと笑う玲。軽口に見せかけて、その実、俺の判断を評価してくれている。


「だがな」

 鋭く挟んできたのは、透だった。


 眼鏡の奥で、冷静な視線がこちらを射抜いてくる。


「その女、きっと俺たちと同じ業界……もしくは、俺たちの“商売敵”だ。

 そいつに情報を渡すってことは、敵に塩を贈るようなもんだぞ。軽率すぎる」


「……!」


 一瞬、空気が張り詰める。


 けれど、その緊張を緩めたのは、刹那の快活な声だった。


「何言ってんだよ、透」


 刹那は背もたれから身を起こし、机に肘をついて笑った。


「敵は“彼女”じゃない。

 女の子たちを食いものにしてる、あの腐った連中だろ。

 そいつを倒すために、黄昏は判断した。それなら、俺はそのやり方、正しいと思うぜ?」


 静かに頷く柩。

「俺も、そう思う。黄昏の判断は、今のところ最善だった」


 玲も肩をすくめながら続ける。

「まぁ、今はまだお互い泳がせてる段階ってことさ。

 面白くなってきたねぇ、この“潜入劇場”」


 透はしばらく無言だったが、ふぅと息を吐いて腕を組み直す。


「……勝手にしろ。ただし、見誤るなよ。信用は、最も高価な情報資源だ」


 その言葉に、俺は軽く頷いた。


「わかってる。だからこそ、信じたんだ」


 夜の闇に潜む“真実”に、一歩近づいた気がした。


 ————————————————————————————


 数日後、俺たちの潜入任務は“新たな局面”へと進んでいた。


 俺――黄昏はホストとしての役目を終え、情報分析と連携のために本部へ戻っていたが、現場ではある“協力者”が目覚ましい働きを見せていた。


 俺たちは彼女が潜入捜査官であると把握しているが、あくまでその事実は彼女には明かしていない。

 だが今、柩と玲が水面下で、彼女に“些細なヒント”を流し始めていた。


「ナイト・マリアージュと方部螺組のつながり……だいぶ見えてきたね」

 玲がタブレットを操作しながら、端末に映る地図を指差した。


「昨日、彼女が尾行して突き止めた“管理物件”、三軒目か。やるな」

 柩も感心したように目を細める。


 もともと、我々の調査で掴んでいた“ナイト・マリアージュ”と方部螺組傘下の企業との資金の流れ。

 しかし、物証が乏しく、強制捜査には踏み切れなかった。


 そこに、彼女が現れた。


 玲は彼女の捜査資料にさりげなく“キーワード”だけを混ぜ込んだ。

 柩は彼女が一人で調べていた場所に、偶然を装って“新しい足跡”を残した。

 ほんのわずかな導き。けれど彼女はそれを確実に拾い上げ、自らの足で“真相”に近づいていった。


 そして今日――彼女が情報筋から得た新たな報告が、我々の端末に届いた。


【物件情報】

 ・管理者:澤井興産(方部螺組系)

 ・関係者出入り:確認済

 ・内装:窓なし・防音強化

 ・女性4名の居住記録あり


 俺はそのファイルを読み、ふと口元を引き締める。


(間違いない。やつらはこの場所を“収容所”に使っている)


 そして同時に――


(彼女は……やはり、本物だ)


 俺の直感は、あの“ハイボールの夜”で確かに感じ取っていた。

 ただの情報屋でも、捜査官ごっこでもない。

 彼女は、夜の闇の中で、“誰かの光”になろうとしている者だった。


 柩が言った。


「彼女に、もう少し流すか?」


 俺は小さく首を振る。


「いや……今のままでいい。彼女は、自分の足でちゃんと辿り着ける。

 それができる人間だ。…そうじゃなきゃ、命懸けで夜に潜ったりしない」


 玲が笑う。


「ふーん。たっそん見る目あるじゃん」


 窓の外、沈む夕陽の中に、また“夜の街”が現れる。

 そこにはまだ、救われていない声が、光を待ち続けている。


 だからこそ、俺たちはこの戦いを終わらせねばならない。

 本物の“煌めき”を――取り戻すために。

 煌びやかな光の裏で、またひとつ――音もなく“術”が動く。


 潜入捜査は次の段階へ。

 次なる標的は、方部螺組と繋がりを持つ裏組織――

 “人身売買”という名の連携体制を築く、実働部隊の一角だ。


 そして、その制圧任務を受けたのは――他でもない、朧。

 彼女の組織の命により、黄昏たちは“正義”を執行する。


 朧に気づかれず、彼女の背中を護るように。

 そして、闇の蜘蛛の巣を断ち切るために。


 忍と忍――

 真実を求める者と、真実を守る者が、

 それぞれの信念のもと、ひとつの闇を制圧する。


 次回『忍、交錯す――朧の夜、影の真実の巻』


 そしてその翌夜。

 夜の街に、ささやかな祝福の灯がともる。


「え、明日……私の、誕生日になったのか?」


 忍びたちの静かな宴が、今はじまる――。

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