影、ホストになる
今月は、どうやら「ライブ強化月間」らしい。
週一でライブ。任務とのダブルブッキングなんて、もはや日常茶飯事。
過労死寸前のスケジュールに、柩が楽屋のソファで天を仰ぎながらぼやく。
「……俺たち、アイドルじゃなくて忍だったよな?」
いや、それは間違ってない。だが今の私はその意見に同感だ。
もはや「ブラック企業」なんて可愛いもんじゃない。
これが地下アイドル兼・現代忍者のリアル。笑えない。
リハーサルを終えて楽屋に戻ると、透と玲がモニターの前で凍りついていた。
ただならぬ空気。思わず声をかけそうになったその瞬間、透がぴしっと一本指を立てて私を制した。
何か監視カメラの映像と音を確認している。
どうやら、何かしら重要な会話が聞こえるらしい。
透はすっと画面を閉じ、椅子から立ち上がった。
「……俺たちのファンの一人が、行方不明になってるみたいだ」
その一言で、楽屋の空気がピリッと引き締まった。
「本当か……?」と柩が顔をしかめる。
玲が画面をスクロールしながら、さらりと補足した。
「さっき、他のファン同士の会話で気になる単語が出ててさ。ちょっと掘ってみたら……ビンゴ。例の“組織”が関係してる可能性、高い」
“組織”。
私たちが水面下で追っている、連続失踪事件の黒幕候補だ。
「その子の情報は? 特定できそうか?」
「うん、SNSはずっと俺が監視してるから」
透が軽く指を鳴らして、ニヤリと振り返る。
「――というわけで、我々はホストになる」
「……は?」
言ってる意味がわからなかった。
でも、わかりたくもなかった。
このとき私は、心の底から思ったのだ。
また厄介ごとに巻き込まれた――と。
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その後、私――黄昏と、刹那、柩に指令が届いた。
コードは、「丙」。
……つまり、潜入任務だ。
「今回は俺も行くぞ」
透がそう言って、スマホを閉じた。
「設定はこうだ。俺たちは“MVの撮影と集客の勉強”って名目で、短期間ホストとして働くことになってる」
「……玲は行かないのか?」
柩が不満げな顔で尋ねる。任務が気に入らないらしい。
まあ無理もない。こいつは元々、「癸」――暗殺専門の裏任務担当だ。
玲は肩をすくめて言った。
「僕は“可愛い担当”だからね。ホストなんかやったら逆にイメージダウンでしょ? それに、調べることもいろいろあるし」
その言葉に、柩が小さくうつむいて、ぽつりとつぶやいた。
「……俺、人前は苦手で……」
あまりのか細さに、私は思わず足元がグラついた。
「お前、それでアイドルやってるのか……」
「ステージはもう慣れたさ。距離があるから大丈夫なんだ。けど……ファンサとか、今でも手が震える」
透は苦笑しながら肩をすくめた。
「別に全員がホストになる必要はない。柩、お前はバックからサポートしてくれ」
「……なるほど。裏方なら問題ない」
すんなり納得したようで、柩は静かに頷いた。
刹那がすかさずまとめる。
「ってことは、ホスト枠は――俺と透、そして黄昏だな?OKOK」
いや、OKじゃないだろ。
「この期に及んで、ホストまでやれというのか……?」
「覚悟を決めようぜ、黄昏くん☆」
爽やかすぎる笑顔で、刹那が私の肩をポン、と叩いた。
やめろ、その☆マークのノリ。
しかし、任務というなら、こなして見せよう。
それが私、黄昏と呼ばれる忍の矜持だ。
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ホストクラブ――ヴィジランテ・ルージュ。
まばゆい照明、煌びやかな内装、きらびやかな男たち。
その中心に立っていたのが、橘 龍弥。
どこか邪気のない、柔らかい空気をまとう男だった。
「MV撮影の件は聞いてるよ。うちとしても宣伝になるしね。短期とはいえ、仲間が増えるのは嬉しいさ」
そう言って微笑む龍弥は、どうやらこの店の雇われ店長らしい。
見た目は柔らかいが――その目には、確かな誇りが宿っていた。
「いいかい? ホストの本質は、お客様を満足させてあげること。
ここに来るお客様は、日常を離れた非日常を求めている。
我々の役目は、そのひとときを最高に輝かせることだよ」
その語り口に嘘はなかった。
彼は恐らく、裏社会とは無縁。
少なくとも、今回私たちが追っている“組織”とは関係がなさそうだ。
――が。
「にしても、体験入店で同伴二人連れは珍しいな。刹那くん、やるねぇ」
「まっかせてください☆」
刹那はニッコリ笑って、二人の女性をエスコートしていた。
ナチュラルに、そして確実に信頼を掴んでいくあたり――さすがだ。
こういう現場では右に出る者がいない、とはこのことだろう。
……私もプロとして、学ぶべき点が多いな。
「透くんもビシッとキマってる。メガネ系、今いないから重宝するよ」
透は静かに頷きながら、鏡越しにネクタイを整えていた。
まるで情報屋のスパイがエリート役に化けて潜入する映画のワンシーンのようだ。役作りも完璧。
そして――ついに、私の番が来た。
「で、迅くんは……」
龍弥は私を一瞥し、そしてこう言い放った。
「それじゃ……黒服かな? ちょっと緊張してるのかな。喪服みたいになっちゃってるよ」
…………なん、だと。
たしかに私は黒ジャケットに白シャツ、黒ネクタイの完全防備スタイルで臨んだが……喪服とは、あまりにも容赦ない。
「いや、これは戦場でいうと戦闘服であって――」
後ろで刹那と透が笑っていた。
何が可笑しい。いや、可笑しいのかもしれないが。
「ま、とりあえず……そのカタいジャケットとネクタイは脱いで、君はサポートで頼むよ」
「りょ、了解……」
だが私は、ただのサポート要員では終わらない。
「自分は……バーテンダー経験がある。飲み物の管理は任せてほしい」
龍弥の目が一瞬輝いた。
「そうなんだ! 頼りにしてるよ、迅くん!」
そうして私は、ドリンク担当――
いや、サポートとしての任務に就くことになった。
こうして、
私たちの――煌めきと潜入の夜が、幕を開けた。
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私は、SHUNというホストのサポートに配属された。
聞けば、この店でもトップクラスの人気を誇る人物らしい。
見た目は爽やか系、けれどその笑顔の奥に一瞬覗く眼差しには、プロとしての鋭さが宿っていた。
「お〜、今日も来てくれてありがとう。あれ? 髪色、変えた? 似合ってるじゃん」
SHUNは、そう言いながら自然にお客様の隣に座った。
軽やかなトーン。押しつけがましくなく、だが確実に心を射抜く言葉選び。
しかも、きちんと前回の会話を覚えていて、さりげなく盛り込んでいる。
(すごい……これは情報戦の応用じゃないか……)
と、思わず感心してしまった。
SHUNのトークは軽妙だが、よく聴けば全てが緻密な計算の上に成り立っている。
それでいて、客にはその“計算”をまったく感じさせない。
そして何より――
お客様の表情が、見る見るうちに明るくなっていくのだ。
「ホストの本質は、お客様をキラキラさせること」
あの龍弥店長の言葉が、今になって深く響いてくる。
(なるほど……これは本物の“非日常”だ)
その瞬間、SHUNがこちらを見た。
「ジン、例のやつ頼む」
私は小さく頷き、ハイボールの準備に取り掛かった。
――とはいえ、バーテンダー経験のある私にとって、
ハイボールひとつとはいえ気は抜けない。
グラスの温度、ウイスキーの注ぎ方、炭酸の気泡の立ち方――
全てを計算して、寸分の狂いなく仕上げる。
(よし……完璧だ)
私は静かにグラスを差し出した。
SHUNが一口飲んで、ふっと目を見開いた。
「……うっま。なにこれ、店の誰より美味いんだけど」
客の女性も続けて口をつけ、思わず両手でグラスを抱えた。
「……え、何これ……こんなに美味しいハイボール、初めて……」
(……っ!)
私は思わず姿勢を正した。
褒められたのが嬉しかったわけじゃない。
この場所で、“自分の技術”が確かに役に立ったことに、
忍びとしてではなく、誰かをキラキラさせたという実感に――
私は、静かに胸が熱くなるのを感じていた。
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「いらっしゃいませ、おかえりなさいませ」
SHUNが笑顔で女性客を出迎える姿を、私はカウンターの影からそっと見守っていた。
客の笑顔、軽やかな会話、グラスの音、ライトのきらめき――
そこには、想像していた“チャラさ”や“軽薄さ”などなかった。
(……思っていたより、ずっとまっとうだ)
少なくともこの店は、夢を売ることに本気だ。
ホストという職業に抱いていた偏見が、静かに揺らいでいくのを感じていた。
そんなとき――
「……どうだ、そっちの方は」
低く、息を潜めた声が、耳元に届いた。
瞬時に振り向くと、柱の陰に柩がいた。
ほとんど空気のように存在を消している。
「今のところ、動きはない。だが……店の空気は良好だ。刹那や透の方も順調らしい」
「そうか。こっちは、怪しい男を数人マークした」
柩はそう言って、ポケットから小型のメモ端末を取り出し、映像をチラ見せしてくる。
店内に溶け込んでいるが、明らかに一般ホストとは空気の違う男たち――
どうやら彼らが、今回の任務の核心に関わる存在らしい。
「経営側は玲があたってる。俺はこいつらを追う。特に、背中に梵字の刺青を入れた男――見覚えがある」
「まさか……」
柩が小さく頷いた。
「どうも、方部螺組が裏で動いているようだ」
私の背筋がすっと冷えた。
方部螺組――数ヶ月前に制圧した虻羅組関連組織。
一度、手痛い一撃を加えたはずだが……
「了解。刹那と透にも伝える。こっちも慎重に動こう」
私が頷くと、柩は一瞬だけ目を細め――
次の瞬間には、影と同化するようにその場から姿を消していた。
……やはり、あいつの影遁は群を抜いている。
人目を忍ぶプロの仕事。まさに“忍”の名にふさわしい。
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SHUNと組んで数日――
私がサポートにつくと、彼はいつも自然体で接してくれた。客への接し方、立ち振る舞い、場の空気を読む力。
まるで「非日常」を自然に演出できる職人だった。
そんなSHUNに、ある晩、帰りがけに声をかけられた。
「おいジン、腹減ってんだろ。ラーメン行こうぜ。奢りだ」
どうやら、少しは気に入られたらしい。
あるいは、後輩への世話焼き精神か。どちらにせよ、ありがたい話だ。
「ほら、好きなもん頼め。俺はチャーシュー増しな」
「ありがとうございます」
テーブルに水が届き、店内の静かなBGMが流れる。
このタイミングなら、少しは話を引き出せるかもしれない。
私は箸を割りながら、さりげなく話題を振った。
「最近、ガチ恋営業でトラブル起こしてるホスト、増えてるらしいですね。うちはそういうの聞かないんで、安心します」
「……まぁな。完全にゼロとは言えないけど」
SHUNの表情が、ふと曇った。
「何人か、それっぽい動きしてる奴はいる。ただ、うちの店じゃ固定の客はつけてない。変なんだよな。あいつら、客をどこかに“回してる”感じがする」
「他店に、ってことですか?」
「ああ。『ナイト・マリアージュ』って知ってるか?」
初耳の名前だった。SHUNは続ける。
「あそこ、表向きは系列店ってことになってるけど――実際は別の運営だ。元々同じグループだったんだけど、数年前に代表が変わってな。新しい経営陣に、黒い噂がある」
「つまり……」
「ああ、裏に“ヤクザ”が絡んでるって話だ」
思わず傾聴した。
「うちは関係ないって建前だけどな。実際、あそこに客を引っ張る連中が数人いる。多分、ガチ恋装って、マリアージュに連れてって、金を落とさせるルートなんだろうな」
SHUNは小さくため息をついた。
「うちのオーナーも、マリアージュの実態には気づいてる。でも……運営母体に資金の流れを握られてて、切り離せない状態だ」
「危険ですね」
「そうだな。でも、俺はこの店が好きなんだよ。派手さはねぇけど、真面目にやってる連中が多い。客も、スタッフもな」
そのとき、ラーメンがカウンターから届いた。湯気が鼻をくすぐる。
「ほら、熱いうちに食え。伸びるぞ。チャーシュー、やるよ。体力勝負の仕事だからな。ちゃんと栄養取っとけ」
皿の上に、炙りチャーシューが一枚、そっと乗せられる。
あくまでさりげなく、それでいて暖かい。
(……この人は、“夜”の人間だけど、“闇”じゃない)
そんな気がした。
「ありがとうございます。いただきます」
夜のラーメン屋で、熱いスープをすすりながら、
私はこの世界の奥深さと、SHUNという男の不器用な優しさを、噛みしめていた。
煌びやかな嘘が、今夜も誰かを飲み込んでいく。
失踪した少女の影を追い、ホスト業界への潜入は続く。
だが、その裏には、より深く、より危険な闇が広がっていた。
新たに現れた協力者――
名は朧。その正体は、別組織から送り込まれた潜入捜査員。
その眼差しは、“偶像”を見つめ、“真実”を求める。
互いに秘密を抱えたまま、忍びたちは交差する。
次回『忍、交錯す――朧の夜、影の真実の巻』
微笑みの奥に、刃を。
偽りの光の下、真実の正義を。